第85話 カルマの仕掛け


 グランチェスタが管理するオストレア聖堂は、ビクトリア大聖堂と並ぶ正教会の最重要施設だ。


 初代教皇が教典をしたためた場所として神聖視されており、五百年間不在の教皇の寝所でもある。たとえ総司教と言えど、である枢機卿の許可なく立ち入ることはできなかった。


「……一応言っておくけどさ。書簡の方も無駄になった訳じゃないから? 総司教キースさんから書簡が届いた後だから、俺の仕掛けに意味が出たんだよ」


「カミナギ……交渉に支障が出るかも知れないから、きちんと説明しなさいよ?」


 クリスタに呆れた顔で詰め寄られて――カルマはカイケルが部屋から出て行くことを確認してから認識阻害を発動させた。


「カイケルさんを巻き込む気はないだろう? だったら、余計なことは知らせない方が良いよな?」


 これで三人の姿や声、匂いや気配すらも他者が関知することはできなくなった。


「俺がやったことは単純だよ――グランチェスタの寝室に忍び込んで『おまえがオードレイに指示して行っていることは筒抜けだ。こっちには証拠もあるが、どうする?』て内容と、この屋敷の場所を書いた紙を置いてきたんだ」


 曖昧な内容であり、悪戯と切り捨てられても仕方がないものだったが――三つの要素がグランチェスタを動かした。


 一つ目は、先程カルマが言ったように、キースから書簡が届いた直後だと言うことだ。彼との関わりをまずは疑うだろう。


 二つ目はこの屋敷を返信先に指定したこと。大貴族エリオネスティ公爵の持ち物であることはすぐに解るし、その娘クリスタとキースの関係も当然グランチェスタは知っている。


 そして、三つ目は――紙片がグランチェスタの寝室で見つかった点だ。

 側近以外は絶対に立ち入ることができない自分の寝室に紙片があったということは、の中に内通者がいるということだ。


 総司教と聖公女が結託し、エリオネスティ公爵が背後にいる可能性もある。しかも――用心深いグランチェスタが裏切らないことを前提に選び抜いた側近すら抱き込んだ相手は、他にも正教会の急進派や、貴族たちすらも――


 憶測が憶測を呼んで疑心暗鬼になったグランチェスタが、慌てるのも仕方がなかった。


「……ということで。グランチェスタは今誰が敵か解らない状態だと思うよ。上手く掻き回してやれば、面白くなるんじゃないかな?」


 しれっと爽やかな顔で笑うカルマに――『やっぱりカミナギは性格悪いわよね』とクリスタは溜息をついた。


 丁度カイケルが戻って来たのとタイミングを合わせたかのように、カルマが認識阻害を解除する。


 一連の様子を抜け目なく観察していたレジィと、驚くことに食傷気味のオスカー。


 そして話に加わっていたキースは、寝室に忍び込んだ方法や、何処までがカルマの計画なのかなど色々聞きたいことはあったが――今は自分のすべきことを優先した。


「つまりは、交渉を有利に進める絶好の機会ということだね? カルマ君のやり方は道徳的には感心できたものではないが……私も今さら綺麗事を言うつもりはないよ」


 落ち着き払った外見をよそに、キースが固い決意を抱いていることはカルマも気づいていた。

 その覚悟を――漆黒の瞳が静かに受け止める。


「じゃあ……一応、キースさんの書斎に転移して書簡の件を確かめてから、グランチェスタのところに行こうか?」


 キースの名前で出した書簡の返事も、確かめておく必要がある。


「転移魔法を使うの? だったら、オードレイを隠している魔法を解除してくれない? 私は見えない相手まで、一緒に転移させられないわよ」


 クリスタは素朴な疑問を口にする。


「この距離なら、わざわざ転位魔法を使わなくても、普通に外から行けば良いじゃないの? 書斎に籠っている筈のキースお爺様が突然帰って来たら驚くでしょうけど、そんなに大きな問題じゃないわよね?」


 そこまで言ってから――クリスタは気づいた。

 クリスタに転位魔法を使わせるつもりなら、カルマは初めからオードレイの姿を隠したりしない筈だ。

 

「……カミナギ。貴方、自分で転位するつもりね? お爺様の書斎にも『転移門』を造ったでしょう?」


 ジト目で見るクリスタに、カルマは抜け抜けと応える。


「まあね……キースさんには悪いけど。この前行ったときに、念の為に仕掛けさせて貰ったんだよ?」


 まったく油断も隙もあったモノじゃないわねとクリスタは鼻を鳴らす。

 

 昨夜王都を訪れたときも――二人が転移した先はカルマが借りた宿屋の一室だった。

 『転位門』を簡単に作り出せるカルマにとっては、転位魔法など気楽な移動手段に過ぎないのだろう。


「カミナギはオストレア聖堂にも転移で移動するつもりよね? でも、わざわざ転移魔法を使うことに何か意味が……ああ、そういうことね?」


 クリスタはカルマほど転位魔法を気楽に使える訳ではないから、発想に辿り着かなかったのだ。


 カルマはしたり顔で応じる。


「そうだよ――グランチェスタも馬鹿じゃないから、この屋敷の周りや通り沿いに斥候くらい配備してる筈だ。そいつらから何の情報も入らないうちに、突然俺たちが転移で現われたら――奴は相当慌てるだろうな?」 


 さらにはギリギリまで動かないことで相手を焦らす効果もある――もっとも、このような使い方はカルマ以外の者にできる芸当ではないが、それ故にさらに効果が高まるのだ。


 そもそも転移魔法の使い手自体が稀少であり、クリスタも秘匿していたから、転移で移動してくることなど想定していないだろう。


 仮にクリスタが転移魔法を使えることを知っていたとしても、自分の本拠地にクリスタの『転移門』を造ることは不可能だからと切り捨てる筈だ。


 つまり――グランチェスタにとって完全に想定外の事態が発生することになる。


「解ったわよ……キースお爺様? カミナギが言ったように転移魔法で移動しようと思うけど、構わないわよね?」


「ああ、勿論……今回の件は私も絶対に失敗したくないからね。成功する可能性を高める方法なら歓迎するよ」


「だったら、決まりだな……転移魔法のことは今さらだから、カイケルさんに見せても構わないよな?」


 部屋の中にカイケルが居るので、一応確認する。


 カルマたちが転移魔法で移動してきたことをカイケルが理解しているかどうかは定かでないが、入口を通らずに二十人以上の人間を連れて来たり、その人間の大半を光の壁で閉じ込めるなど、魔法で色々とやらかしているのだ。今さら魔法そのものを隠すことに意味はないだろう。


「ええ、問題ないわ……カイケル! これから私たちが使う魔法で驚くかもしれないけど……心配はしないでね? 別に心配するようなことは何もないから」


「はい……解っております。私は姫様がされることを疑ったことなどございません!」


 カイケルは自信たっぷりに応えるが――でも魔法を使うのはカミナギなんだけどねとクリスタは思ったが、口にはしなかった。


 結局――転移魔法で三人の姿が一瞬で掻き消えるとカイケルはその場で腰を抜かして、暫く立つことができなかった。


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