第72話 クリスタ・エリオネスティとは?


 クリスタ・エリオネスティは自分のことを、他人が評価するような沈着冷静で思慮深い人間などと一切思っていない。

 彼らが見ているのは偽りの姿であり――本当の自分は感情的で我儘な人間だと、クリスタは自覚していた。


 エリオネスティ公爵家の第一公女として生まれ育ち、そして、その責務を放棄して正教会に加わってからも、クリスタは自らの役割を果たすために冷静で思慮深い人間であろうと努力してきた。


 その甲斐もあって、クリスタと利害関係にある者たちは彼女を『聖公女』などと揶揄しながらも、政略に長けた年長者とも対等に与する難敵として扱ったが――それが自分を偽った結果だということは、クリスタ本人が一番解っていたのだ。


 だからと言ってクリスタは、自分のやり方を変えようとは思わなかった。


 幸か不幸か、他者とは違う特別な力を持って生まれてきたが、クリスタを取り巻く世界は力だけで渡って行けるほど甘くなかった。貴族社会も正教会の上層部も、私欲まみれの権力闘争の場という意味では同じだった。


 大切な者たちを守るためには、自分の力に対する畏怖も、公女の地位も権力も全部利用しなければならない――だからクリスタは諦め気味に納得しながら、偽りの自分を演じ続けてきたのだ。


 カミナギと出会うまでは――


『ホント面倒臭い奴だよな?』


 カミナギという男は事もあろうか、こんなことをクリスタに言ったのだ。


 面と向かって貶されるなど初めての経験だった。少なくともクリスタの周りの人間は、たとえ陰で何と思っていようと、ストレートに罵ったりはしなかった。


 勿論、それだけではない。カミナギという男はあらゆる意味で、クリスタの常識から逸脱していた。まるでクリスタが自らを偽ってまで必死に守ろうとしているものを嘲笑うかのように――カミナギは思うままに、誰に構うことなく生きているように見えた。

 

 カミナギが気楽に振る舞うのは強い力を持つ者の驕りだと、初めはクリスタも考えた。しかし、自分の力に溺れるほど彼は愚かには見えなかった。


 同じように力を持ちながら、クリスタがあれこれと考えているうちに、カミナギは何の躊躇いもなく答えを出す――二人の間にある違いとは、一体何なのだろうか?


 それが背負っているモノの重さの違いだなどと、クリスタは思わなかった。何故ならば――漆黒の瞳の奥に宿るカミナギの意志が、あまりにも強い光を放っていること知ってしまったからだ。


『どっちにするかは、おまえが好きに決めろよ?』


 そう問い掛けながら、カミナギはクリスタの心の奥底まで見透かすように笑った――おまえは迷っているが、義務や責任なんて言葉で誤魔化そうとしているだけじゃないのか? 自分が決めることで背負うモノを怖がっているんじゃないかと――


『そんなの、クリスタさんの買い被りだよ』


 カミナギに訊いたら、きっとこんな風に誤魔化すだろうが、クリスタは確信していた――カミナギは自分には想像できないほど何か大きなモノを背負いながら、それでも笑って全部自分で決めているのだ。


 しかもカミナギは――自分のことだけを見ている訳ではなかった。アクシアのことも、そしてクリスタが背負っているモノにさえ、手を伸ばしてくる。

 『好きにやれよ』と言いながら決して突き放すのではなく、傍に立って見守っていてくれる。まるで――


『自分が信じることを好きにやってみろよ――もし駄目なら、俺が絶対に拾ってやるからさ。おまえ一人で全部抱え込む必要なんてないだろう?』


 揶揄うようなカミナギの笑顔を見ていると、そんな風に言われている気がするのだ。

 だからクリスタは迷うことなく、正教会の黒幕と正面から戦う道を選んだ……



「なるほど。さすがはクリスタ・エリオネスティ殿だ。私などでは、剣の動きすら捉えることができないか……」


 オードレイは眼鏡の奥で、クリスタを蔑むように笑った。


「だが……哀れなものだな! 貴様が如何に剣の達人であろうと、私の絶対的優位は揺るがない! ――天使ヨハンよ! 光の神ヴァレリウスの意を示せ!」


 オードレイの言葉に応えるように、上空に浮かぶ天使は翼を大きくはためかせた。すると、まるで翼から羽根が舞い上がるかのように、無数の光の刃が降り注いだ。


「『聖域サンクチュアリ』!」


 キースは咄嗟に神聖魔法を自分の正面に発動させた。空間を包み込むのではなく面として展開した『聖域』に、光の刃が突き刺さる――もし『聖域』を発動していなければ、刃は間違いなくキースの背後にいる村人たちを襲っていた。


「……どういうことよ? 村の人は、あなたにとっても大切な信徒でしょう?」


 小手を付けた腕で顔は防御したが、光の刃はクリスタの鎧にも突き刺さっていた――霊獣を瞬殺したクリスタが、天使の攻撃をまともに受けているのだ。


 その姿を見て――オードレイは勝利を確信して歓喜の笑みを浮かべる。


「多少数が減ってたとしても、大した問題ではない! 仮に全員を殺してしまったとしても、代りの村はあるのだしな。よりも、私は邪魔者を消すことを優先するよ!」


「解ったわ……そういうことね」


 カミナギが言っていたように――オードレイはすでに、聖職者ですらなかった。

 自分が信じる神のために殉教者を募るのは狂信者のやり口だが、オードレイにとって信者とは、体の良い道具でしかないのだ。


「あなただけは……絶対に許さないわ!」


 クリスタ剣を一閃して首を狙う――しかし、斬撃はオードレイが放つ光に受け止められた。


「ほう……私を許さないだと? 貴様は自分の立場が解っていないようだな?」


 オードレイの背中には、白く輝く大きな翼が出現していた。


「聖騎士である貴様が、天使である私に勝てる筈がないだろう!」


 オードレイが掌をかざすと、光の塊がクリスタを襲った。その力に圧し負けて、クリスタは背中から『聖域』に叩きつけられる。


 天使とは――言うなれば神聖魔法のような存在だった。だから聖属性の魔力を帯びた攻撃など完全に防ぐことができる。

 さらには、天使が放つ神聖魔法の威力は、人間では決して到達できない領域にあるのだ。


 つまり――聖騎士にとって天使とは、圧倒的に不利な相手だった。


「……手加減でもしたの? ……私はまだ生きているわよ!」


 クリスタはオードレイを見据えながら、ゆっくりと前に進み出る。光の塊を受けて鎧は所々拉げていたが、致命傷というには程遠かった。


「馬鹿な……」


 一撃で殺すつもりで、オードレイは本気の魔力を放ったのだ。

 それをまともに受けながら、いまだクリスタが立っている理由が、オードレイには理解できなかった。 


(状況が不利なのは、今でも変わらないけどね……)


 クリスタは横目でカミナギを見る――漆黒の瞳は揶揄うように笑っていた。


『クリスタさんなら。まだ、やれるだろう?』


 そう言われた気がした――


「……ええ。その通りよ!」


 氷青色アイスブルーの瞳は、地上と上空にいる二体の天使の位置を確認する。


「オードレイ――貴方は勘違いしているわよ?」


 まるでカミナギのような不敵な笑みを浮かべる。


「……戯言を言うな! 聖騎士の貴様に何ができる!」


 オードレイは切り捨てるが――先程までの余裕はなかった。

 そんな空気の変化を感じ取りながら、クリスタは静かに覚悟を決める。

 

「私は確かに聖騎士だけど――その前にクリスタ・エリオネスティだから!」


 クリスタの声は夜の闇を貫いた。


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