第71話 扇動家と詐欺師


「偉大なる光の神ヴァレリウスの信徒として、我々には成さねばならぬことがある――それは光の神の威信を世の中に知ら示すことだ!」


 オードレイの低い声は、まるで地鳴りのように人々の心の奥底まで響き渡った。


「しかし、クロムウェルの王家や貴族、ましてや正教会の指導者たちまでもがその責務を怠り、諸外国の顔色を窺っている! この由々しき事態を我々は看過すべきか――否! そのような軟弱な精神を持つ輩を、我々は決して許してはならない!」


「……物凄く独善的で扇動的な台詞だな。おまえは独裁者かよって、突っ込んで欲しいのか?」


 聞こえないことを承知の上でカルマがうそぶく。漆黒の瞳は蔑むようにオードレイを見ていた。


「諸君たちは私の言葉を聞いて、違和感を憶えていることだろう? 自分たちのように無力な民衆に何ができるのかと――しかし、その答えも否だ! 諸君たちは誤解している! 大いなるヴァレリウス神の力を授かることは、聖職者たちの特権では決してないのだ!」


 村人たちはオードレイの言葉に聞き入っていた。抑揚のある声を耳にして、彼らは次第に高揚感を覚えていく――熱を帯びた視線が集まると、オードレイは満足げに頷いた。


「諸君たちが神の威信を示すために必要なことは唯一つ――その身を捧げて、神に力を授けて欲しいと願うだけだ! さあ、神の威信を正に体現した者を、これより諸君たちに紹介しよう――我が同志ヨハンよ! 神に与えられし神秘の姿を見せるのだ!」


 オードレイの言葉に続いて修道士が教会の両開きの扉を開くと――眩い光とともには姿を現わした。


 鳥のような白い翼を背中から生やした金髪碧眼の美丈夫は、その翼を羽ばたかせて、村人たちの上空に舞い上がる。

 光の衣を纏う姿は村人の目に神々しく見えたが――まるで彫刻のように天使の顔には表情がなかった。


「ヨハン・パウエル司祭……」


 村人たちのどよめく声に混じって、クリスタが呟く。


 氷青色アイスブルーの瞳が天使の無表情な顔を見据えていた。彼女の記憶にあるヨハン・パウエルは、やかましいくらい良く喋る男だった。


「あいつのことも、クリスタさんは知ってるみたいだな?」


 何処か気遣わし気な感じでカルマが訊く。


「ええ。彼も『深淵なる正義の学派』の司祭の一人で……私は嫌いだったわ……」


「クリスタさんも解っているみたいだけど――あいつは天使に完全に支配されているから、もう自我はないよ。身体の方は憑依されることに耐えただけど、精神の方は持たなかったみたいだな」


 天使を憑依させるリスク――大抵の人間は肉体も精神も天使の力に耐えることができずに消滅してしまう。ヨハンのように肉体だけ残るのは、まだマシだと言えるのか?


「クリスタさん――今さらだど言っても良いかな? 今回の相手は、クリスタさんと相性が悪いと思うんだけど?」


 クリスタはヨハンから目を逸らさずに応える。


「カミナギ……私のことを心配してくれているの? でも、気にしなくて良いわ。私も自分の能力くらい把握しているから」


「いや、確かに心配はしてるけど。そういう意味じゃなくてさ……」


 カルマは横目でクリスタを見る。


「奴らのことを同じ正教会に仕える聖職者だと思わない方が良いよ?」


「……どういう意味よ?」


 クリスタは視線をずらして、真っすぐにカルマを見た。


「どうって、そのままの意味だよ――あいつらを聖職者だと考えていたら、きっと足元をすくわれるからさ」


 カルマにはめずらしく素直な感じで応えていた――それがクリスタには、とても意味のあることのように思えた。


「……解ったわ。気をつけるわよ」


「そうだね……ああ、そろそろ始まるみたいだな?」


 村人たちのどよめきが収まるのを待ってから、オードレイは再び口を開いた。


「信徒諸君……これより我々が諸君らに力を授ける天使たちを召喚しよう! さあ……大いなるヴァレリウス神に心から祈りを捧げるのだ! 我らに力を宿し賜えと!」


 芝居掛かった台詞に応えるように、修道士たちが神聖魔法の詠唱を始める。

 オードレイもそれに加わり、よく響く低い声が神を称える言葉を連ねた。


「神々の至高の玉座に座る偉大なるヴァレリウス神よ――その身を捧げ力を求める信徒たちに、御身の使徒たる天使を授け賜え!」


 すると――彼らの頭上に巨大な魔法陣が出現した。


 白く輝く二重円の魔法陣は、その中心にヴァレリウス神を現わす紋章が描かれていた。そして、外円と内円の間には、まるで神につき従うように無数の小さな円が刻まれている。


 村人たちが恍惚とした表情で空を見上げていると――小さな円が次々と膨らんで、まるで卵のような光の球体を産み落としていった。


 無数の光の卵は空中をゆっくりと旋回しながら、村人たちの頭上へと舞い降りていく――


「フェルド・オードレイ司祭――これはどういうことか説明して貰えるかしら?」


 凛と響く声とともに、オードレイの目の前に突然クリスタが姿を現わした。

 すでに抜き放っていた剣を突き付けて、氷青色アイスブルーの瞳が拒絶を許さない強い意志を放つ。


「クリスタ・エリオネスティ……」


 オードレイは一瞬だけ何が起きたのか理解できなかった。

 その動揺は修道士たちにも伝わり、儀式魔法の詠唱が途切れる。


「何をしている? おまえたちは詠唱を続けろ!」


 オードレイの声が響くと、修道士たちはすぐに詠唱を再開するが――


「待ちなさい! 貴方たちは自分が何をしているのか解っているの――今すぐ詠唱を止めなければ、私が力づくで止めることになるわよ!」


 クリスタの迫力に負けて再び詠唱が途切れる。すると、光の卵は、まるで時間が止まったかのようにピタリと動きを止めた。


「これはこれは……さすがは白鷲聖騎士団長クリスタ・エリオネスティ殿だ。私の部下たちを脅すだけで止めてしまうとは恐れ入る!」


 オードレイは冷酷な笑みを浮かべて、慇懃に言葉を連ねた。


「それにキース・ハイベルト総司教猊下までお越しとは……我々に何か御用ですか?」


「……オードレイ。君が何を考えているのか理解できないが。ことだけは私にも解るよ」


 村人たちを背中に庇うように立ちながら、キースは違和感を覚えていた。

 唯ならぬ事態が起きていることは誰の目にも明らかだというのに――村人たちは誰一人、騒めきの声すら上げていないのだ。


 今も彼らはキースたちなど存在しないかのように、恍惚とした表情で魔法陣と光の卵を見上げている。


「そいつが感応系の魔法を使ったんだよ。少し強めの暗示って程度だけど、周りの連中は見事に掛かってるね」


 カルマは二人から少し離れた位置に立って、呆れた顔をしていた。


「ホント、下種なやり方だよね? 自分の演説だけじゃ扇動できないからって、宗教家のくせに魔法に頼るんだからさ?」


「貴様は何者だ……」


 オードレイは憮然とした顔でカルマを睨みながら、片手で眼鏡の位置を直した。


「ああ、悪いけど。今回は俺の出番はないみたいだし、おまえが知る必要はないよ? それよりも――おまえの下種なやり口に、クリスタさんが本気で怒っているから。気を付けた方が良いと思うけど?」


 次の瞬間――素早い突きがオードレイの頬を掠めた。


「オードレイ。私の前で随分と余裕じゃない?」


 その動きを捉えることができずに、オードレイが痛みを感じたときには剣は元の位置に戻っていた。


「今のは警告で次はないわ。これは命令よ――村の人に掛けた魔法を解除しなさい!」


 クリスタの冷徹な眼差しは、オードレイだけを捉えていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る