第173話 良薬は口に苦し

 人類は薬と共に生きてきた。

 医療の進歩によって、薬草の状態か錠剤の状態かによる違いはあるが、病気や怪我を負うと薬に助けを借りてきた。


 しかし、人類は同時に毒と共に生きてきた。

 害虫を駆除するために、害獣を駆除するために、ときには人間を毒殺するために。

 利益を得るために、毒を利用してきた。

 善意であることもあれば、悪意であることもあるが、誰にとっての利益かは別として、利益になるから利用してきたのだ。


 だが、薬も毒も、効能を理解した上で正しく使ってこそだ。

 薬も量を間違えれば恩恵を受けることはできない。

 量が少なければ効果が薄い。

 それだけならば、まだマシだが、量が多ければ毒にもなる。


 酒は百薬の長、されど万病の元。


 嗜好品であるアルコールでさえ、そうなのだ。

 あらゆることには、表と裏、良い面と悪い面がある。

 それは、冒険者(サラリーマン)によっても無関係ではない。


「夏季休暇明けは、なんだか怠いな」


 冒険者(サラリーマン)にとって長期休暇は、心身を回復させる薬であると同時に、心身を蝕む毒でもある。


☆★☆★☆★☆★☆★


「あはようございます」


 ギルド(会社)に到着して、フロアに入り、挨拶をする。

 夏季休暇前と同じ時間帯。

 だが、誰もいない。

 夏季休暇の余韻に浸って、ゆっくりと出社する者が多いのだろう。

 その気持ちを否定する気はない。

 自分も怠さを感じるからだ。

 身体は充分に休息を取っている。

 だが、なんとなく怠い。

 心が休暇に馴染んでしまっているのだ。

 クエスト(お仕事)の緊張感を取り戻すのに、しばしの時間がかかりそうだ。


「おはようございます~」


 コーヒーを飲みながら、頭の回転を上げていると、後輩が出社してきた。

 元気な挨拶。

 怠さは無さそうだ。

 だけど同時に緊張感も無さそうだ。


「おはよう」


 挨拶を返す。

 考えてみたら、彼女が緊張している様子を見ることは、ほとんどない。

 ある意味、常に平常心を保っているとも言えるので、こういうときは羨ましくもある。

 そんなことを考えていると、課長が出社してきた。


「おはよう」

「おはようございます」

「おはようございます~」


 役職が上だが、ゆっくりと出社するというわけでは無かった。

 むしろ、いつもより早いくらいだ。

 そんなこちらの視線に気づいたのか、答えを教えてくれた。


「学校はまだ夏休み中だからな。子供に格好悪い姿は見せられないよ」


 思春期の子供を持つ親は大変だ。

 なにはともあれ、これでメンバーの半分が揃った。

 残りは魔法使い(PG)たちだ。


 魔法使い(PG)たちが揃って、まだ来ていないという状況だが、弛んでいるというわけではない。

 もともと、魔法使い(PG)たちは夜遅くまでクエスト(お仕事)をすることが多いし、第一まだ始業時間前だ。

 もっとも、夏季休暇明けの初日だから、前日の夜に遅くまでクエスト(お仕事)をしていたということは無いのだが、そこには目をつぶろう。

 日常のサイクルは大切だ。

 下手に崩すと、クエスト(お仕事)の効率も落ちることがある。


「おはようございます」


 始業時間の15分前。

 魔法使い(PG:女)が出社してきた。


「おはようございます」


 始業時間の10分前。

 魔法使い(PG:男)が出社してきた。


 プルルルル・・・


 始業時間の10分前。

 電話がかかってきた。


「午前休だそうです~」


 魔法使い(PG:ベテラン)は出社してこなかった。

 まあ、こんなものだ。

 だいたい、職場に一人か二人は、長期休暇明けに、すんなり出てこない。


 良薬は口に苦し。


 そんな人にとって、長期休暇は薬ではなく、毒になったのだろう。


「昔より夏季休暇の日数が増えたが、後半は時間が余ってしまって、ゴロゴロしていたよ」


 課長がそんな夏季休暇の思い出を語る。

 だが、同意できる意見でもある。

 二分割くらいで休暇を貰えた方が嬉しい気もするが、それはそれで寂しい気もする。


「分かります。それに、時間が余ると、とんでもないことをしだす場合もありますし。セミを捕まえたりとか」


 ちらっと、魔法使い(PG:女)が後輩を見る。


「?まあ、たまに童心に帰りたくなることもあるね」


 とんでもないことだろうか、という顔をした課長だが、無難な相槌を打つ。


「おいしかったですよ~」


 感想が、楽しかった、ではなかったことに首を傾げる課長。

 ちなみに、セミの抜け殻は漢方薬にもなるそうだ。

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