今日は早く帰って異世界転生するんだ。

ヤイテタベル

いわゆるプロローグと言われる部分

私が思うにこれは、


 寝心地の悪いベッドだと思っていたら、それもそのはずで、いつの間にか床の上で眠っていた。寝ぼけてベッドから落ちてしまったのだろうと思ったが、それも違うようだ。


 身体を起こして確認する。

 うつ伏せで寝る癖のある私なので、まぶたを開けば目の前の異変に気づく。


 淡く青白く光るツルツルとしたこの世の物とは思えない材質の石畳があった。これは、とても貴重な石を使っているのだろう。私の部屋はフローリングでこんな大富豪のリビングみたいに大理石を使っていない。ここは少なくとも自宅ではないようだった。


 周囲を見渡してみたが辺りは真っ暗で何も見通せない。ただ、おかしなことに私の周囲だけが光に包まれハッキリ見える。天井を見上げても光源が見当たらない明暗くっきり分かれて不思議な感覚だった。


 どうも記憶が曖昧だ。昨夜は何時に寝たとか覚えていない。昨日は何月何日だったのか、そもそもここはいったい何処なのか、大富豪はどうして大理石を使いたがるのか、どういった経緯でここに居るのか、昨日の晩御飯は何を食べたのか。訳が分からない事ばかりだが、パニックに陥る事は無かった。不思議と今の状況をすんなり受け入れている自分がいる。


 一々悩んでも仕方がないのでもう一度寝そべっておく。


 大理石というのはひんやりと冷たいけれど、何だかこの冷たさが癖になる。そもそも暑がりの私はひんやりしたところが好きなので、なんだか心地よさを覚えているのだ。それにこの青白い光がヒーリング効果をもたらすのか、ついまたウトウトしてきた。きっとこれだから大富豪はやたらと大理石を自宅に使うのだろう。て言いうかこれは大理石なのだろうか。


 私はただ真っ暗なだけの天井を眺めていた。真っ暗なだけなので焦点を合わせることができなくて目が回りそうになった。


 暫くそうしていると、真っ暗なだけの天井に光る物体が頼りなくフワフワと漂っていることに気付いた。他に見る物が無いのでそれを眺める。蛍とか光を放つ虫かと思ったけど違うようだ。ただ漂い方はそれに似ていた。


 対象物がないのでどうも距離感が掴めないのだが、その光る物体は私の顔の近くを漂っている様だ。目の前をフワフワ漂っていた光は少し動いて次に私の胸元でぴたりと止まった。無視していようかと思ったが何だか違和感を覚える。


 また暫くして、お腹あたりでフワフワ、太もも当たりでまたフワフワ。

 そして、足先まで移動したらまたぴたりと止まる。


 これまで意識していなかったが、私は簡素な造りの白いワンピースを着ていた。下着は着ているのだが無防備であるのは違いない。足元の光る物体が微動だにしないので、なんだかパンツを覗かれているような気がした。それはとても不愉快なので、すかさず裾を抑えて隠した。


『ご、ごめん!』

「いいよ、別に」


 急に声が聞こえて驚いたが、それは明らかに目の前にいる光る物体からだった。

 驚くことにその光る物体は喋ったのだ。


『あ、喋った!』


 私より先に光る物体がそう言った。

 耳も口もないはずの物体が私と同じことを思っていたとは意外だった。


「喋れるよ」


 私の返事に光る物体は驚いた様子だった。

 表情が無いので何とも言えないが、そう思った。


『すごい! もしかして僕の言っている事も分かるのかい?』

「うん。理解できる」

『へえ、すごいね、すごいことだよ。彼が言った以上じゃないか』

「彼?」

『ううん。なんでもないよ、こっちの話』


 彼とはまた、期待させるような事を言う。


 また身体を起こして改めて辺りを見渡した。やはり何かが変わるわけも無く、真っ暗で遠くまで見通せない。スポットライトを当てるかのように私の周りだけ光っている。真っ暗な世界の中心に私と光る物体があるだけ。


 これはなんだか演劇の導入部分のような感じだ。

 そう考えると何かが起こりそうな予感がしてワクワクしてきた。


「ねえ、ここは何処なの?」

『ここかい? えっとね、ここは“原初の間”という所らしいよ』


 原初の間、光の玉が言ったこれまたそれっぽい言葉をそのまま私は口ずさんだ。


「なんで私はここに居るの?」

『え、何でと言われても。ちょっと待って』


 特に変な事を訊いたつもりはなかったと思うが、私の質問に光る物体は動かなくなった。


「大丈夫?」


 すこし不安になったので声を掛けてみる。暫くしたら光る物体は動き出した。


『ごめん、お待たせ! いいかい、ちゃんと聞いてくれよ』

「もちろん、聞くよ」


 何を慌てて準備したのか分からないが、そもそもこれは絶対に聞いてくるような質問なので予め用意しておくべきだ。


『キミはこれまでの記憶が曖昧になっているから覚えて無いかもしれないけど、実はキミは僕と契約してここに居るんだ。キミは選ばれた契約者。この世界で唯一無二の存在なんだよ!』


 選ばれし存在、契約者、唯一無二、耳に心地の良いフレーズを並べる。


「そう」

『それだけ? もっと違うリアクションが見たかったな』

「じゃあ、確認したいんだけど」


 ただ、甘い誘いには裏がある。

 これを怠って数多の先人たちは悲惨な目にあったのだ。


「契約内容はどうなっているの? 私はその契約を了解したうえでここに居るの? 事前の協議なしにここに連れて来られている訳じゃないよね? 契約書とかあるのかな?」


 畳みかけるように質問を投げかけたせいか、また光る物体は少しのあいだ固まった。


「大丈夫?」


 また、すこし不安になったので声を掛けてみた。


『え? なに? ちょっと待ってよ、そんな難しいこと言われたって僕は何も分かんないからね! もう始まってしまっているから同意したことになってんじゃないの? 僕にはそういうの良く分かんないよ!』


 なるほど、ここに居る時点で既に契約は了承したとみなされていると言う事だ。私は内容を確認せずに利用規約のチェックボックスにチェック入れてしまっていたのだ。これは自業自得である。これ以上は彼に言ったところで無意味だろう。いずれ上の立場の人と話を必要があるが今は取り敢えず何も言わないでおく。


「ところで、あなたは誰なの?」

『良かった普通の会話に戻って安心したよ。 僕は、そうだな、キミの妖精だよ』


「私の妖精?」


『そう、僕と契約したと言う事になっているからそうなるみたいだよ。僕はキミのもの。キミは僕のもの』

「 妖精って小人を想像していたけど、違うんだ」


 今私の目の前にいる妖精は、ただ光るだけの物体だった。


『まあ、妖精にも色んな種類がいるってことじゃないかな? 僕もそんな妖精の一つということで』

「ふうん。それじゃあ、あなたに名前はあるの?」

『え、名前? 名前か、それは考えていなかった。まあ、名前はなんだっていいさ、キミの好きなように呼べばいいよ』


 そう言われると、ポチとかタマとかペットみたいな名前を付けようかと一瞬頭をよぎったがそれはかわいそうな気がして止めた。


「じゃあ、何のひねりも無いけど妖精さんで」

『あ、ちょっとまって。妖精さんは止めて、そのあいだを取って“ご主人様”なんてどうかな?』


 妖精と何の間を取ったら「ご主人様」になるのか良く分からなかった。主従関係でいえば、私が「主」で彼が「従」だと思うが違うのだろうか。


「いや、妖精さんでいく」

『……まあ、いいよ』


 分からないことだらけだが、一つ分かった事がある。この光る物体は先ほどの覗きの件やご主人様と呼ばせようとするところを鑑みるに、ちょっとスケベであることは間違いなかった。


「妖精さんはわたしに何をさせたいの?」

『そうだね、それは僕次第というか、キミ次第というか、いずれ伝えるよ。ひとまずここを出よう。話はそれからだ、僕に付いて来て』


 妖精さんはそう言って何も見えない暗闇をすいすい進んで行った。

 この場に残っていても仕方がないので私もそれに続く。


 この暗闇を妖精さんの仄かな明かりを頼りに進むのは心許無いが、気持ちの上では少なくとも心細いなんて思わなかった。目を覚ませばそこは全く知らないところで、目の前には得体の知れない謎の光の玉がフワフワ漂い先の見えない暗闇を進む。何をしていいのか分からないこんな状況で、普通ならば気が狂っても仕方がないと思う。


 でも私は全くの平常心だった。

 むしろワクワクしているところすらある。


 私は最初から気づいていた。

 ここは異世界だ。わたしは異世界へ転生したのだ。


 つまりこれは異世界転生もののアレだ。


 日頃から異世界に転生したらどうするかなど真剣にイメージトレーニングを重ねて来た結果、こんな非現実を目の当たりにしても私は取り乱すことなく平常でいられたのだ。何なら待ってました! と言えるくらいのテンションだ。そんな事を考えながら素足でひたすら冷たい大理石の上をヒタヒタ歩いていたが、不意に土を踏むやわらかな感触が伝わった。とうとう暗闇の世界から抜け出したのだ。


 外の世界に出たらひんやりとして肌寒かった。暗闇の世界は空調が効いているように適温だったようだ。外は日が昇り始めたころでうっすらと靄がかかっていた。冷えた空気を鼻から吸って気持ちを整える。


『始まるよ、僕たちの冒険が!』

「うん」


 これから始まる私の異世界転生物語に胸を高鳴らせながら、また歩みを進める。お日様が顔を出して世界を照らす。この異世界の全貌を露わにする。


 すると、そこには、


 視界いっぱいの、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人。人の群れ。人が多すぎて波のように見えてきた。


 その老若男女の人の群れは私と似たような格好をしていた。そしてその傍らには私と同様に色違いの光を放つ妖精さんが。似たようなビジュアルの人間が私も含めて大自然のなかで大渋滞を起こしていた。


「何これ?」

『他の契約者みたいだね』


 さも当然のように言うけど、


「唯一無二の選ばれし契約者って多くない?」


 これは早急に上の人と話す必要がある。



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