第6話:小学生の頃のできごと

◆◇◆


 小学五年の頃、美奈が公園で見つけた仔犬を拾って、家に連れて帰ったことがあった。

 しかし美奈の親は飼うのを認めずに捨ててこいと言うし、美奈は僕にどうしたらいいか相談してきたんだったな。


 僕は自分の親に犬を飼いたいって言ったけど、ダメだって怒られた。

 仕方なく僕たちは、二人で元の公園に仔犬を戻したんだ。


 ところが帰る途中で雨が降り出して、家に帰り着く頃には大雨になっていた。


 玄関先で美奈が「わんちゃんが死んじゃう」と泣き続けて、家に入ろうとしなかった。だから僕は一人公園に戻って、木立こだちの下で仔犬に傘をさしてあげたっけ。


 そのまま僕が夜中まで公園にいたもんだから、大騒ぎになって母さんが迎えにきた。

 あの時は、えらい怒られたなぁ。普段あんまり怒らない母さんが、あんなに怒るのを初めて見た。


 ああ、そういえば思い出した。美奈が、もしかしたらヨシ君が公園にいるかもってウチの両親に教えて、美奈と、美奈の両親も一緒に公園に来たっけ。

 

 びしょ濡れの僕を見て、母さんに「なんでこんなことをしたのか」とこっぴどく怒られたけど、「犬がかわいそうだし、美奈ちゃんが悲しむ顔を見たくなかった」と言ったら許してくれた。


 あの時の母さんの泣き顔は、今でも鮮明に思い出せる。


 結局美奈の両親は、僕の姿を見て、仔犬を飼うことを許してくれたんだった。


◆◇◆


「あの時だって、ヨシ君は私と仔犬のために、すごく優しかったじゃん。ヨシ君のおかげで飼えることになったから、名前を『とこやさ』にしたんだよ」


 美奈はその時のことを思い出したのか、顔をくしゃくしゃにして、頬には涙が流れている。

 なるほどあの犬の名前には、そんな意味があったんだ。今まで全然知らなかった。


「他にも、ヨシ君が私に優しくしてくれたことが、山ほどあるよ。中学の時に私が知らない男の子に絡まれた時だって……」


 美奈はそういって、僕が今まで美奈に優しくしたことを、いくつも教えてくれた。

 美奈が言うには、僕はいつも自分のことを犠牲にしてでも美奈を助けてきたんだそうだ。


 意識して優しくしてきたつもりはないけど、それはそうなのかもしれない。僕にとって美奈は、ずっと大切な存在だったから。

 美奈がそんなふうに受け取ってくれてたのは全然気づかなかったけど、めちゃくちゃ嬉しいな。


「ヨシ君はね、私にだけじゃなくて、ナカ君にだって、仔犬にだって、いつだってとことん優しいんだよ。それを一番知ってるのは私なんだ」


 そっか。これでようやく美奈が僕を好きだってことが、本当なんだという気がしてきた。


「それを言うんだったら、僕は美奈のいいとこをたくさん知ってる」


 可愛いだけじゃない。明るいだけじゃない。いつも周りに気を遣って、自分のことは二の次にして。僕たち三人がずっと仲良くいられたのは、美奈の気遣いのおかげが大きい。





 僕たちは、お互いの気持ちを確かめ合うことができた。

 こんなに幸せな日は生まれて初めてだ。


 だけど──


 仲也のことを考えると、お互いに好きでよかったねなんて、ハッピーエンドで終われない。


 それは美奈も同じ気持ちで、お互いにいったいどうしたらいいのかわからない。

 仲也の名前を出すと、美奈も黙り込んでしまった。


 その時、美奈の母がそろそろ晩ご飯の時間だよと知らせに来た。

 僕も家族が心配してるに違いないから、帰らなきゃいけない。


 仲也のことも考えて、これから僕たちがどう接していったらいいのか、お互いに今夜ゆっくり考えることにした。そして、明日もう一度美奈と話し合う。


「じゃあまた明日、ゆっくり話そうね」


 美奈はとても名残惜しそうに見送ってくれた。

 僕も名残惜しくて仕方がないけど、また明日はやってくる。

 明日になれば、また美奈と話ができると自分に言い聞かせて、美奈の家を後にした。


◆◇◆


 夕飯を終えて、自分の部屋でベッドに仰向けに寝転んだ。

 いつもなら居間で家族とテレビを観て過ごすことが多いけど、今日はとにかく早く一人になりたかった。


 天井をぼんやり見ながら、今日一日のできごとを思い浮かべる。



 美奈が実は僕を好きだった。


 美奈が。

 好きだった。

 なんと僕を!


 ついつい頬が緩んで、にやにやが止まらない。


 あ、そうだ。美奈に見られたあの紙。

 美奈から返してもらって、くしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込んだままだった。


 取り出して、広げてシワを伸ばすと、よれよれで惨めな感じになってる。

 思いは美奈に伝わったし、もう必要ないな。


 このまま捨ててしまおうかとも思ったけど、この紙が僕と美奈を結びつけてくれたと思うと、残しておきたくなった。


 紙を四つに折りたたんで、本棚の別の本の間に挟んで、また本を棚に戻す。



「ねえ、お兄ちゃん」

 突然ドアの向こうで、愛理の声がした。

「な、何?」



 入るよ、という言葉と同時にドアが開いて愛理が入ってきた。


 おいおい、もうちょい間を置いてドアを開けてくれよと愛理の顔を睨む。

 相手が妹とはいえ、万が一お年頃の女の子に見せられないような格好をしてたらどうするんだ?


 ドアの所に立ったままの愛理を見ると、なんだか怪訝けげんな顔をしている。

 いったい何の用なん?


「何かいいことあった?」


 愛理はいきなりど真ん中の直球を放り込んできた。


「な、なんのことかなぁ?」

 さりげなく返そうと思ったけど、明らかに挙動不審な震える声しか出ない。


「だってご飯の時から、ずっとにやけてるんだもん。気持ち悪い」

「はぁっ? わざわざそんなことを言いにきたのか? いいから自分の部屋に帰れ!」


 しっしっと追い払う僕の手つきを見て、愛理は渋々部屋を出ていった。

 僕はベッドの端に腰を下ろす。


 仲也のことを考えると、能天気に喜んでいるわけにはいかないんだけど……

 美奈が僕のことを好きだって考えただけで、すぐににやけ顔になってしまう。


 やっぱり仲也に隠して、美奈と付き合うなんて絶対無理だ。態度や表情ですぐにばれるだろうし、何より仲也を騙して裏切るような気持ちで、日々仲也と接することは僕にはできない。


 せっかく美奈が僕を好きだと言ってくれて、僕も自分の気持ちを伝えることができたけど、このまま美奈と付き合うなんてことはできない。明日きちんと美奈と話をしよう。


 ──僕はそう心に決めた。

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