にこぐるま

Nico

眩しい月

 絵画のような静かで美しい夜に紛れ込んだよそ者はどちらだっただろう。


 深夜のプールで泳ぐ彼女か、それとも遅れてきた僕か。

 いつもは存在しない僕らか、それとも眩しすぎる月か。



 不気味なほどに明るく黄色い月の光を、彼女が仰向けに身を預けるプールの水面が鏡のように反射していた。


「月がきれい」

 彼女がまるで月に触ろうとするみたいに伸ばした左手の指先から、雫がぽたりと落ちるのさえはっきりと見えた。


「寒くないの?」と僕が尋ねると、

「水って温かいのよ」と彼女が答えた。


 僕らが駆け落ち同然でやってきたのは、電車とタクシーで三時間ほどの南房総のリゾートホテルだったが、僕はどこか遠い南の島に逃げてきたような気分がしていた。いや、世間ではこれこそ駆け落ちと呼ぶのかもしれない。でも、高校生の僕には、その言葉の響きほどの決心も、衝動も、そしておそらく恋愛感情もなかった。彼女も似たようなものだったと思う。


 彼女は相変わらず体をかすかな水の揺らめきに任せたまま、僕の知らない曲を鼻歌で歌い始めた。

「何ていう曲?」

「知らないの?」

「知らない」

「この曲を知らないなんて、悲しい人ね」

 彼女は月を見上げたまま、感情の読み取れない声で言った。それから突然自ら姿勢を崩すとプールの底に足を下ろし、僕のほうを向き直った。辛うじて微笑みと呼べそうな表情を浮かべた彼女の顔が、やはりはっきりと見えた。


「ねぇ、あなたに伝えたいことがあったの」

「何だい?」

「私、あなたのことが……」

「ちょっと待って!」

 僕は彼女の言葉を遮ると少しだけ助走を取り、Tシャツとジーンズのまま、空に浮かぶ月と水面に映る月の間を目がけて思いっきり、飛んだ。


 ずいぶん長いこと宙に浮かんでいた気がした。水に落ちる直前、彼女の驚いた顔が見えた。水しぶきと水しぶきの上がる音が盛大に僕らを包み込む。彼女は濡れた顔を拭うこともなく、からからと声を上げて笑った。

「あなたのそういうところは好きよ」

「そういうところは、ね」

 それを聞くために、僕は遠い南の島まで来たのかもしれない。


 抱き合うことも口づけを交わすこともなく、ただ声を上げて笑いあう僕たちを、月がそっと見下ろしていた。



 よそ者はどちらだっただろう。


 僕らか、それとも月か。


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