第五話

 お昼のキッシュは美味しかった。

 食事が美味しいと自然と会話が弾む。

「私の国ではね、サーモンを良く食べるのよ」

 二杯目のスパークリングワインを傾けながらエリーゼが言う。

「へえ、そうなんですか」

 リリィはキッシュを口に運びながらエリーゼの言葉に頷いた。

「前菜の冷製がやっぱり美味しいけど、スープにもするのよ。冷製はね、薄切りにしたサーモンの上にイクラを乗せてサワークリームを添えたものが美味しいわ。暖かいお料理だったら私はサーモンのグリルが好き。脂が乗っててとっても美味しいの」

 冷製かあ。おうちでは前菜食べないからなあ。でも、夏なら前菜だけの前菜祭りはちょっと楽しいかも。

「へえ、美味しそうですね。イクラってこの前初めて食べましたけど、濃厚で美味しいものでした」

「リリィちゃんはどんなお料理を作るの?」

 楽しそうにスパークリングワインを傾けながらエリーゼが訊ねる。

「わたしは、ローストが多いです。王国のお料理は基本、ローストですから」

 とリリィは答えた。

「例えば?」

「例えば、ビーフロースト、ポークはポケットを作って中にリンゴを詰めると美味しいです。ちょっと前に雷鳥を頂いたのでローストにしたんですけど独特の香りでこれも素敵でした。ちょっとモミの木みたいな香りがするんです」

「へえ、雷鳥!」

 エリーゼがびっくりしたような顔をする。

「私の国では食べないわ。『雷鳥の巣』って名前のサラダはあるけど」

「あとはうずらも美味しいですよ」

 リリィはニッコリした。

「へえ!」

…………


 レストランでたっぷり二時間以上おしゃべりしてから、二人は再び通りに出た。

 目の前には芸術院の白い馬車が待っている。

「もう。鬱陶しいのよね」

 エリーゼは少し目を怒らせた。

「いつも監視されているみたいで、私、あまり好きじゃないの」

「でも、素敵ですよ、この馬車」

「まあ、馬車はね」

 とエリーゼはため息を吐いた。

「でも監視されるのは嫌なの。今もね、きっと後ろの方には私服のお巡りさんがいるわよ。護衛なんですって」

 すごい。それならセントラルでも安心。

 リリィは感心したが、どうやらエリーゼの考えは違ったようだった。

「リリィちゃん?」

「はい」

「巻いちゃおっか」

「はい?」

 え? 巻く?

「走れーッ!」

 いきなり、エリーゼはリリィの手を掴むと全速力で走り出した。

「え? え? わッ」

 エリーゼに引きずられるようにしながら、リリィも一緒に走り出す。

 手を繋いでいるので足がもつれる。転ばないようにするので精一杯だ。

 まっすぐ走ってすぐに右へ。右に曲がったらすぐに左。

「わあ!」

 裏通りをぐるぐる走り回るエリーゼにリリィは翻弄されっぱなしだ。

 リリィもどちらかと言えば他人の視線には敏感な方だ。自分でも後ろに目がついているんじゃないかと思う位、背後からの視線も良くわかる。

 しかし、今回は何も感じなかった。

(本当に誰かが見てたのかなあ)

 息を切らせて走りながら考える。

(エリーゼさん、酔っ払っちゃったのかな? スパークリングワイン、三杯も飲んでたもの)

 リリィは一日中忙しく働いているが、流石に走ることはない。対してエリーゼは一日中踊っても平気な超一流のバレリーナだ。体力に差がありすぎる。

 リリィは片手でスカートの裾を持ち上げながら一生懸命に走ったが、やがて目が回ってきた。

(も、もうだめ……)

 それに気づいたのか、ようやくエリーゼが走るのをやめる。

 少し息が上がったのか、エリーゼは路地裏の壁に持たれると大きく息をした。

「ふう、これだけぐるぐる走れば大丈夫でしょう」

 もちろん、リリィは大丈夫ではない。

 青い顔をしてエリーゼの隣の壁にもたれかかる。

「はあ、はあ……」

「ふふふ、楽しかったわね?」

 楽しかった?

 うん、確かに楽しかった、とリリィは思った。

 全速力で走るのって楽しいんだ。

「……は、はい」

「じゃあ、一息ついたらアイスクリームを食べに行きましょう。リリィちゃんはアイスクリーム食べた事、ある?」


+ + +


 エリーゼが連れて行ってくれたのは『ボブのアイスクリーム』というお店だった。

 店の前面が大きなガラス張りになっており、中で作業する人の姿が通りから見えるようになっている。

「ここはね、魔法でアイスクリームを作ってるのよ」

 エリーゼは少しいたずらっぽく笑うとリリィに言った。

「まあ、私には良く判らないんだけどね」

 エリーゼの説明では、アイスクリームというものは小麦粉を入れないカスタードのようなものを作って、これを冷やしながら撹拌すればできるという事だった。

「国ではね、冬になると子供がお外で作ったりするの。でも夏は無理かなあ」

「へえ」

 リリィはお店の中を覗いてみた。

 なるほど、キッチンの真ん中に大きな樽のようなものがあり、上から太い軸が伸びている。どうやら天井で回っている軸の力で樽の中を撹拌しているようだ。

「すごいですね」

 リリィはさらに窓に近づいた。

 そういえば、あの樽には魔法陣みたいなものがついている、とリリィは気がついた。以前旦那様が説明してくれた魔法と図形が似ている。言われて見れば、旦那様が氷を作って下さる時に使う魔法陣にも似ている気がする。

「あ、そうか……」

 そういえば、マリー・アントワネット号の水槽の中に書いてあった図形も似たような形だった。

「これ、きっと旦那様がおっしゃっていた熱力学呪文なんだわ」

 思わず独り言が漏れる。

「なーに? その熱なんとかって」

 エリーゼは不思議そうにリリィの顔を覗き込んだ。

「わたしも良くは判らないんですけど」

 ダベンポートが蒸気自動車スチーマーレースの時に教えてくれた事を思い出しながらエリーゼに説明する。

「なんか、二つの呪文が対になった呪文なんです。一つが暖かくなって、もう一つはその分冷たくなるんですって。きっと、それであの樽の中は冷たいんです」

「へえ、さすが魔法捜査官の家のハウスメイドね。リリィちゃん詳しいわ」

「いえ、わたしは旦那様から教えていただいた事を繰り返しているだけですから」

「まあ、入りましょう。走ったら暑くなっちゃった。リリィちゃんも汗かいたでしょう? そういう時ってアイスクリームを食べると美味しいのよ」


 初めて食べるアイスクリームは夢のように美味しかった。最初は冷たくて、すぐにそれが口の中でクリームに変わる。舌の上で儚く消えるアイスクリームはしかし濃厚で、少し蜂蜜の味がした。

「美味しい!」

 リリィの大きな青い目が丸くなる。

「ね? 美味しいでしょう?」

「はい!」

 でも、急いで食べると鼻のあたりがムズムズする。次々とスプーンを口に運びたいのを我慢しながら、リリィはゆっくりとアイスクリームを楽しんだ。

「ね、リリィちゃん」

 向かいの席でそんなリリィの様子に目を細めながらエリーゼは言った。

「お願いがあるんだけど」

「はい」

 エリーゼさんのお願い?

「あのね、今日このあと歌をうたってくれないかしら。ブラウン・カンパニーのテントで」

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