海の底




 深く、暗い、海の底。

 薄暗い光が俺を照らしている。


 海だというのに息苦しさは一切無い──が、体は動く気配を見せない。


 まるで石像になったかのように、ただただ沈むだけ。


 この感覚、前に1度だけなったことがあるのを覚えている。

 そう思っていると、目の前がぐにゃりと歪んだ。


 その歪みは、渦を巻くように捻れてヒビ割れた。

 中から現れた黒い影のような靄が現れて俺の体を包み込む。


「───────ねぇ、いつになったら名前を呼んでくれるの? 私はこんなに待っているのに······」


 耳元で囁かれる。愛おしいく、狂うように。


「いつまでも待ってるわ······だからいつか───────」


 その言葉を言い残し、影は消えた。

 そして俺の意識は浮上し始める。



 微睡みの中、ズキズキと頭が痛む。

 まるで中から鈍器を叩きつけられてるようだ。

 前よりも痛みが酷い。


「はぁ、はぁ、何だったんだ? なんかの病気なのか?」


 額を抑えながら呟く。

 この世界に来てから初めての病気が重症なものなんて最悪だろ。

 医学も進歩してないだろうし、簡単に治せるものならいいんだけど······。


 ベットから出て桶に溜まってる水で顔を洗う。

 乾いた布で顔を拭き一息つき、ある程度スッキリとした面持ちで1階のリビングへと向かった。


 俺以外の家族は起床していた。


「おはようクルル。今日はちょっと遅めだったわね」

「おはよう」

「おはようお兄ちゃん、いい朝だね!」

「うん、おはよう、母さん、父さん、クララ」


 そう言いながら席に着くと、朝食が出来上がっていた。


「クララは今日もニアちゃんとミーナちゃんと遊ぶの?」

「うん、そうだよっ!」

「いいわねぇ······そうだ! お母さんが3人分のサンドイッチ作ってあげるからお昼にみんなと食べる?」

「持っていく! やったぁ!」


 ミーナちゃんと言うのは近所の女の子だ。

 最近引っ越してきたという、クララと同い年の可愛らしい子。


「……お兄ちゃんは? 今日も行かない?」

「うん、僕はいいから遊んできな」


 おずおずといった様子で誘われるが、きっぱりと断る。

 このやりとりもクララとミーナちゃんとニアが3人で遊ぶようになってから毎日行われている。


 友達は······今は要らないかな。

 もうあんな思いをするのは嫌だ。友達が少なければあんな思いをしなくて済む。


 フランが来なくなって2年が経過した。


 何故、フランがいなくなったのか未だに分からない。

 でも、家の事情か何かだと思ってる。

 フランが遅れて遊びに来る時は「家の用事」と言っていた。だから今回も「家の事情」なのだろう。


 あの日から数日はフランが来ないとクララは泣いていた。

 クララは、「なにかしたのかな······私、フランお姉ちゃんに悪いことしちゃったのかな」と、そう言って自分で自分を責めていた。


 その度に俺とニアはクララを慰めた。

 もちろんクララは悪くない。

 そんなこと無い、と泣いてるクララを慰めてたが、俺もニアも泣きたい気持ちでいっぱいだった。


 この世界で初めて出来た友達。

 なんでも言い合えるほど仲の良い友達だと思っていた。

 そんな友達が急にいなくなってしまったのだから悲しくないわけがない。


 それからなんとなく、俺はニアとも距離を置くようになってしまった。

 もしかしたら、ニアも俺達を置いてどこかへいなくなってしまうんじゃないかと思ったのだ。

 心に空いた虚無、それをまた襲われるのが怖かった。


 クララは食事を食べ終え、食器を台所へ持っていく。


「ごちそうさまでしたっ!」

「はーい、これサンドイッチよー」

「ありがとう! それじゃ行ってきまーす!」


 俺のとお揃いである麦わら帽子を被り、元気よく遊びにでかけて行った。

 俺も食べ終えたので、先に食べ終わっていたファザーの分の食器もついでに台所へ持っていった。


「ごちそうさまでした。2階で本を読んでくるね」

「はーい。……ねぇクルルは遊びに行かなくていいの?」

「僕はいいかな。なにして遊んだらいいか分からないし」

「難しく考え過ぎじゃない?」


 そうは言うが、本当の気持ちなので仕方が無いだろう。

 昔は鬼ごっこや隠れんぼ、だるまさんが転んだなど楽しんでいた。


 でも、今の年頃の女の子達はそれをやってもあんまり楽しくないだろう。

 もっとこう、なんて言ったらいいかわからないが、女の子らしい遊びの方が盛り上がるだろうし、俺にはついていけない。


「そうかもしれないね。じゃあ書斎に行ってるから、なんかあったら呼んでよ」


 マザーが悲しそうな目をこちらへ向ける。

 それを躱すように、逃げるように書斎へ向かった。


 さて、今日は何を読もうかな。

 この書斎には本が沢山ある。いや、あり過ぎる。


 部屋の中に本棚が5架あるのだが、それでも収まりきらない本は床に積まれている。

 その積まれている本だけでもざっと50冊はあるだろう。

 魔術教本に剣術教本、魔物図鑑に歴史書など様々だ。

 印刷する術すべが無いこの世界で本は貴重品だ。

 さすが、元貴族のファザーだね。


 ちなみにラベルスの本だけを集めただけで30冊以上になった。

 ラベルスの本ってこんなにあったんだな。多い多いとは思ってたがここまでとは。嬉しい誤算だ。


 適当に手に取り、時間を忘れて読み進める。

 火山の山頂にあるお宝や海底に眠るお宝を、一般人では考え付きもしない方法で探し出し、見つけ出す。


 だが、いつものように、お宝だと思っていた物はただのガラクタだった。

 それでもラベルスは快活に笑って、次へのお宝へと進む。

 こんな性格になれたら人生楽しいだろうなぁ。



 読み終えた本をその辺に置き、次に手に取ったのはとても薄い本。別に変な意味の方じゃない。

 本当に薄っぺらいのだ。


 表紙には『七魔剣と七宝具』という、なんだかラベルスっぽくないタイトルの本だった。

 七魔剣はなんとなくわかるが、七宝具ってなんだろう。


 興味に駆られた俺はすぐさまにペラペラとページを捲る。

 物語の概要は、7本ある「魔剣」と呼ばれる剣と、7つある「宝具」と呼ばれる魔道具の話だった。


 この世界のどこかに、存在すると言われる七魔剣と七宝具。


 そして、それらの宝物にはある噂がある。

 意志を持っているというのだ。


 過去の人々はそれらを求めて戦争を起こした。

 それは人族だけではなく、全種族を巻き込んだ大戦争へと発展した。

 そして、哀れに思っ━━━━━ 


 あれれ、ここから先のページが全て破り捨てられている。

 なんなんだよ良いところで! 物は大事に扱えよ!


 中途半端に読んでしまった本をパタンと閉じると、背表紙にメッセージのような文字が書かれていた。


 「『俺の代わりにこの宝物たちを頼む。冒険家ラベルス・コナード』か」


 そう締めくくられていた。


 なんだか、いつもと違う終わり方だな。

 ラベルスが冒険してないし、欲しいと思った宝物を誰かに頼むなんて彼らしくない。


 嫌に現実味がある気がした。


 ······まぁいっか。時間もいい感じだ。

 窓を見ると、太陽が地平線の彼方へ沈んでゆくところだった。



ーーーーーーーーーーー



 深夜。夜の帳が完全に下りきった時間。

 クルルとクララが深い眠りについた後、ガルムとクラルは日課である談笑をリビングで交わしていた。


 ────コンコン


 そんなある時だった。

 小気味よいドアをノックする音が、2人の耳を支配した。

 訪れる沈黙、2人は不審に思って顔を見合わせて頷いた。


 こんな時間に誰が。そう思い、ガルムは恐る恐る、扉を開いた。


 そこにはローブ姿にフードを目深に被った2人。骨格からどちらも男だと判断する。

 1人は背が高く筋骨隆々を思わせる体躯に、もう1人は、隣の人物と比べると小さく線が細い男だ。


 だが、そんなことが気にならなくなるくらい、ある物に目が行ってしまった。


 フードから伸びた、2人の男の頭には人族には付いていない、山羊やぎのようなとぐろを巻いた角。

 レリンド大陸の真反対側に位置する、マランド大陸の住人。


 ──"魔人族"の男が2人立っていた。


「逃げッ────!」


 ガルムは咄嗟に声をあげようとしたが背丈の大きい魔人族に首を掴まれ持ち上げられる。

 目端にはクラルも同じように首を持ち上げられるのが見えた。

 大男の魔人族は、その両腕で2人を持ち上げた。


 必死に離れようと藻掻くが、魔人族の握力により2人はいとも簡単に気を失ってしまう。


 音を立てずにゆっくりと、気を失った2人を地面に置いて後ろへ下がる。


 そして小さく線が細い方の魔人族が前へ出る。


 額に手を翳し、初めて口を開けた。


「ケヒヒッ! さぁ、踊ってくれよ? お前らの根底にある感情を最大限に引き出してやるからさ」


 唾を飛ばし、気色悪く笑う。

 魔人族の手から緑色の光が溢れ出し、ガルムとクラルを包み込む。


 光に包み込まれた2人は目を開き、従順な下僕のようにゆっくりと跪く。


「「······主様の仰せのままに」」

「ケヒヒッ! それでいい!」


 ガルムとクラルの目にはもう理性など無かった。


 そして、2人の魔人族は蟠る闇へと姿を消した。


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