膠原病患者・交流会
(エレベーターもエスカレータもないのね)
地下鉄日比谷線、広尾駅の2番出口には、狭い通路の先にくねくねと折れ曲がった階段が続いていた。
歴史史のある趣。といえなくものない、古い駅である。しかし広尾といえば、都内でも屈指の高級エリア。改札を出ると、高級ブランド店が入った商業ビルに、一風変わったデザインの建物が目についた。一方で、駅同様、年代物のビルや数十年変化のないような飲食店も並んでいる。広尾というのは、昭和から続く街並みに、お洒落なハイブランド店がちょこちょこ混在する街のようだ。
「駅からすぐですからね」
事前に電話で問い合わせた時の担当員の言葉を思い出す。
グーグルマップを頼りに、私は、東京都福祉保健局・難病相談・支援センターを目指した。
確かにグーグルマップは、駅からすぐの広尾プラザの隣の建物を指している。しかしその建物はかなり年季の入った都営住宅で、支援センターがあるようには見えない。もしかして、予算がなくてアパートの一室をセンターとしているのだろうか。それにしても標識も何もないし、やはり違うところにもう少しそれらしき場所があるのではなかろうか。
歩いて検索してみたいが、私は杖が必要な歩行困難者である。以前のようにサクサク歩き回って目的地へ辿り着くという訳にはいかない。ここは潔く電話で問い合わせるに限る。
「もしもし、はい、今迎えに出ますから」
以前問い合わせた時とは異なる声の女性が、はきはきと応対してくれた。わざわざ迎えに出てきてくれるらしい。しかし出てきても、私のことがわかるだろうか。スーツを着たサラリーマンや、買い物をする地元住民が往来する歩道に私は佇んでいる。自身の特徴も何も伝えてはいない。私も相手の特徴は知らない。
きょろきょろと左右を見渡していると、グレーヘアーの初老の女性が手を振っている姿が目に入った。その顔はしっかりと私をとらえている。
感染症予防のためのマスクに、歩行補助のための杖。そして東京都が配布している定期入れサイズの真っ赤なヘルプカードを首から下げている私。どこからどう見ても、支援センターの助けが必要な難病患者といえば、私しかいないだろう。
「わざわざ出てきてもらってすみません」
私はお礼を言いつつ、彼女の後に続いた。
支援センターは、都営住宅の続きの建物の一階にあった。住宅入り口を通り過ぎて5メートルも進めば、センターの入り口に辿りつけていたことになる。確かに駅からすぐだ。道に迷わず健常者の足ならば、徒歩2,3分で到着するだろう。広尾という駅自体は、日比谷線しか通っていないのがネックだが、駅から近いという点では、とても便利なロケーションだ。
難病支援センターという公共施設なのに、何故新宿や丸の内などメジャーな場所にないのかと思っていたが、そういう商業的な一等地だと駅から遠くなったり、駅構内が広かったりして難病患者にはアクセスが難しくなるだろう。そういう点では、広尾のようなこじんまりとした駅の近くにある方が便利である。
自動ドアを抜けて中に入ると、小学生の時に通っていた近所の児童館のようなどこか懐かしいスペースが広がっていた。建物自体、築4,50年は経っているのではないだろうか。年季の入った緑色のビニル床は丁寧に磨かれている。
小学校の教室くらいの広さの右側のコーナーは事務エリア。左側に丸いテーブルが二つ並べて置かれ、それらを囲んで4,5人の人がおしゃべりしていた。中年の女性たちだけで、男性はいない。あれがきっと膠原病患者の交流会の参加者たちだろう。
「こんにちは、はじめまして」
私は自分でも意外なほど、すんなりとそのグループに声をかけていた。
皆にこやかに返事をしてくれる。
「お名前は?今朝お電話くれた方かしら?」
「はい、そうです。名前はキッツです」
「病名は?」
「皮膚筋炎です」
「あらちょうど、Mさんが同じ病気よ。彼女の隣に座った方が良いわね。同じ病気の方同士で情報交換した方がよいから」
グループのリーダーらしきグレーヘアーの女性に勧められるまま、Mさんの隣に座る。
Mさんは、偶然にも最寄り駅が隣同士の近隣在住の方だった。皮膚筋炎歴3年と先輩である。聞きたいことは山ほどあったが、初対面の方にあれこれ聞くのも失礼かと思い、抑え目で話そうと思ったが、いざ話してみるとMさんが積極的に話してくれたこともあり、話は弾んだ。自分以外で皮膚筋炎を患う方に会ったのは初めてのことである。その存在自体がありがたかった。聞くと、この会では4人ほど皮膚筋炎の患者さんがいるらしい。会員数が不明だが、多くはないと感じた。膠原病といえば、リウマチの患者が一番多いだろう。本やネットの情報では、皮膚筋炎の患者数が日本全国で約2万人という。その中で東京に住み、こうして患者同士の交流会に参加する人は少ないということか。この病気は筋肉に症状がでるため、歩行困難になり移動事態が難しくなる。そういう理由でも交流会に参加できる人は少なくなるのかもしれない。
「加齢のせいもあるって先生には言われたけど、私はそんなことないと思うんだけどね。それでも遠出をした翌日なんかは疲れちゃって大変よ」
私も買い物に出たり、長めの散歩をした翌日はどっと疲れて一日使い物にならなかったりする。数年経ってもそういう疲れやすさ、または体力の衰えは続くのかと落胆した。
「自転車の方が歩いているより楽ね」
同じ病気でも人によって症状が異なるということだろう。私の場合、全体的な筋力が十分でないせいか、自転車にはまだあまり乗れない。試しに家の周りを一周してみたことがあるが、翌日疲れと体の痛みのために、一日家でぐったりとしてしまった。しかし、散歩はほぼ毎日できる。退院から約半年経った今現在、ちょうど30分ならば、杖なくともゆっくりとなら歩き続けられる。Mさんの場合は、10分歩くので十分とのことだった。
「それにしても退院から半年で、よくそこまで回復しているわね」
向い側に座っている人の好さそうな初老の女性が、好奇心を含む眼差しを向けた。
「治療に入るのが早かったんじゃない?膠原病は、早期発見・早期治療が後々の回復期に響くのだけど、皆なかなか病名が判明しなかったりで、治療にはいるまで長くかかっちゃう人が多いのよね」
「長いってどれくらいですか?」
「半年とか1年とか。それ以上の人もいるわよ」
「そんなにですか。私の場合は、大学病院へ検査に行って即入院となったのですが、詳しい検査の前に皮膚科の所見ですぐに皮膚筋炎だろうと言われました。検査に1週間かかったのですが、それからすぐにステロイドの投薬が始まったので、きっと最速だったのでしょうね」
「そうね、良い先生にかかったわね。どこの病院?」
「所沢の防衛医大です。皆さんはどこにかかっているのですか?」
日本医大。慈恵医大。順天堂。東京都名だたる大病院の名前が次々と上げられたが、私と同じ病院へ通う方は一人もいない。今日の交流会リーダーの女性は、膠原病歴30年とのことだが、防衛医大へ通院している人は聞いたことがないとのことであった。
そんなにマイナーな病院なのだろうかと驚いたが、ここは難病支援センターの東京支部である。東京在樹ならわざわざ埼玉の病院へは通わないのだろう。
私は防衛医大が大好きである。
先生も看護師も真面目で懸命だ。もちろん個人差はあるが、入院中も外来通院でもとても良くしてもらっている。特に主治医の膠原科の先生は、質問には素直に答えてくれるし、診察時間が30分を超えても嫌な顔一つしない。先生も看護師も皆若く、元気が良いのも良い。人によっては、若い先生というのは経験不足で不安と感じるかもしれないが、私の場合は若いエネルギーがポジティブに作用していると感じられるので、防衛医大にかかって良かったと思っている。
「皆さんステロイドで治療しているのですか?」
「そうよ。ステロイドは本当に万能薬ね」
ムーンフェイスのような外見に現れる副作用がある人はいなかった。私は投薬歴7カ月のため、今まさに二十顎の満月顔である。プレドニン17.5㎎。20㎎以降副作用は減少傾向にあり、肺炎予防の薬、血糖値を抑える薬は必要なくなったが、ムーンフェイスは今が一番ピークである。
皆、1㎎や5㎎など、数㎎のステロイドを摂取し続けているらしい。その量では、ムーンフェイスは解消しているのは良いニュースだ。
「この会に来ていた方で、治ったっていう人がいて、主治医の指示の元、ステロイド投薬を完全に辞めた人がいたのよ。そうしたらね、病気が再発して再入院になっちゃった。色々と難しいわよね」
色々と、というのは、膠原病を完治したと判断すること。そしてステロイドを完全に辞めること。その判断を下す信用たる医師に出会うこと。そういった意味が含まれているらしい。
ステロイドは悪魔の薬とも呼ばれるほど、効く。
良くも悪くもとても効く。
たった1㎎でも飲み続けることで、抑えられる症状があるのだ。
その分副作用はすさまじい。
1㎎摂取でどれほどの副作用が出るのか、私には未知の世界だが、50㎎投与から始めて現在に至るまで、自覚しているだけでも15項目以上の副作用が現れている。薄毛、体重増加から、不眠、血糖値増加など、体の内外様々なところに影響がでている。
「ちょっと早めですが、帰宅ラッシュに被らないよう、お暇しても大丈夫でしょうか?」
時間は3時ちょうど。1時半から始まったので、1時間半情報交換という名のおしゃべりをしていたことになる。会は4時まで続く。はじめは集中力もあり元気に話せていたが、疲れを感じ始めた。とにかく体力・持久力がないのが、この病気の特性である。無理も禁物。下手したら動けなくなってしまう。
「もちろんよ。出入りも自由よ」
「また来月もお願いします。今日はどうもありがとうございました」
月に一度、第4月曜日に開催されることを確認し、私は広尾の会場を後にした。
インターネットや本などから得られる情報はある。
しかしこうやって接同じ病気を抱える者通し会話をするのは有意義だと感じた。
他の患者の状況を知り、その対処方法を聞くこと。
患者同士話し、辛さを分かち合うこと。
この会の翌日、予想通り疲労困憊で、一日使い物にならなかった。しかし片道1時間半かけ、勇気を振り絞って参加した意義はあった。体は疲れても、心はポジティブになれたのだから。
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