第87話 アベル・グランチェスタ


 聖騎士の一人に案内されて、カルマたちはオストレア聖堂の広い廊下を進んだ。


 聖堂の中には、他にも何人も金獅子聖騎士団の聖騎士の姿があった。修道士の数も多く、しかも全員が武装している。


「なかなか物々しい感じだけど……なあ、聖騎士さん? オストレア聖堂はいつもこうなのか?」


 カルマが空気を読まずに質問するが、聖騎士は憮然とした顔で何も応えなかった。


(無視かよ……ていうか、応えられないんだろう?)


 昨夜潜入したときは、夜という時間帯から割り引いて考えても、警備はここまで厳重ではなかった。明らかに手紙の差出人に対する警戒体勢だが、事情が事情だけに、警備をしている人間にまで理由を説明している筈もなかった。


「こちらでお待ちください」


 聖騎士は小部屋に案内すると、そう言って立ち去った。

 そこはソファーだけが置かれた待合室のような部屋だった。


 それから暫くの間――カルマたちは待たされることになった。


「……まあ、仕方ないか? グランチェスタにとっては完全な不意打ちだからな。少しは状況を整理する時間が欲しいんだろう?」


 カルマは意地の悪い顔で笑う。 


「だけど、あまり待たせるようなら……何か仕掛けて来るって警戒した方が良いわね?」


 クリスタは知覚強化魔法を発動させて、外の様子に聞き耳を立てている。


「さすがに、いきなり実力行使には出ないでしょうけど……それでも追い詰めたら、何をしてくるか解らないわよ?」


 聖騎士を配備しているのは牽制が目的だろうが、事態の転がり方によっては、彼らと一戦交えることになる。


「そうなったらなったで……却って楽じゃないか? そこまでやったら、グランチェスタも言い逃れはできないだろう?」


 カルマは相変わらずの気楽さだった。多勢に無勢という状況も全く意に介していない。


「そうね……だけど、私がカミナギに期待しているのは、グランチェスタとの交渉の方だからね?」


 クリスタは口元に笑みを浮かべてカルマを見つめる。


「あのとき……カミナギが責任を以てどうにかするって言ったのは、意味でしょう?」


 オードレイを廃人にした後、カルマはクリスタに責任を取ると約束した。

 その言質を逆手に取ってクリスタは、カルマが一人で矢面に立たないように牽制しているのだ。


「ああ、勿論解っているよ……クリスタさん? ようやく動きがあったみたいだ」


 クリスタにはまだ何も聞こえていなかったが――カルマが言うならば間違いないと、扉に視線を向ける。


 それから数分後、部屋の扉がノックされた。

 返事応じて入って来たのは、先程とは違う二人の聖騎士だった。


「ハイベルト総司教猊下、エリオネスティ聖騎士団長殿、それにお連れの方……これよりグランチェスタ枢機卿の元にご案内しますので、武器はここで預からせて頂きます」


 口髭を生やした三十代の聖騎士が丁寧な口調で言う。


「ええ。解っているわ」


 クリスタが目配せすると、カルマも素直に従った。二人はベルトから剣と短剣を鞘ごと外して聖騎士に渡した。


 ボディチェックまでは行わなかったが、これでほとんど丸腰の状態だった。

 普通の人間が相手なら、魔法が使えても接近戦では切りつける方が早いから、武器を取り上げるのは有効な手段だった。


 前後を聖騎士に挟まれる形で、カルマたちは再び広い廊下を歩いて階段を何度も昇り、オストレア聖堂の最上階である四階まで案内された。


 前を歩く聖騎士がようやく立ち止まったのは、両開きの扉の前だった。

 扉の左右には同じ格好の聖騎士が二人、これ見よがしに長槍を手にして控えている。


(何処の王宮のつもりだよ? ホント貴族趣味も甚だしいな?)


 カルマは内心で呆れていたが、顔には出さなかった。


 口髭の聖騎士が小声で『例の客人だ』と告げると、槍を持った聖騎士たちはカルマたちを一瞥してから両開きの扉を開く――この聖騎士たちは多少なりとも事情を知っているようだから、何かあれば真っ先に敵になるだろうなとカルマは思った。


 部屋の中で待っていたのは、二人の男だった。


 一人は、甲冑に金獅子の刺繍入りのサーコートを纏う聖騎士。二メートル近い長身の筋骨隆々ながら、灰色の瞳が物静かな印象を与える――金獅子騎士団団長ジョナサン・レパードだ。


 もう一人は、金で刺繍した青いローブを纏う華奢な優男。肩まで伸びた金色の髪に緑色の瞳。実年齢は四十代だが、見た目は二十代前半にしか見えない――枢機卿アベル・グランチェスタだ。


「これはこれは、ハイベルト殿に、エリオネスティ殿ではないか」


 先に口を開いたのはグランチェスタだった。気だるげな表情で微笑を浮かべて、型通りの挨拶をする。


「そちらの御仁は?」


 言葉の丁寧さとは異なり、グランチェスタは顎をしゃくる様な仕草でカルマを見る。


「俺はカルマ・カミナギ。二人の協力者パートナーだ。枢機卿猊下、よろしくな」


 カルマは鼻を鳴らして、何食わぬ顔で右手を差し出す。


「協力者……まあ、良いだろう……」


 グランチェスタは薄笑いを浮かべながらカルマの手を握ると、入口に立つ聖騎士に合図して扉を閉めさせた。


「先に言っておくが……『防音』の魔法を使わせて貰う」


 そう言ったのは、ここまで黙っていたレパードだった。


「ここからは、互いに腹を割って話したいからな。他人に聞かれては支障が出ることもあるだろう?」


「……承知したよ、レパード殿」


 キースは自分たちには聞かれて困る話などないと思いながら、些細なことで押し問答をしても始まらないと承諾する。


 レパードが呪文を詠唱すると、白い光が部屋の壁と床、天井を覆った。


「これで良い……さあ、ゆっくりと腰を落ち着けて話をしようではないか?」


 テーブルを挟んで向かい合わせに並ぶ長椅子に、それぞれ腰を下ろす。

 奥の椅子の向かって右側にグランチェスタ、左がレパード。手前の椅子には右側からクリスタ、キース、カルマの順に座った。


「それでは早速だが……」


 グランチェスタは肘掛にもたれ掛かり、半ば寝そべるような姿勢で話し始めた。


「ハイベルト殿には、会談は明日にして欲しいと伝えた筈だが? よもや私の寝室に忍び込んだ鼠の主が貴殿という訳ではあるまい?」


 薄笑いを浮かべるその態度は、寝室に残された手紙とキースたちの突然の来訪に慌てふためいているという感じはまるでなく、上から目線の余裕に満ちていた。


(なるほどね……他人任せの安っぽいプライドだよな)


 グランチェスタが余裕でいられる理由に、カルマは気づいていた。

 この部屋の左右にある隠し部屋にはそれぞれ十人ほどの人間が潜んでおり、そのうち三人から天使クラスの魔力が感じられる。


(クリスタさんから剣を取り上げたから、戦力的には自分たちが圧倒的に有利。それに連れて来たのが俺だけで、オードレイを捉えていることも知らないから、幾らでも言い逃れができる――なんて考えているんだろうな?)


 天使の存在くらいはクリスタにも伝えておこうかと思ったが――目線の動きで彼女も気づいていることが解ったから、とりあえず、暫くは傍観することにした。


「グランチェスタ……私は君の戯言を聞くために来た訳じゃないんだ」


 グランチェスタは一瞬、何を言われたのか解らなかった。

 いつも穏やかな笑みを浮かべているの好々爺然としたキースが、このようなこと言うとは思わなかったからだ。


「ハイベルト殿……今、何と……」


 思わず聞き返したグランチェスタを、キースは厳格な表情で睨み付ける。


「正教会を代表する立場にある枢機卿ともあろう者が、信徒を犠牲にして天使を召喚するとは何事だ! 君は聖職者としての志すら見失ったのか!」


 激高したキースを見るのは、クリスタにとっても初めてのことだった。


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