8月26日-2-
洗面所に向かうと芹香が鏡の前で顔をぺちぺちと叩いていた。
化粧水?だろうか・・・女性は大変だなぁとつくづく思った。
野郎は顔を洗うだけだが、女性は化粧やら髪型やらに時間をかけてセットするもんなぁ。
美意識の高い男は洗顔だけではなく、化粧水を使ったりしているみたいだが、僕にはその辺は理解出来ない。
鏡越しに芹香と目が合った。
意味もなく睨まれた。
「少々お待ちになって下さい」
見ているのも悪いのでよそを向き返事をした。
「お、おう」
急かすつもりも無かったのだが、言って一分も待たずして「終わりましたわ」と言ってきた。
「ん」
短く返すと、芹香は小さな声で「逃げないで下さいね」と捨て台詞を吐き、リビングまで戻っていった。
悠里にこの現場を見てもらいたい。
このやり取りのどこに、男女の深い仲と呼べるものがあるのかと。
洗面所で顔を洗い、鏡の前で濁った目をした自分の不甲斐ない顔をまじまじと見る。
ずっと見ているとゲシュタルト崩壊しそうだな。
さてそれより、これからどうしたもんかと考えないといけない訳だが・・・
何も浮かばない。。。
今の時刻が、八時過ぎだから大体の猶予は三時間弱か。
話し合って、やっぱり中止に持っていきたいのが本音だけど、その方向性に持っていくのは無理がある。
「はぁ~~」
大きなため息が出た。
僕と・・後、芹香もコミュ力が壊滅的だから悠里に声掛けはお願いしないといけない。
警官が見つかったとしても、その警官が乗り気じゃなかったら話しも進まない。
仮にその問題が上手く行った所で、肝心の救出手段も浮かばない。
だから、二人の意見も聞いて結論を出すしかないのかなと思う。
リビングまで戻る足取りが重い。
部屋に戻って二度寝したい。
仮病も通じないし、流れに身を任せた話し合いとやらに向かう。
リビングまで戻ると芹香は台所で僕達が食べ終えた朝食の皿を洗っていた。
偉いなぁ。感心するなぁと棒読みに思う。
ソファーに座って寛いでいる悠里と目が合う。
「芹香ちゃん、作戦会議始めるよぉ~」
「あっ、直ぐに行きますわ!」
悠里の言葉には素直な芹香。
心なしか僕と話している時よりも穏やかな声音である。
ソファーは大きくもないので座るのは遠慮しておこう。
僕はテーブルにある椅子を引っ張り出し、ソファーの前に置いた。
「とりあえず・・・色々と意見があったら言ってくれ」
言いながら僕は椅子に腰を掛ける。
「鶴里さんを入れて四人で黒田の住んでる家に行くんでしょ?」
「それは・・ちょっと無理があるかもな」
「えっ・・・なんでさ?」
悠里はいくらか興味深げに問い返してきた。
「まず、鶴里さんが見つからない可能性もあるし、見つかっても非協力的かもしれないからな!」
「そんな事ないでしょ!だって警官だよ!?」
何がだってだよ・・・
無名島に前の職業なんか通用しないだろう。
警察イコール善人って考えでいるから、そんな事が言えるのだろう。
「警官だが・・人間だろ?」
悠里はフッと凄く馬鹿にした感じで笑った。
「ふふっ・・人間って!当たり前じゃん!」
こいつは意味を理解しているのか?
「楽しそうですわね」
食器を洗い終えた芹香が会話に混ざってきた。
決して楽しくはないがな・・・。
芹香はそのまま悠里の隣に座った。
「芹香さんに聞きたいんだけど、鶴里さんの特徴とか覚えてる?」
「確か・・唇が太い方でしたわ!年齢は・・・おそらく30代位でしょうか」
タラコ唇の30代男性か。
サザエさんに出てくる渋い声の男が頭に浮かんだ。
「なんとしても見つけ出そうね!」
悠里が拳を掲げながら言った。
やる気に満ちているのが伝わるが、僕はそんな悠里を見ていると逆に気持ちが沈んでくる。
芹香は分からないが、悠里とは相対的な温度差がある。
「とりあえず今日捜して見つからなかった場合は諦めような?」
そう言うと、心底僕を蔑んだ目で見てくる二人。
「その時は次の日に頑張るんだよ!」
「そう・・・だよな」
こうなるよなやっぱり・・・。
いまいち気分が乗っていない事を察したのか、芹香は立ち上がり、自然と僕を見下ろす形になっていた。
「何か不都合でも?」
「い、いや・・・別に無いけど」
「行きたくないのですか?」
はい行きたくないですとは言えない。
「はは・・まさか!」
引きつった笑みで誤魔化す。
「そんな風に見受けられますが?」
僕は手を振って、違う違うとアピールする。
「正護さんの性格なら逃げ出しかねないですから」
「に、逃げんて・・」
この後に「多分」と言ってやりたいが、後が怖いので言わない。
「口ではなんとでも言えますわ」
もうお前黙ってくれ。
そんな挑発的に言われたんじゃ、話し合いも進められない。
だが、大分へこまされたところへ追い討ちがかかる。
「怖いのは皆一緒だよ?瑠菜ちゃん達の為に頑張ろうよ!」
そう言ってくる悠里にイライラとしてくる。
お前の余計な一言がカチンときた。
皆って・・・お前ら二人だけだろ。
他に誰がいるんだって話しだ。
なんでもかんでも【頑張って】って言葉で片付ける奴は嫌いだ。
頑張ってもどうにもならない事もあるし、適当に話しを纏める事の出来る魔法の言葉だ。
それを日常的に、ほいほい使う奴は【頑張る】って言葉が口癖みたいなもんで浅はかに思えてならない。
思い返せば、悠里はちょいちょいそう言ってる。
悪気は無いのは分かる。今回も僕のモチベーションを上げようと言っているのだろうが、ひねくれた性格の僕には逆効果だ。
冷えていく。
感情がスカスカと抜けていくような感覚。
何か反論めいた事を言っても、この場の雰囲気的になんとなく二対一の光景しか浮かばない。
覇気のない顔をしている僕。
針が秒を刻む度に、静けさが増していく。
特に意味もなく手遊びをする。
「えっと・・・正護君?」
気を使っているのが分かりやすく伝わってくる。
「・・・はい」
顔を伏せ、手遊びを止めずに僕は返事した。
ため息が聞こえてきた。
呆れたようなため息。
多分芹香であろう。
「もう・・鶴里さんを捜すの・・嫌になっちゃったのかな?」
まるで子供をあやす母親のように聞いてくる悠里に僕は軽く睨んだ。
「なんですか!?」
それを見て芹香が大きな声と共に僕を睨んできた。
直ぐに下を向く僕。
「せ、芹香ちゃん、いい・・から一旦座ろ?」
悠里の言葉に素直に従う芹香。
素早くソファーに座ると、おそらく僕の方に熱視線を向けている。
「ここで仲間割れ起こしても駄目だよ!」
仲間・・・・
僕は無意識に鼻で笑っていた。
だが、その直後ーー・・・
僕は芹香に顔面を殴られた。
「いっ・・た!」
反動で僕は椅子から落ちた。
「せ、芹香ちゃん!!ストップストップ!!」
悠里が慌てて芹香の腕を掴む。
芹香は何も言ってはこないが、目が合って僕は萎縮してしまう。
反射的に僕は片手で殴られた左頬を抑えた。
芹香が涙目になりながら僕を睨んでいる。
こいつ・・・殴りやがった。
女なのにビンタじゃなく、グーで思いっきり殴ってきやがった。
「だ、駄目だよ!芹香ちゃん!せっかくここまで・・・ね?」
「す、すみません。ですが、こい・・この方は、うじうじと優柔不断で・・・腹が立ちます!」
僕を睨みつつ芹香が言った。
感情を剥き出し、隠していた本音が伝わってくる。
今、僕の事をこいつって言おうとしたな。別に構わんけど、優柔不断な奴と承知で一緒にいた訳だろうが。
そっちから無理やり押しかけてきて一緒に暮らす事になって、それで僕のこの性格に腹が立ったからって殴るのはおかしいだろう。
ふざけんなよ・・・
何で僕がこんな目に合わなくちゃいけない。
「ご、ごめんね正護君?大丈夫?」
そして何故か悠里が謝ってきた。
「なん・・なん・・お前ら?」
情けないが震えながら僕は言った。
「芹香ちゃん!謝って!?」
「申し訳ありませんでした」
芹香が睨むのを止めず謝ってきた。
謝罪の意思を感じられない。
不自然なまでに悠里はあたふたとしていて、こんな状態じゃ話し合いどころの騒ぎじゃない。
芹香の凄みのある視線に耐えかねて僕は口を開いた。
「お前ら・・出ていけよ・・」
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