童貞の正三面体

エリー.ファー

童貞の正三面体

 落下する間に考えたことと言えば、地球の表面が柔らかかったら、どうにか生き残ることができるか、ということだけだった。

 自分自身の冷静さに感服するが、残念なことに、その感服という単語は私の命を救わない。

 まず、このような落下している状態を、何かしらの解釈、もしくは自分なりの哲学によって咀嚼するという行為が、暇つぶし以外の何物ではないことはあきらかなのだ。

 ここで真剣になっていることが既に、終わっている、と表現できるのかもしれない。

「死ぬだろうな。」

「死んじゃうねぇ。」

 友達が、私と同じ速度で落下している。

 不思議な心地だった。

 友達の中でも余り仲の良い方ではなかったし、もっと付け足していいのであれば友達という評価を付けるに値するような存在ですらなかった。

 知り合いというジャンルに少しだけ毛の生えた、そんな感覚。

「なんで、落下してるの。」

「童貞だからだ。」

「あ、そうなんだ。僕も僕も。」

「嘘つけ。」

「本当だって。」

「イケメンじゃないか。」

「イケメンでも童貞はいるんだよ。本当だよ。」

 分からないでもないが。

 分からないでもない、というのは少しばかりの強がりも含まれているのだが。

「そんなに、したくなかったのか。」

「何が。」

「その、性交渉だ。」

「セックスって言っちゃえばいいのに。童貞臭くてすごく気持ち悪いね。」

 私は黙った。

 段々と頬の周りの感覚が薄れてきてしまう。不思議な気分である。死んでもいいとすら思っているのに、この状態で既に体の感覚が鈍くなり始めている。

 つまり、ほぼ死んだときの状態を体験することができている。

 死んでいる。

 そういう事なのかもしれない。

 最初の内は、耳元で鳴り響く空気の音がうるさくて驚いてしまったが、今やこのように会話できるレベルにまで慣れてしまっている。

 あとは、死ぬ以外のことに慣れ親しむだけだ。

 そう考えれば、生きている時となんら変わらないし。

 よく考えれば。

 そう。

 今、私は生きている。ということか。

「そっちこそ、どうして童貞だったの。」

「彼女ができなかった。」

「彼女くらい作ればよかったのに。」

「好きでもない。好きな相手もいない。なのに、彼女を作るというのは一体どうなんだろうな。」

「別に好きじゃなくてもいいから、付き合えば死ななくて済んだのに。」

「どういう意味だ。」

「そのまんまだよ。ただ、付き合うだけ。好きとかはないし、ただ、そうやっている関係ですって他の人に見せるだけ。」

「意味はあるのか。」

「意味があるように見せるために意味を見出す関係。」

 友達は空気抵抗を少なくさせると、落下速度を上げて地面に向かって落ちていった。

 みるみる距離が開いていき、そのうち、姿も見えなくなる。

 このままなのだろう。 

 誰にも会えないまま、この落下を続ける。

「あの、すいません。僕は、どうしてこんな目にあっているのでしょうか。」

 後ろから誰かがまた落ちてきて、私に尋ねてくる。

 自分で考えたらどうだ。

 なんでもかんでも聞けばいいと思っている。

 そういう考え方が気に入らない。

 私でさえ気が付いていないというのに、何だと思っているのか。

 何であればいいと思っているのか。

 納得できる結論ではなかったら信じないくせに、何故そう、質問をするのか。

 いや。

 そういう性格の人間が多くなっているのか。

 落ちてくる奴らはみんなそうか。

 私も、その内の一人なのか。

「あの、教えてください。童貞だと、なんでこうやって転落死することになるんですか。」

「そんなことより、お前を後ろから突き飛ばしたやつの顔を見たか。」

 新しく落ちてきた男は首を横に振った。

 心底、羨ましかった。

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