「ああ、きっと。」

深夜 酔人

愛、藍、哀。

 愛っていうのはきっと、とても純粋な感情なのだろう。私欲なんてものとは無縁で、ただ何かのために、広大な心に咲く一輪の花。それはきっと、強く、情熱的で、あたたかく包容力のある、眞赤なのだろう。多分見たこともないし、もう見ることもないんだろうけど。


「彼氏にフラれた」

「きついよ」

「もう何のために生きればいいのかわからない」

 ……そんなこと言わないでくれ、と私は切に願う。理華、君は幸せを掴んだと言っていたじゃないか。私と違って、貴女の笑顔はいつも輝いていた。貴女は愛を確かに持っていたはずじゃないか。

「……そんなこと言わないでよ、ちゃんと生きてよ……」

「……もうさすがにきついって。いっそここで死んじゃおうかな、なんて……」

「生きてよ!」

 悲痛で哀れな声。そして、嗚呼その願いのなんと浅ましいことか。私は自分の欲だけで人間を生かそうとしているのだ。私はこんなになり果ててまで、まだ彼女に自分の理想を映しこむのか。

「……まあ、シノの前で死ぬのもあれだし冗談だよ~」

 おどけた声、おどけた表情。それらの前に一瞬見えた、舌打ちするときのような表情を見て私は泣きそうになった。もう、やめてくれ。ただ、私は貴女に幸せになってほしかっただけなのに。そんな目で私を見ないでくれ。どこまでも落ちていきそうな黒。私の欲しかったモノが欠け落ちて、そうしたのは私自身で、私はそんなの望んでいない……。

「ねえ、褒めてよ」

「え?」

「ちょっとだけでいいからさ」

 感情のない瞳。きっと彼女も私にアイツのことを映しこんでいるのだろう。その眼にもう私は映っていないだろう。もう何も望んでいないんだろうなぁ。

 心が漂白されていく。希望が無くなるというと怖い印象があるけど、結構あっさりしてるな。たくさんの”色”が、消えていく。今なら、心にないこともすらすら言えそうだ。

「……ああ、すごい。すごいよ理華は。つらいって言いながら、それでも今生きていること自体がとてもすごいよ。私にはできないから。その場で死んじゃうから。それに、命を懸けるほどアイツを愛してるんだよね。私はそんなこと……できないから」

「愛して”た”、だよ」

 嘘つけ。そんな顔するくらいなら素直に認めればいいのに。

「ふふ、ありがとう。ワガママ付き合ってくれて。」

「……」

「……ふふ、やさしいなぁ、シノは」

「そんなことないよ」

 空虚な言葉の応酬。理華の顔にはふんわりとした笑顔が浮かんでいた。夕焼けに照らされて、それはそれは美しい紅だった。頭がぐらりと揺れる。ほんのりとバラの香りがする。この香りは理華の好きな香水だったか。嗚呼、もしくは。

「ねぇ、シノ」

「ん、なに?」

「私たちがさ、もし付き合ってたらさ、うまくいってたかな?」

「ッ……」


 その問いに、愛はない。完全な無色透明。

 ああ、ついに見つけたと思ったのになぁ。


「ああ、きっと」

 残念だ。とても。


「……ふぅん、そっか」

「うん、たぶん」

「……さて、そろそろ帰ろうか」

「そうだね」

「またね、シノ」

「さよなら、理華」

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「ああ、きっと。」 深夜 酔人 @yowaiyei

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