よかったね。


 身体が重い。いつもの調子ではなかった。


 どう言い表せばよいのか、散々歩き通して体力が落ちているのは否めないが、これはそんな体調面や病気の類で具合が悪いとかそういう訳では無いだろう。


 おそらく妖精さんがいないからだ。


 妖精さんと一緒にいるときは全力疾走しても息を切らすことが無いし、こんな細腕から出るとは思えないほどの腕力を誇っていた。つまり私の推測では妖精さんとの契約を代償に超人的な体力を得ていたと思われる。


 これに気付かなかったとは大きな誤算だ。私は「ちょっとコンビニまで行ってくる」レベルでもスマホを持ち歩くような性分だった。この世界においてスマホみたいな存在の妖精さんにもまた同様に接していて、近場を探索する際にも妖精さんは欠かさなかった。


 妖精さんは何か用事があるのか一日置きに私の下に現れる。妖精さんがいないときには私は拠点にじっと身を潜めていた。そんな環境ではこれに気付かないのは当たり前だろう。自分の行動力の無さにはほとほと呆れた。


 わずか半日程度歩き通しただけなのに足が棒のようだった。今の私の体力は転生前の状態と変わりない。平均的な高校三年生の女子生徒を遥かに下回る体力だ。運動なんて毛嫌いしていた自分を呪った。


 ここは何処だろうか、樹木の種類や草花の種類は妖精さんから得た知識で覚えはある。何度も足を運んだ森の中にいるのだが、その森の何処にいるのか見当がつかない。日が傾き始めてしばらくたつ。完全に暗くなる前にこの森を抜け出したかった。


 疲労と焦燥感が祟ってか、足元が疎かになっていた。地面から飛び出た木の根っこに足を取られて無様に顔面から転倒してしまう。ふかふかの落ち葉と土のお蔭かそこまで痛くは無かった。


 それでもう私は一気に動く気持ちが無くなってしまった。身体を起こすのも億劫でならない。喉が渇いたが水筒を取り出す気力も起きない。指一つ動かしたくなかった。


 私は気を失った。




 気づいた時には辺りは真っ暗だった。


 月の僅かな明かりが木々の隙間から漏れてくるおかげで手元はなんとか見えるが遠くは暗くて見通せない。


 下手に身動きとれば余計に危険に陥るだろう。

 ここで一夜を過ごすしかないようだ。


 ズキズキと痛む手足を庇いながら体を起こして近くの大樹の根元にその身を預けた。

 遠くから聞こえる猛獣の雄叫びに身体を強張らせながら、暗闇を睨みつけ腰の手斧を両手に持ち替え身構えた。


 この異世界に転生して初めて、心細いと思った。


 いや、正直に今の自分の内面をつつがなく曝け出すならば、怖くて、怖くて、怖くて、堪らなかった。ビビッてチビりそうなんて冗談でいうこともあるが、本当にチビりそうだった。


「殺す」


 そんな直球ど真ん中の単語が聞こえて身体がビクッと反応した。

 何者かが近づいている。


「奪う」

「気をつけろ」

「気を付けよう」


 聞き覚えのある無機質で機械的でいて単語しか言わない喋り声が耳に入る。気配はそう遠くない。姿は見えないが近くをうろついている。


 盗賊たちだ。


 ほぼ完ぺきに同じ間抜け面を三つ揃えた恐らく三つ子の盗賊たちがすぐ傍まで来ている。いつもは三つ子の盗賊たちは私の狩りの対象であるが、普段の力が出せない以上、今は狩られるのは私の方だ。


 両手で握った手斧をひたすら強く握りしめて、見つからない事だけを祈った。今の私には何もできない。身体を小さくしてやり過ごすしかなかった。


 恐怖でまた気を失いそうだった。ここまで気が小さいとは思わなかった。ただ近づく死の恐怖に身体は正直に反応していた。


 脳裏に過ぎったのは涙を流しながら顔をゆがめる女の顔。誰だか分からない。ただ私が今直面している死の恐怖と直結している気がする。


 ただ純粋に「死にたくない」と切に願った。


 無様な私の祈りが叶ったのか、盗賊たちの気配は遠ざかっていった。力が抜けた。手斧がやたらと重く感じる。限界は既に超えていた。こんな調子で朝までここに居座ると思うと気が狂いそうだった。


 私はただ力なく大樹の根元に寄りかかっていた。あんなに大事に握っていた手斧も今は手元から離れて足元で転がっている。無防備な状態で今何かに襲われても反撃できないだろう。


 私は何が飛び出してくるか分からない暗闇を茫然と見つめていた。真っ暗なだけなので焦点を合わせることができなく目が回った。


 暫くそうしていると、目の前に光る物体がフワフワと頼りなく漂っていることに気付いた。他に見る物が無いのでそれを眺める。蛍とか光を放つ虫かと思ったけど違うようだ。ただ漂い方はそれに似ていた。薄れていゆく意識のせいかどうも距離感が掴めないのだが、その光る物体は私の顔の近くを漂っている様だ。


「妖精さん?」


 しばらくそのままぴたりと固まって動かない。


「もう、戻って来ないかと思った」


 まだ動き出す様子は無かった。私は幻覚を見ているのだろうか。幻覚だろうと何だろうと、ひとまず私は妖精さんに言いたい事があった。


 この無様な姿、一人じゃ何もできない。私は強がっていたのだ。

 私は妖精さんに謝りたかった。


『ごべんなさいいい! 僕が悪かったんだああ、ごべん。ごべんなさいい。ゆるぢてえくださいいい!』


 私より先に光る物体、妖精さんがそう言った。

 やはり妖精さんだったようだ。


『僕は最低なヤツだあ、キミのことを考えずに、うぐっ、キミの自由を奪って、ああ、自分に都合のいいように、うっ、バカは僕のほうだあ、バカって言ったやつがバカなんだああ! ごめん、ごべんなさい。だから僕はダメなんだ、だから友達がいないんだあ、人付き合いができないようなヤツは死んだ方がいいんだあ!』


 妖精さんは泣いていた。泣いて私に許しを請いていた。だが、死ぬなんて言い方はしないで欲しかった。


「妖精さん、死ぬなんて言い方しないでよ。悪いのは私だよ。勝手な行動して、死にかけて」

『悪いのは僕なんだああ、うわああん!』

「悪いのは私だよ、泣かないでよ」

『うわああん!』

「止めてって」

『ごべんなさいいいいい!』

「もう、悪いのは私だって。だから泣き止んで」

『うわああああん!』


 会話にならなかった。


 妖精さんには目が無いので涙を流しているのか見掛けでは判断できないが、泣いて悲しんでいることは充分に伝わった。そんな彼を見て私も泣きそうになった。絶対に泣くもんかと何とか堪えていた。


 なんだこれ。傍から見れば不思議な光景だろう。深夜の森で泣き叫ぶ妖精とそれをなだめる半ベソの女。しかも喧嘩の原因は些細な衝突から起こった互いの悪口。


 世の中には説明がつかない不可思議な出来事は沢山ある。異世界へ転生してしまうことだってその一つだ。なんだか訳も分からず泣いてしまうのもまた同じことだろう。これは超常現象のようなものなのだ。


 だから私も我慢ならずに泣き出した。


 私が小さな頃も友達とケンカして仲直りするときお互い「ごめん」と謝りながらもこうして泣きじゃくっていたものだ。私は思った。妖精さんはまだ子供だし、私だってまだ子供だ。お互い未熟な子供だった。


 私は「空気が読めなくて人付き合いが苦手な女」だからと他人を拒絶して、大切な妖精さんすら一時は見切りを付けようとした。自分はこういう人間だからと決めつけて本音を押さえつけていたのだ。彼も同じだろうか、もしかしたら妖精さんと私は似た者同士なのかもしれない。妖精さんをスマホと例えるのはもう止めにしよう。彼は私にとって大切な友達だから。


『うわああああん!』「うわああああん!」


 私たちはごめんごめん言い続けてわんわん泣き続けて夜を明かした。ここまで豪快に泣いていたお蔭か近づく敵はいなかった。


 その後、ひとまず私たちは元の拠点に戻ることにした。


 帰りの道中、盗賊の寝床とみられる山小屋を発見したので、持ち出せる物は持ちだして、火を放ってその場を後にした。


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