第25話「見守る視線」

 


   25話「見守る視線」



 しずくに出来ることは少なかった。

 もちろん、職場で白の事を聞いたりもしたが、10年前の事だ。覚えている職員はいなかった。

 もしいたとしても、白の今を知っているとは思えなかった。

 白の事を知っているとすれば、デザイン関係の仕事をしている事。そして、彼の乗っている車の種類ぐらいだった。

 同じ車を見かけるたびに、運転手を見てしまうようになっていた。

 住んでいるところも、そう遠くないと聞いていたが、詳しい場所はほとんど知らない。

 彼の事を全く知らなかった事に、しずくは改めて気づいてしまった。

(自分が彼を思い出そうとする事でいっぱいいっぱいになってたんだな。)

 そんな風に申し訳なく思ってしまう。


 そんなしずくが縋るように毎日している事がある。

 それは、白を真似する事だった。



「ふー暑いなー。」


 日陰に身を寄せていても、8月の暑さはほとんど変わらない。

 しずくは持参しているスポーツドリンクを一口飲んだ。

 暑さ対策で、麦藁帽子を被り、暑さを少しでも凌いでいた。

 

 それでも、この公園にいることはしずくにとっては、とても心地いいもので、苦にはならなかった。

 バックから読みかけの本をより、読書を始めるが、毎日集中出来なくて、読み終わる気配は全くなかった。


 しずくは、終わりに必ず公園で数時間過ごすようになっていた。

 もちろん、数ヶ月前に白が毎日しずくの仕事終わりを待ってくれていた、あの公園だ。

 仕事が早い時間に終われば、その分長い時間滞在したし、遅ければなるべく早く帰るようにしていた。それでも、最低1時間はここで過ごすようになった。

 そんな生活がもう1週間はすぎていた。

 暑さだけが大変だが、しずくはそれを耐えた。

(白は寒い中待っていてくれたんだから。今度は私が頑張るんだ。)

 そう思っていると、何故か疲れを感じなかった。

 だが、1ヶ月前と違う事がある。

 

 それは、帰る時に1人だという事だ。

 しずくが待っている白は、まだ1度も姿を表さないのだ。


 今日は早番だったため3時間ぐらい待った。

 しずくはまだ待ちたい気持ちもあったが、明日も待つ事を考え、今日は帰ることにした。体力がなくなってしまえば、毎日来ることは出来なくなるのだ。

 そして、座っていた場所にスターチスの花を置く。

 もし、しずくがいない時に彼が来たとしても、自分がここにいた事を伝えてくれるように。

 これも白の真似だ。


 ほとんどの場合、翌日もベンチに花が置いたままになっていた。だが、違う場所にあったり、なくなっている事もあった。

 初めは白が来たのかなっと期待もしたが、子どもがよく訪れる公園だ。ベンチにあるものを触ったり、持って帰ったりする事も当然あるだろう。

 そのため、なくなっていても白が来たと思う事は、期待しすぎだとわかっていた。

 でも、少しだけ期待してしまうのを、しずくは止めることが出来なかった。



 しずくは、ひとつため息をつきながら、ベンチから立ち上がり、後ろ髪を引かれる思いで公園を後にした。





 ☆★☆



 公園から出て行くしずくを、同じくため息をつきながら見守る人がいた。

 彼女が去ってから、十分時間が経った後、その男は彼女が座っていたベンチに近づいた。

 そして、寂しげに置かれているスターチスの花を立ったまま見つめていた。

 

 白は、あれからずっと公園に毎日のように通っていたのだ。

 だが、いつもとは違う場所で。

 彼女に会う勇気が出ず、彼女が来ない時間になるべく来るようにしていた。

 この公園に来るのをやめてしまえば、もうしずくとの縁が本当に切れてしまうように感じていたのだ。


 そして1週間前から、しずくがこの公園で何時間も過ごしているのを知った。

 その姿を見て、何度も近づこうとしたが、白はその勇気がなかった。

 ただただ、見ているだけしか出来なかったのだ。


 しずくが、この公園で待っているのは自分だろうと、白も気づいていた。

 待っている事やスターチスの花を置いていく事が、白の行動と全く同じなのだから。

 だが、どうして彼女が自分に会おうと思っているのか。

 それを考えると、どうしても不安になってしまうのだ。

「あなたの過去を思い出しました。なので、もうおしまいにしましょう。」としずくに言われてしまうのが。


 当初、しずくに思い出してくれるようにお願いした条件は「僕が待ち伏せをやめる。」という事だ。

 思い出せば、公園で彼女を待つのをやめると宣言した。

 それまでに、彼女に好きになってもらおうと頑張っていたし、少しは好きになってくれたのではないか、と白は思っていた。

 だが、それは白だけの思い違いだった。

 

 彼女の誕生日の日に、初恋の相手に会っていた。

 そんな大切な日に、異性に会う事があるだろうか。きっと、まだ好きだったのだろう。だからこそ、必死に白の過去を探っていたのだっと思った。

 デートに行ったのもヒントをもらうためだし、自分を待ってくれたり、部屋に誘ったのも、少しでも思い出すきっかけをつくろうと思ったからだ。


 本当はそうだったかもしれない。

 だけど、白は諦め切れなかった。

 彼女の気持ちも、彼女の想いも。


 そこまで過去を思い出そうとしてくれていた。必死の彼女を見て、白はさらにしずくが好きになった。

 10年も会わずにいたのに、彼女は変わっていなく、そしてもっと魅力的になっていた。

 

 そして、そんな彼女がこんな長い間思い出さないという理由だけで、自分を待たせたり、出掛けたりするだろうか、とも。

 本当に嫌いになれば、その時に断っていただろうし、楽しそうな笑顔を見せることはないのではないか。

 そして、仕事で疲れているのに暑い中外で待ち続けるだろうか。


 しずくは、過去を思い出してくれる。

 そして、自分を待ってくれている。

 それだけでも十分なはずなのに、彼女の気持ちさえも期待してしまっているのだ。

(僕は、わがままだな。本当は気持ちを伝えるだけで十分だったはずなのに。)

 告白する前は、10歳も年下の自分の事をしずくが相手にしてくれるとは思っていなかった。だから、気持ちさえ伝えればよかったのだ。

 なのに、直接話しをした瞬間、それだけでは足りなくなった。

 もっともっと彼女と一緒にいたいと思ってしまった。彼女の笑顔をもっと近くで見たいと思ってしまった。


 彼女が欲しいと思ってしまったのだ。



 今は彼女の事を信じるしか出来なかった。

 それでも不安になって会う事が出来ない。


 今日何度目かのため息をついた瞬間。


「女々しい男だな。こんな男のどこがいいんだか。」


 そんな乱暴な言葉を背中に言い捨てたれた。

 白が振り向くと、長身細身で、顔が整った黒いスーツの男が立っていた。今は不機嫌そうな目をしており威圧感があるが、それさえもモデルのようで様になっている。

(あーモテる男って感じだなー。)と、内心暢気に思っていた。


「君が、しずくの知り合いだろう?こんな公園に成人した男がいるなんて、それしか考えられないしな。」


 その男が「しずく」という言葉を出した瞬間、白ははっとした。


「ちょっとお茶でもしようぜ。」


 その大人な男は、そう言うとさっさと歩いて行ってしまう。

 

 白はその男が誰だかすぐに理解した。

 そして、しずくの初恋相手の後をゆっくりと追って歩き始めた。

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