第3話「好きだった言葉」

   3話「好きだった言葉」


 白の過去がわからないまま、数日が過ぎた。

 

 4月も近づき、もう少しで新年度を迎える。どの企業も忙しい年度末だが、保育園にてってもそれは同じだった。

 入園してきる子どもを迎える準備をしたり、新しいクラスの子どもを前担任から引き継ぎをしたり、保育室の準備や書類も沢山ある。保育士は、子どもと遊んでいるだけと思われている事も多いようだが、保育以外にも書類が山のようにある。

 年間の目標や月案、週案、子ども一人ひとりの毎月の目標やねらいも書いたりもする。それらが4月になると一気に仕上げなければならないのだ。もちろん、今のクラスの子ども達の進級の準備や保育の仕上げもある。


 そんなこんなで、しずくも忙しい日々を送っていた。


 保育士はもちろん、シフト制の勤務のため、しずくの勤務時間は毎日違っていた。

 白に出会ってから、一度、早番でしかも残業をしてから帰宅しようとした事があった。すると、白はいつもの公園で真っ白な顔になって待っており、体も寒さで震わせていたのだ。

 しずくは慌てて、ホットコーヒーを買ったり、持っていたマフラーなどを貸して温めてあげながら、何時間待っていたのかを白に問い詰めた。始めは言葉を濁していたが、しずくがしつこく聞くと、3時間もの時間外で待っていたと言ったのだった。

 3月の終わりといえどもまだ寒い。特に日が沈む時間になると、冬の寒さと同じだろう。

 しずくは白をしっかりと叱り、もう待たなくていいと伝えたが、もちろん彼が止めるはずもなく。

 その日から、白に次の日の就業時間を伝えるのが決まりとなっていた。


 

 今日も、しずくは残業をしたため白に伝えた通りの時間に仕事を終わらせることは出来なかった。急いで帰りの私宅をしていつもの公園へと向かう。

 心の中では、お願いしているわけでもないのに、どうして自分が急がなきゃいけないのか、と疑問もあった。

 

 だが、彼はまだまだ諦めてもいないようだ。そしてしずくも、白との過去を思い出せていない。

 だからと言って、彼を寒空の下で長時間待たせるわけにはいかない。いくらなんでも白が可哀想だと思ってしまう。

 そう思うと、いつも仕事終わりは急ぎ足になってしまうしずくだった。


 公園に着きそうになると、いつも彼は入り口から顔を出して「お疲れ様です。」と笑顔で挨拶をする。

 だが、今日はその姿と言葉はなかった。その代わりに、公園から泣き声が聞こえてくる。

 もちろん、彼の者ではなく子どもの泣き声だ。

 

 しずくは、驚いて走って公園の中に入ると、見慣れた男性の姿と、小さな体を震わせて泣いている男の子が見えた。


「おーい。泣いててもわからないよー?どうしたのー?」

「わぁぁぁぁぁーーーん!!」

「迷子?」

「おかぁーーーさぁーん!」

「・・・・。」


 白はどうしていいのかわからずに、少年の目の前でおろおろしている。そして、そんな不安な彼の気持ちを見透かすかのように少年の泣き声もどんどん大きくなっている。

 そんな彼の姿を見て、しずくは何故か微笑ましい気持ちになり、ゆっくりと2人に近づいた。そして、少年の目線に合わせる様にしゃがんで話を書けた。


「僕、どうしたの?」

「しずくさん………。」

「・・・・。」


 白と少年は、声がした方を同時に見て驚いた顔を見せた。白は、安心した顔で「助かりました。」と言い、少年は驚きで泣くのを止めていた。

 しずくは、泣き止んでいるうちに話を聞こうと、少年の方を向いた。4歳ぐらいの子どもだったので言葉はわかるだろうと思ったのだ。


「僕、何歳なの?」

「・・・・4歳。」

「4歳か!すごいねー。もうお兄さんだね。」

「・・・。」

「お名前は?」

「あおい。」

「あおい君はお名前を言えるなんて立派だねー。すごいすごい!どうして泣いてたの?」

「・・・お母さんがいないの・・・。」


 そこまで話すことは出来たが、泣き虫なのかあまり大人と話す事に慣れていないのか、今にも泣き出しそうになっていた。

 4歳だと自分の家まで道案内をするのは無理だと思い、しずくはまた笑顔で話をする。その様子を白は、じーっと観察するように見ていた。子どもの相手をする事はあまりないのだろう。


「じゃあ、お姉さんと一緒に探そうか。悪い人がいたら守ってあげるからね。」


 そうして、あおい君を抱き上げると、泣きそうな表情は消えて、少し安心した様子だった。高くなった視界に喜びながらも、周りをキョロキョロ見渡している。しっかりと自分で母親を探そうとしているようだった。


「しずくさん、その子どうするんですか?」


 ずっと静かに見守っていた白が、恐る恐るしずくに話しかけてきた。また、あおい君に泣かれるのではないかと、少しビクビクしているようだ。

 しずくは「大丈夫。」と、あおい君に「この男の人も一緒に探してくれるんだって。」と話すと、こくりと頷いて了承してくれたようだ。それを見て、白は嬉しそうに笑った。この状況だとどちらが年下なのだろうか、と思ってしまう。


「とりあえず、公園の周りを回ってみて、それでも見つからなかったら駅前まで出て探してみるつもり。」

「わかりました。」


 白は、当たり前のように着いてくるようで、いつものようにしずくの隣りに並んで歩き始めた。

 ゆっくりと、公園の付近の住宅街を歩いてみるが、子どもを捜しているような人は見かけなかった。

 日も沈もうとしており、薄暗くなってきた。あおい君は、不安そうにしずくの服をぎゅっと掴んだ。


「大丈夫だよ。お母さん見つかるから。」

「うん!」


 しずくの言葉に安心したのか、あおいは初めて笑顔を見せた。そして、すっかりしずくに懐いたようで胸元に顔を埋めて抱きしめてきた。しずくは、あおい君が安心している姿を見てホッとしていた。

 が、白は違うようだった。

 何故か、少し恨めしそうにあおい君を見ており、しばらくするとずっと黙って見ていた彼があおい君に話しかけたのだ。


「あおい君。お兄さんが抱っこしてあげようか?」

「・・・。」

「お姉さんはずーっと抱っこしてるから疲れちゃうと可哀想だろう?」

「・・・お姉さんがいい。」


 そんな白の言葉を頑固として拒否するあおい君は、全く白を見ようとせずに、フンッとそっぽを向いてしまった。

 だが、白も諦めないようで、あおい君を抱っこしようと体に手を伸ばした。

 すると、あおい君は敏感に察知に、白の肩を強く叩き「やだー!きらい!!」と大きな声で騒いだのだ。

 白は、驚いて呆然と少年を見ていた。きっと頭の中では「怒らせたー。嫌いって言われた。」とショックを受けているのだろう。体と顔が固まっている。

 しずくは、心の中で「やれやれ。」とため息をつきながら、あおい君を地面に降ろし、また彼の目の前にしゃがんだ。


「あおい君、叩くのは駄目だよ。」


 優しくだが、しっかりとした口調でそういうと、あおい君は怒られると思ったのか顔を歪ませた。

 だが、しずくはそこでも話すのはやめない。少年の目を見て、声を掛け続けた。


「お姉さんは怒ってるんじゃないよ。お話しをしてるだけ。叩くのは良い事かな?」

「・・・だめ。」

「そうだね。じゃあ、お兄さんに、どうすればいいのかな?」


 そう言うと、あおい君はトコトコと歩いて白の近くに行き、白のズボンの布を掴んだ。そして、彼を見上げながら「ごめんなさい。」と小さい声でそう言ったのだ。

 白は驚きながらも、「うん。大丈夫だよ。」と、優しく微笑み掛けたのだった。



 その後は「お兄さんの方が背が高いから、お母さんの事をすぐに見つけられるかもしれないよ?」という、しずくの提案をあおい君は「うん!」と笑顔で頷き、めでたく白が少年を抱っこすることに成功した。

 何故彼があおい君の事を抱っこしたかったのかはわからなかったが、しずくは勝手に「子ども好きなのかな?」と思うことにした。

 白が抱っこするとすぐに、あおい君の母親は見つかった。

 冬なのに顔を真っ赤にして、汗をかいていた。ずっと探し回っていたのだろう。あおい君を見つけると、「よかった。」と目を潤ませながらあおい君を抱きしめていた。

 あおいの母親は、しずくと白に何度もお礼を言い、あおい君も「ありがとう!」と笑顔で手を振って、2人と離れたのだった。



 無事に事件が解決して、しずくと白はいつもの帰り道をゆっくりと歩いた。大分遅くなっていたが、2人は満足そうな顔をしている。


「さすが、現役保育士さんですね。すぐにあおい君が懐くなんてすごいです。」

「そんな事ないよ。あおい君がいい子だっただけだよ。」

「僕だけだったときは、ずっと泣いてたんですよー。すごいですよ、本当に。」


 と、興奮しながら白はしずくを褒めていた。きっと、あおい君に泣かれてどうしていいのかわからなかったのだろう。少年を前におろおろする姿は、今でも忘れられない。


「それに、あれ、懐かしかったです。」

「あれ?」

「怒ってるんじゃないよ。お話ししてるだけだよ。ってやつ。それ、すごく好きなんです。」


 白は、しずくを見つめながらも遥か昔を思い出しているような、そんな瞳で嬉しそうに笑ったのだった。

「それをどこで?」と聞こうと思いながらも、白のキラキラした笑顔を見て、しずくはドキリとしてしまった。

 

 私は、それが好きかもしれない、なんて思ってしまう自分に驚きながらも、彼の笑顔から目が話せなくなっていた。


 それをどこで聞いたのか?そして、白を知りたい。しずくは、そう強く思った。

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