第23話「記憶の断片」

  


   23話「記憶の断片」

 



 

 あまり嗅ぎ慣れない苦い香り。

 その香りに包まれて、しずくは「たばこの匂いでも安心することもあるんだ。」と、何故か冷静になっていた。

 普段ならば嫌いな匂いなのに、拒みたくないのだ。

 この温かいぬくもりに包まれていれば、きっと自分は幸せになるのだろう。

 そんな風に思ってしまう。

 でも、きっとそれがこの寂しいという気持ちをうめるために甘えているだけの感情。



 しずくの本心では彼ではない違う人を求めているのだ。



 まだ出てくる涙をぐっと堪えて、しずくは光哉の温かさに包まれながら両手で目を擦った。

 すると、光哉はゆっくりと身体を剥がしていき、心配そうにしずくを覗き込んでくる。

 甘えてしまった申し訳ない気持ちと、キスをされ、更に泣き顔を見られてしまった恥かしさから、しずくはすぐに目線をそらしてうつむいてしまう。

 

 恋愛経験があまりないしずくは、どうしていいかわからない。

 先ほど、予想もしなかった展開にパニックになり、「白がいい。」と、拒否を示すような態度さえしてしまっているのだ。

 しずかな部屋の中で聞こえるのは、光哉と自分の心臓の鼓動のみ。その状況が更にしずくに緊張感を与えていた。


「もう少し抱きついててもよかったのに。」


 その静けさを壊したのは光哉だった。

 光哉は、彼らしい明るい口調でそう言い、小さく両手を広げ抱きつくのを求めるようにしながら笑顔を見せていた。

 しずくが困っていたのをすぐに察知して、咄嗟にこんな冗談を言ったのだろう。

 その優しさが、しずくにはとても嬉しかった。


「もう大丈夫です。ありがとう、光哉くん。」

「・・・そっか。あー、でも、俺、告白する前に雨ちゃんにふられちゃったな。」

「っ・・・それは、光哉くんがあんな事するから。」


 すねるように言う光哉に、しずくはキスの事を思い出し恥かしくなりながらも、返事をする。

 彼に合わせるように、極力明るく。それが彼と普通に関係に戻る方法だと彼が示してくれているのだ。


「初恋相手で、しかも今でも好きになった相手には我慢できないよ。」

「光哉くん・・・。」

「まぁ、今日ここまで運んだお礼って事で・・・。あ、でも、それだけじゃ失恋の寂しさは癒えないだろうから・・・あ、この綺麗な石を貰おうかな!雨ちゃんだと思って大切にするから。」

「えっ!?光哉くん、ちょっと・・・。」


 そんな事を言うと、光哉はベット近くにあった小さななスターチスの花の石をひょいっと持った。

 そして、すたすたと部屋を出ようとする。


 光哉が持って行ったのは、大切にしていたスターチスの宝石。

 白から貰ったスターチスの花を、しずく自身がレジンで固めて作ったもの。

 毎日それを眺めて白を想っていた。そして、毎日笑顔で話していた頃を思い出せる、大切なもの。


「光哉くんっ!それはダメっ!お願い、返してっ!」


 しずくは、大きな声を出しながらベットから立ち上がり、光哉を追いかけようとした。

 だが、しずくの声を聞いても彼はこちらを振り向こうともせずに、ただ返事の代わりに片手を挙げて歩いて行ってしまう。

 しずくは、走って追いかけようとするが、酔いがまだ抜けていないのか、足がもつれてしまい、数歩歩いただけでテーブルにぶつかり、その場に倒れてしまう。


「待ってっ・・・。」


 玄関のドアに向かって手を必死に伸ばすが、無情にも彼の姿はもうなくドアはバタンと音を立てて閉まってしまう。

 残ったの泣き腫らした目で、唖然とするしずくと、ぶつかった衝撃で床に紙が落ちてくる微かな音だけだった。


 

 その瞬間。

 しずくは頭の中に今とは違う映像が流れる。

 自分が誰かを追って走っているのだ。後姿は、まだ成人にもならない学生の男の子だろうか。

 自分は何かを呼びながら、呼吸を上げて必死に追いかけている。

 だが、その男の子はこちらを振り向かずに、走って行ってしまう。


 そのまで頭をよぎり、その後はいつものしずくの部屋に戻っていた。


「今のは、昔の記憶・・・。忘れていた過去?・・・じゃあ、あの男の子はもしかして・・・。」


 何かを掴めそうな感覚がしずくにはあった。

 だが、それ以上は思い出せず、しずくはため息をついた。


「そう上手くいかないか。」


 そう残念そうにつぶやく。

 ゆっくりと立ち上がろうとすると、テーブルにぶつかった足が痛んだ。見ると赤く腫れている。


「しょうがない・・・。あ、そういえば、テーブルから何か落ちたんだ。仕事の書類かな。」


 そんな風に思いながら、床を見ると、目の前には数枚の書類が落ちていた。それを、座ったまま拾い上げた。そして、最後の1枚がベットの下にあるのに気がつき手を伸ばした。


「あ、これって・・・・。」


 書類とは違うものだった。

 色鮮やかなな花々に囲まれてニコリと笑う女性が描かれたイラスト。

 もちろん、それはしずく自身である。

 白からプレゼントでもらった似顔絵の自分は、とても綺麗に笑っていた。


「・・・今は、こんな風に笑えないよ、白。」


 そんな事を言いながら、その紙に手が触れる。

 が、その瞬間。またもや目に映る映像が違うものになる。

 自分の手に収まる紙。そこにも、同じように花に囲まれる女がいる。

 花はピンクのスターチスで、女は今よりも若い雰囲気がある。そして、イラストも荒さがあり、白から貰ったものよりも下手だった。

 それでも丁寧に描かれているのが分かるものだった。


 その絵の花に触れようとすると、また映像が変わる。

 今度は白に貰った絵が手に中に納まっている。


 その荒削りだけど妙に惹かれる絵。

 しずくは、見た事があった。

 そう、あれもある人から貰った者だった。


「私、あの絵を知ってる。追いかけたあの人も。」


 しずくは、独りつぶやく。

 一粒の涙を流しながら。



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