第176話 怪談
怪談。
それは実際にはあり得ないことを、まるで本当の出来事であるかのように話すことをいう。
決して、本当の出来事ではない。
本当の出来事であるなら、それはただの事実だ。
そして、その題材は恐怖体験であることを条件とする。
それ以外の題材であるなら、それは単なる空想だ。
また、それ自体は季節に関わるものではない。
しかし、夏に話されることが多い。
その理由は涼を取るためだ。
もちろん、実際に室温が下がるわけではない。
恐怖に震える。
それを疑似的に体験することにより、体感温度を下げるのだ。
そう説明すると、エアコンが一般家庭に普及した現代では意味のない行為のように思える。
エアコンで快適な室温を保てるのであれば、恐怖に震えるなどという手段により、体感温度を下げる必要などないからだ。
それに考えても見て欲しい。
恐怖というのは、通常、命の危険かそれに類するときに感じるものだ。
涼を取るために、命を危険にさらす。
狂気の沙汰である。
いくら疑似的とはいえ、その発想自体に背筋が凍る。
だが、これは逆の方向から考えることもできる。
つまり、昔の暑さというのは、そうでもして涼を取らなければ、命に関わるものだったということだ。
ならば、エアコンという手段で暑さを克服できるのであれば怪談は、必要ないかというと、そういうわけでもない。
現代でも怪談をおこなう者はいる。
ただし、昔とは違い、娯楽という形でだ。
恐怖を体験したい。
ただそれだけのために、現代の怪談は存在する。
「あれ?」
「どうしました~?」
「エレベーターに点検中って書いてある」
それが全ての始まりだった。
☆★☆★☆★☆★☆★
「じゃあ、歩いて降りるしかないですね~」
一緒に休憩に来ていた後輩が、そう提案してくる。
「まあ、そうなんだけど」
確かに階を移動する手段は限られている。
エレベーターか階段。
エレベーターが使えないなら階段しかないだろう。
問題は距離だ。
現在の場所は12階のリフレッシュルームで職場は2階。
10階分を降りる必要がある。
正直、かなりしんどい。
「点検って、どれくらいで終わるのかな?」
「1時間はかからないと思いますけど~」
上がって来たときは普通に使えた。
それが休憩を終わって戻ろうとしていたときには、使えなくなっていた。
ということは、始まってからそれほど時間は経っていないということだろう。
「1時間は待ってられないな」
さすがに、そんなに長時間、クエスト(お仕事)を中断するわけにはいかない。
「覚悟を決めて、歩いて降りるしかないかな」
「下りだから、楽ですよ~」
そうして1歩を踏み出した。
・・・・・
カツン・・・カツン・・・カツン・・・
足音が響く。
「蒸し暑いな」
「フロアと違って、冷房が効いていないですからね~」
カツン・・・カツン・・・カツン・・・
階段とフロアは扉で区切られている。
関係者以外が無断で入ることができないようにするためだ。
「くるくる回って、目が回りそうですね~」
「そうだな」
カツン・・・カツン・・・カツン・・・
半フロア分を降りるごとに、向きを変える階段を降りていく。
1階2階降りる分には問題ないが、何度も繰り返すと方向感覚が狂いそうだ。
「そう言えば、こういうのって七不思議に出てきそうですよね~」
「終わりがないとか、無いはずの階に着くとか?」
「そうそう~」
カツン・・・カツン・・・カツン・・・
後輩の言葉になんとなく、階数の表示を見る。
6階・・・5階・・・
特に問題はない。
普通だ。
当たり前のことだが、ほっとしてしまう。
カツン・・・カツン・・・カツッ
「やっと着きましたね~」
「けっこう疲れたな」
下りは楽と言えば楽なのだが、蒸し暑さと頻繁に歩く向きを変えるのとで、意外と体力を使った。
ぴっ。
扉の電子認証に社員証をかざす。
「・・・・・」
「・・・・・」
ぴっ。
もう1度かざす。
「・・・・・あれ~?」
「・・・・・反応しない?」
いつもなら音がして錠が外れるはずだ。
だが、無反応だ。
後輩の社員証をかざしても同様だった。
「故障かな?」
「分かりませんけど、ビル管理の人に連絡しないとダメですね~」
エレベーターには非常用の電話がある。
扉を見る。
そのようなものは見当たらない。
「・・・・・どうやって?」
「・・・・・フロアに戻ってからですかね~」
その肝心のフロアに入るための扉を見る。
電子認証は反応せず、開けることはできない。
となれば、別の方法でフロアに入るしかない。
階段を見る。
「・・・・・上るしかない?」
「・・・・・ですね~」
下りでもそこそこ疲れた階数を、今度は上る。
・・・・・
想像して、ぞっとした。
「階段って・・・・・怖い」
その呟きは、自分と後輩しかいない空間に溶け込んでいった。
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