第28話「君に会いたくて」
28話「君に会いたくて」
すぐ近くに彼女がいた。
彼女の住んでいる場所を知っていた。
それなのに、しずくに会いに行かなかったのは自分の弱さ故だと、白自身が自覚をしていた。
実際、しずくと連絡先を交換しなかったのも、弱さが理由だった。
大好きな相手と連絡先を交換したいと思うのは当たり前の事だった。
だが、彼女に断られたらどうしようか?
連絡が来なくなったら?
彼女が昔を思い出してしまったら、彼女から連絡が来なくなるのではないか。
彼女からの連絡を待つのは、きっと辛い。だったら、知らなければいい。
そんな子どものような考え。自分は幼いのかもしれないとも思った。
実際、彼女よりも10歳も年下だ。
こんな女々しくて頼りがいもない男に、彼女は惹かれてくれるのだろうか。
そんな事を告白した当時は思っていた。
だが、少しずつしずくと話すようになると、彼女が自分を嫌っていない事を感じられた。
彼女の笑顔が、日を増すごとにキラキラと光るように眩しくなっていたし、話す言葉も柔らかく、そして弾んで聞こえるようになった。
しずくが自分の事を思い出せたら、きっと告白に応えてくれるのではないか。
そんな淡い期待もあったのは事実だ。
そして、彼女を知るうちに彼女は途中でどんなことがあっても自分の前からいなくなることはないと思った。
彼女は必死で自分の事を思い出そうとしてくれており、思い出すまで頑張ってくれている。
たとえ、その後にどんな結果になろうとも、最後まで目を見て話してくれる。
そう信じられるような強い女性だった。
そして、実際にしずくは今でも白から逃げずに話そうとしてくれている。
白を信じて、熱い日差しの下で毎日のように待ち続けている。
それなのに、どうして彼女の元へ一歩踏み出せないのか。
その理由は自分でもわかっていた。
でも、そこから逃げていたら他の男に大切な彼女を取られてしまう。
彼女を狙う男と面と向かって話すことで、やっと実感できた。
本当に弱い男だと、自分で思う。
大好きな女性に待ってもらい、ライバルに背中を押されているのだ。
そんなことをされてまで、行動しないほどダメ男になってはいない。
白は、そんな事を長々と考えながら夏の夜道を走っていた。
夜になり幾分涼しくなっていたが、身体を動かせば一気に汗が出てきた。走りながら腕で額から流れる汗を何回も拭いて、足を動かし続ける。
すぐに呼吸が荒くなる。日ごろ、ほとんど自宅で座っての仕事だ。
運動不足であるのは自覚していたが、自分の体力のなさに情けなくなる。
筋トレだけじゃだめだな、など何故か自分の運動量を心配してしまっているのは、きっと冷静になりたかったからだろう。
「今さら逃げないさ。」
何回彼女の笑顔を思い出してきただろうか。
ずっとずっと求めていた。
彼女の隣、という居場所を。
それを掴みに彼女の元へと走った。
しずくの部屋がありマンションに着く頃には、汗がとめどなく出ていたし、髪も服も乱れていた。
以前、自分の誕生日に走ってきた彼女と一緒だな、と思いながら肩から掛けていた小さなバックからハンカチを取り出して顔の汗を拭きながら、マンションの扉をぐぐった。
しずくの部屋は、以前部屋から出てくる彼女を見た事があったので、大体は覚えていた。
彼女に関することは、間違えていないと自信があった。
はーはーっと、早く呼吸をしていたが、いちど大きく深呼吸をする。
茶色のドアの先には、しばらく目を合せる事がなかった愛しい彼女がいる。
それを思うと、自然と手がインターフォンに伸びていた。
部屋の中から、明るい音が響いてくるのが聞こえる。
もう夜中と言っていい時間。廊下にも響いているように感じてしまう。
しばらくすると、小走りに走る音が聞こえ、ドアが勢いよく開いた。
しずくさんに会える。
しずくさんの顔が見える。
しずくさんが好きだ。
そんな事を一瞬のうちに思った。それは、時間すると数秒だ。それなのに、彼女が大粒の涙を流し何かをずっと我慢しているような切ない顔で自分を見て、そして胸に飛び込んでくる姿がスローモーションのようにゆっくりと見えた。
気づくと、白の胸の中で「ごめんなさい。」と小さな声で繰り返しながら、身体を震わせ、しずくは泣いていた。
「しずくさん・・・。」
身体で感じる温かさは、暑い夏の夜の中でも全く不快ではなく、心地いい気分にさせてくれた。
それは、彼女の温かさのためだというのは当然の事。
目の前にずっと会いたかった彼女がいる。さらに、自分の腕の中にすっぽりといてくれる。自然と彼女を抱きしめていた片手で彼女の頭を優しく撫でる。
泣かせるつもりなんてなかった。本当ならば笑顔の彼女に会いたかった。
でも、自分が原因で泣かせているはずなのに、何故かそれが嬉しかった。
しずくの涙が移ったのか、白の目頭が熱くなる。
「白くん、会いに来てくれて、嬉しい・・・。」
泣きながら一語一語ゆっくりとそう言葉を紡ぐしずくの声を聞いて、我慢は限界だった。
白は、しずくの身体を掻き抱き、一粒の涙を静かに零した。
それに気づいたのは誰もいなかった。
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