黒幕と殺意の熱





 額に水滴が落ちてきたあの日、なにか楽しい夢を見ていた気がする。


 だけど、それを思い出そうとしても、何かが記憶に蓋をしていた。

 押さえつけ、見せないように、隠すように。

 なぜ、そんな事になってるか自分でもわかっていた。

 それを見たら、もう、ここには帰ってこれない。

 だから、守っているんだ。壊れてしまわないように。



 毎日毎日、肌を裂かれる痛みか、全身の骨という骨がみりみりと軋むような痛みで目を覚ます。



 もう、自己嫌悪の連続で吐き気がする。

 俺が何をした。なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 暗然とした憂鬱を塗りたくる日々。

 こんな毎日をあと何日生きたらいいんだ。

 数秒の苦痛で全てを終わらせたい。終わらせてほしい。


 この世は理不尽な事ばかりだ。

 だから死ぬことが合理的だと思える。

 死ねば苦労する必要も、責任を負う必要も、悩む必要も無くなる。


 死を目の前に、生きている全ての事は無意味だ。

 死ねば、いい意味で全てが終わる。


 助かりたいなら死ね、

 助かりたいなら死ぬしかない。

 頭の中をそんな言葉が埋め尽くす。


 ······ああ、多分そろそろだな。

 そう思った時にはドアが開かれていた。


「━━もう殺してくれよ」


 誰かが入ってくるなり、前へたれながら俺は言った。


「は? もう生きてるのが嫌になったのか? やめてくれよ、俺の番でそんなこと言うのは」


 マドラとグラではない、聞いたことのない声音。

 だが、そんなこと今の俺からしたらどうでもいい事だった。


「いいから早く殺せよ」

「まあまあ、待てよガキ。俺はあいつらと違って痛めつける趣味なんてないんだよ」


 そう言いながら、俺の目隠しを外した。

 ぼやける焦点が徐々に合い、眼前に立つ人物に目を向ける。


 ヒラヒラとこちらに手を振り、笑っていたその顔は人好きのする顔だった。

 男は一緒に持ってきていた椅子を部屋の隅へ置く。


「ふむ、いい感じに目が濁ってるな〜」


 男は俺の瞳を除くように顔を近付けた。

 すると、急に真面目な顔をして問いかける。


「なんでこうなったか知りたいか?」

「どうでもいい殺せよ。早く殺せよ」

「即答かよ。まぁいい、とりあえず聞いてくれ」


 おいしょ、と言いながら椅子を俺の前に置く。

 こちらに背もたれを向けて跨るように座った。


「まず、自己紹介だな。俺はサラムってんだ、よろしくなクルル」


 俺の肩を気軽に叩き、ニコニコしながら話し始める。


「えーっと、何の話だったっけ。······あ、そうだ、お前がこうなった原因だったな」


 今の俺からしたら至極どうでもいいことだったし、殺す気が無いこいつに何を言っても無駄だと悟った。

 男が入ってくる前と同じように前へとたれて聞き流す体制に入っていた。


「とある人物が俺達3人に依頼をしてきたんだ。

 子供を傷つけ、痛めつけ、甚振り、嬲って嬲って殺してくれってな。

 報酬はいくらでも出してくれるって言うし、子供を攫うのは依頼人がやるって言うし、俺らはすぐさま承諾したんだ」


 どこかの誰かが睡眠薬かなにかを、家のスープに混入させた。

 それを俺とマザーとファザーが飲んでこんな状態に陥ったってことだろ。

 分かりきったことを言ってんじゃねーよ。


 聞き流す体制に入っていても部屋には2人しかおらず、そして静寂。嫌でも耳に入って来る。


「その男はな魔術の適正、剣術や体術の才能とかに嫉妬したらしいんだ。

 なんでも、その依頼人も一時は強くなろうとしたが全く才能はないし、今までなんでも手に入れられてきたのに、それだけが手に入らなかったんだとよ。

 んで、その人物ってのがな······」


 何かのトリックがあるのかと思うように嫌でも耳に入ってきてしまうサラムの言葉。


 そして、次の瞬間耳を疑った。


「────だよ」

「は?」


 今、この男はなんて言った?

 理解できない。理解したくない。


「だから、お前の親父だよ。······いや両親か?」


 両親?

 ガルムとクラル?

 父親と母親とファザーとマザーとお母さんお父さんパパママ? ええ? わかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないわかんないワカンナイワカンナイワカンナイワカンナイワカンナイワカンナイ!


「お前の親父はお前の才能に嫉妬したんだ。自分が手に入れられなかったものをお前はいとも簡単に手に入れた。

 お前の親父って元貴族だろ?

 だったら小さい頃からなんでも欲しいものは手に入れられただろうな〜。

 ……だが、それでも力は手に入らなかった。貴族ってのは傲慢だ。自分よりもなにかが優る人間が許せないんだろ」


 訳が分からない。

 才能に嫉妬? だからって、自分の息子に嫉妬してここまでするか? 


 ······だけど、本当に嫉妬しないと言えるか? 相手は元だが貴族だ。貴族が傲慢なんて言うのは知っている。

 でも本当にそうなのか? 分からない分からない分からない分かりたくない。信じたくない!!


 厳しく、誠実だったファザー。

 なにかを出来るようになると、その硬く温かい手でいつも頭を撫でてくれた。


 ぐるぐると思いつく限りの言葉が頭の中で回るが、回るだけでなにも手につかない。

 やっと一つの言葉が、声帯を介して口の中から出す事ができた。


「う、嘘だ!!」

「嘘なんかじゃね〜よ。本当だぜ? お前の母ちゃんも元貴族なんだろ?

 俺にだけ教えてくれたんだがな、お前の母ちゃん自分の弟を殺したことがあるんだってさ」


 あのマザーが人殺し······ましてや自分の弟を殺した······?


「なんで殺したか、わかるか?

 その弟が怪我したんだってよ。痛がる弟の顔が大層可愛らしかったそうだ。

 その顔がもう一回見たくて何度も何度も痛めつける内にぐったりして動かなくなった。

 体が冷たくなった弟を処分して、それから、小さい頃から面倒見てくれてたメイドも同じように殺したんだと」


 甘く、元気で、優しかったマザー。

 いつも家で本ばかり読む俺を、外へ連れ出して遊びに付き合ってくれた。

 自分が出来ないことを俺ができると、褒めては伸ばしてくれた。


「それを見かねたお前の母ちゃんの父親、つまりお前のじいちゃんだな。そのじいちゃんがお前の親父のところに嫁がせたんだとよ」


 俺の前髪を引っ張り上げ、強引に目線を合わせられる。


「変わり者同士、厄介者は外へ爪弾き、偽物の家族ごっこ。楽しかったか?」


 偽物の、家族ごっこ……。


「ちなみにいつも気が付くと傷が全部綺麗になってただろ? あれ、全部母ちゃんが直してくれたんだぞ? 何度も何度もお前が使える壊れるようにな」


 裂けた傷は塞がれていた。折れた骨は繋がれていた。いつも、いつも。


「おっと、そうだそうだ。コイツを忘れるところだったぜ」


 サラムはズボンのポケットから小さなモノを取り出し、俺の足元へ落とした。

 それは毛が生えていて、半月のような形をしていて、断面は血に濡れて、


「ほら、やるよ。お前の"お友達"だろ? 頭は重かったからそれだけ切り取ってきてやったんだぜ? 感動の再開だな!」


 見覚えが……あった。 

 なん…で、なんで……。



 ━━ニアの、耳だった。


 息ができない。体温が下がっていく。 

 しかし、汗は滝のように吹き出していた。


「やっぱり貴族ってのは頭のおかしいヤツらばっかりだな! 親父は息子の才能に嫉妬して殺すように依頼したクソ野郎! 母ちゃんは身内を痛めつけられた顔を見たがるクソ女! そして、友人はお前のせいで死んじまった! ハハハッ、なんだよその顔!」


 俺の中で壊れた音がした。

 その、壊れた物からだくだくとナニカが零れていく。

 零れるナニカはどろどろと時間を掛けてゆっくり俺の心を犯していく。


 いつの間にか、男はいなくなっていた。


 今までずっと考えていた。

 なぜ、なぜこんな事になった。


 俺が悪いのか?

 前世の記憶なんて持ってる俺のせいなのか?

 覚えていた知識を使って魔術を、無詠唱なんて軽々とできたのがいけなかったのか?

 夢中で剣を振り続けて、体を鍛えたのが悪かったのか?


 父親に手加減なんてしたからいけなかったのか? 

 母親の前で腕を傷付けたのがいけなかったのか?


 俺が悪いのか。本当に俺が悪いのか!?


「はっ。あっはは」 


 ············父親? 母親? なんだそれ。

 息子に嫉妬して殺そうとするのが父親?

 息子を痛めつけ嬲ったりするのが母親?


 なんだよそれ。


 理不尽だ。そんなの理不尽すぎる。


 父親がなんだ?

 母親がどうした?

 血の繋がりなんてどうでもいい。


 ────すべて、壊してやる。

 こんなにも辛いなら感情なんていらない。


 闇夜を照らす月のような、飢えきった獣のような、酷く研ぎ澄まされた刀のような、そんな殺意だけでいい。

 グツグツと煮えたぎるような殺意の熱、根底は凍るように冷たい人の心。


 今までの絶望感が、すべて殺意へと形を変える。


 絶対に後悔させてやる。

 そして、殺す。殺しながら殺して殺して殺す。

 どうにかして、ここから出なければ。


 あの男の腕章に『支配者ルーラー』のクランシンボルがあった。

 クソ野郎ガルムとクソ女クラルに後ろ盾にルーラーが付いてやがる。


 出たあとは力だ。力が欲しい。

 誰にも負けないほどの、圧倒的な力が。


 邪魔する奴らはすべて殺す。

 『支配者ルーラー』もクソ野郎もクソ女も全部全部全部全部全部全部! 壊し尽くしてやる!!


「くくく······」


 仇を取る。待ってろよニア。必ず、必ずだ。


「ふっ······ふふ······」


 アイツらの恐怖に歪んだ表情が目に浮かぶ。

 楽しみで楽しみで仕方がない。


 世界が変わらないのなら、俺が変わるしかない────。



 そんな時、ドアが勢いよく開かれた。


「さぁて、と······おい、何笑ってやがる。ついに気でも触れたか?」


 マドラが入ってきて開口一番そう言った。

 人が気持ちよくなってる時に邪魔しやがって。

 まぁいい。コイツとも長い付き合いだ。許してやる。


「いやぁ、こんなの笑わずにはいられないよなぁ!」

「な、なに言ってやがんだこの糞ガキ······」

「これからは謝らなくていいぞ? 最後の最後に取っておけよ! はははっ、あっははは────!!」

「気持ち悪ぃガキだな! あんまり調子にのんじゃねーぞ!」


 そう言って、マドラはいつものように短剣で切りつけた。


 もうなにも傷みなんて感じない。なにも感じない。

 それがもう愉快で愉快でしょうがなかった。


「あっははははははは! ぎゃっははははは!!」


 こんなに笑ったのはいつ以来だろう。

 目を見開きながら狂ったように大声で笑った。



ーーーーーーーーーーー



 お兄ちゃんがミルさんと一緒にカールマリア王国にある魔術騎士学園に行ってから三ヶ月が経った。


 まだお兄ちゃんは帰ってこない。嫌な予感がする。何かあったんじゃないだろうか。


 考えたくないけど、もしかしたら馬車に乗ってる最中に盗賊に襲われたりだとか、魔物の群れに出会ったとか。

 とにかく嫌な想像が頭をよぎる。


 色々考えてると家のドアがノックされた。

 お兄ちゃんかもしれない、と走って玄関のドアを開ける。


 だが、目の前にいたのはミーナちゃんだった。


「クララ、遊ぼ」

「う、うん。遊ぼっか」


 ミーナちゃんと遊べば、嫌な予感もしなくなる。

 そう思ってお母さんには何も伝えずに遊びに出掛けた。

 わざとお母さんに伝えなかったわけじゃない。家中探してもどこにもいなかったから仕方なかった。


 昔、フランお姉ちゃんと待ち合わせにしていた木の下へ来た。

 ニアお姉ちゃんもずっと遊びに来ていない。


 だから今はミーナちゃんと2人。

 いつものように、おままごとや宝物の見せあいっこなどをして遊んでいた。



 目の端に何かが映って横を向くと、遠くから誰かが来るのが見えた。

 その方向はドルドの街だ。

 その人影はこっちに向かって大きく手を振ってる。

 よく目を凝らしてみるとミルさんだった。


 急いで駆け寄るが······お兄ちゃんはいない。


 なんで? なんでいないの?

 泣きそうになるのを必死に抑えて、ミルさんに話しかける。


「ミルさん、お兄ちゃんは? お兄ちゃんはどこですか!?」

「どうしたんだい、そんなに慌てて。クルルちゃんに何かあったのかい?」


 え? なんで? どうしてそんなことを言うの?


「お、お兄ちゃんと王都カールマリアの魔術騎士学園へ行ったんじゃないんですか?」

「王都? あたしゃ、王都になんて行ってないさね。もちろんクルルちゃんとも会ってもないよ」


 話が違う。お兄ちゃんは王都に行ってるんじゃないの?

 じゃあどこにいるの······お兄ちゃん。


 そのまま不安がいっぱいで泣き出してしまった。


「ど、どうしたんだい。事情を説明しておくれ」

「ご、ごめんな゛ざい……」



 ミルさんへ、今まであったことを伝える。

 お兄ちゃんが三ヶ月前に何も言わずに、ミルさんが同伴で王都カールマリアの魔術騎士学園の下見に行ったこと。

 両親がそう言ってたということも忘れずに伝えた。


「······それはおかしいねぇ。あたしゃドルドの街から今日以外1歩も出とらんよ。あの子は聡明だ。急にいなくなる様な子じゃないだろうしねぇ。今日だってアンタのお父さんにお呼ばれされてここまで来たんだからね」


 ミルさんは難しい顔で言った。

 お父さんも、お兄ちゃんはミルさんと一緒に王都へ行ったと言っていたのに。

 それなのにミルさんを呼び出すなんておかしい。


「もしかしたら······クルルちゃんは両親に何かされた、かもしれないねぇ」


 配慮してくれたのか、小さな声で呟いた。

 私は何も言えなかった。辻褄があってしまったから。


 思い返すとお兄ちゃんがいなくなったと思われる日、両親はまるで別人のようだった。

 そう考えると急に、両親が怖くなってしまった。


「クララちゃん。アンタはどうする? あたしゃ嫌な予感が止まらない。もし、最悪な自体になる前にこれから街へ戻って荷造りして昔住んでた街に戻ろうかと思う。もちろんクルルちゃんの居場所の手がかりを見つけながら街を移動するよ。アンタはついてくるかい?」


 私は考える。

 両親はなにかがおかしい。

 もし、あのまま家にいたら私も両親に何かをされるかもしれない。

 そしたらお兄ちゃんを探せなくなる。

 ミルさんと出会ってしまった私は、なにかされることは確定だと思う。


「クララ、行ってきなよ」


 隣にいたミーナちゃんが私の肩に手を乗せた。


「で、でもミーナちゃんとも会えなくなるかもしれないんだよ?」

「大丈夫、会えるよ」

「······なんでそんなに言い切れるの?」

「だって一緒に学園行こうって言ったじゃん。全寮制だから二人共学園に入学したらまた会えるよ」

「あ······」


 そうだ、学園へ行けばミーナちゃんとはまた会えるんだ。

 これで、もう会えなくなるわけじゃない。


 離れるのは寂しいけどお兄ちゃんのためだ。

 もしここでミルさんに付いていかなければお兄ちゃんとは一生会えないかもしれない。

 だったら私は、一瞬だけ寂しいのを我慢する。


「ミルさん、私を連れて行ってください。私が出来ることだったら何でもします」

「任せな。その歳でここまで考えられるなんてホント

、よく出来た子だね。さすが、クルルちゃんの妹だよ」


 お兄ちゃんクルルの妹、私が一番好きな言葉だ。

 大好きなお兄ちゃんと血がちゃんと繋がっていることが再確認できて心が温かくなる。


「着の身のまま行くよ。必要なもんは街に戻って買うかね」

「ありがとうございます」


 着ているワンピースの裾をギュッと掴み、ミーナちゃんの方へ向き直る。


「ミーナちゃんありがとう。おかげで決心がついた」

「うん、気をつけてね」

「ミーナちゃんもね」


 どちらからともなく抱き合った。

 二人とも泣くのを堪えて言い合った。


「「また12歳の時に!」」


 12歳は魔術騎士学園に入るための必要な年齢だ。だからその時まで会えないけど、会える兆しがあるだけで幸運だと思う。



 ミーナちゃんは見えなくなるまで手を振ってくれた。

 だから、私も同じようにミーナちゃんの方を向きながら、手を振り続ける


 また会える、その日まで。



 前を向き決心する。


 待っててね、お兄ちゃん。

 こうして私とミルさんの旅は始まった。


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