第47話 聖公女と総司教の決断
キースは優し気な笑みを浮かべて、じっと黙って話を聞いていた。
クリスタが抱いているアクシアへの思い――それを理解したからこそ、キースは告げた。
「『真実の鏡』を貸すのは構わないが……クリスタ。この件に関して言えば、君は間違っていると思うよ」
予想外の否定の言葉に、クリスタにしては珍しく戸惑いを見せる。
「……どういうことよ?」
キースは何処までも優しく続けた。
「『真実の鏡』を使えば、確かにアクシアの正体を知ることができるが……それは相手の信頼を損ねることになると思わないかい? アクシアが君が説明した通りの力の持ち主なら、『真実の鏡』の能力に気づくだろうし、仮に気づかないとしても……騙し討ちのような真似をして、君は自分を許せるのかな?」
クリスタは唖然とする――アクシアを信じたいという気持ちが強過ぎて、自分が行おうとしたことの愚かさに気づいていなかったのだ。
「……キースお爺様、その通りね。『真実の鏡』を使ってしまったら、私はアクシアを裏切ることになる」
クリスタは心底、自分を恥じていた。早熟の天才などと煽てられてきたせいで己惚れていたのか、本当に馬鹿なことを考えたものだ。
「アクシアのことについても私は君の目を信じているが……それでは不十分だと思うのなら。今回の件でカミナギの心情を探ることで、アクシアを見定めるというのはどうだろう? アクシアと親しい者が抱く想いには、彼女の本質が現れると思うがね」
キースの言葉をクリスタは時間を掛けて考えてから、深く頷いた。
「……解ったわ、キースお爺様」
「ところで……一つ疑問に思うのだが? アクシアに『真実の鏡』に使おうとした君が、どうしてカミナギに対しては使おうとは思わなかったんだね?」
キースの当然の疑問に、クリスタは目を細める。
「それは……カミナギは、もっと得体の知れない存在だって思うからよ」
魔力を完璧に隠していたことだけが理由ではない。漆黒の瞳の奥にあるカルマという存在そのものに、何か特別な力を感じたのだ。
「この感覚は……あの男を信じるかどうかとは全く別の話よ。うまく言えないけれど――仮に『真実の鏡』が何を映し出したとしても、それが本物だとは思わないわ」
この台詞には、さすがのキースも唸る他はなかった。実際にカルマを見たことがない彼には、クリスタの感覚を想像することもできない。しかし――
「その件も含めて、私は君の感覚を信じるよ」
キースは自信たっぷりに告げた。
「ええ。ありがとう、キースお爺様……相談に乗ってくれて。これで私も覚悟が決まったわ」
ニッコリと笑ってクリスタは立ち上がると『名残惜しいけれど、そろそろ帰らなくちゃ』と転移門の方に歩き出す。
「……クリスタ、少し待ってくれないか? 『真実の鏡』と相談だけが目的で、君が半年ぶりに来ただなんて、私が信じると思うのかい?」
クリスタが振り向くと、キースは諭すように言葉を続ける。
「『真実の鏡』は物理的に運ぶ必要があるが、優先順位としては今すぐ必要かというと疑問が残る。相談については……クリスタ。君なら時間さえ掛ければ、自分自身で答えを導き出すことができただろう?」
「キースお爺様。、何を言っているのよ? お爺様に相談しなければ、私は間違ったことを……」
「そもそも、私から『真実の鏡』を借りなければ、君がそれを使って過ちを犯すことは不可能だろう……いや、回りくどい言い方は止めにしよう? 君は私のことを気遣って躊躇っているようだが――本当は、今回の件に私が同行すべきだと解っているんだろう?」
クリスタは驚いた顔でキースを見つめて、何か言おうとするが――
「仮に天使を召喚する現場を押さることができたとしても、君の証言では、教会内の他の権力によって、強引に覆されてしまう可能性が残る。それに対抗できる者を考えれば、証人として最も相応しいのは、総司教である私だろう?」
五百年前の王家との和解以来、クロムウェル王国正教会に教皇はおらず、事実上の最高権力者は、実務におけるトップである総司教と、教皇の最高位顧問として位置づけられる枢機卿なのだ。パワーバランスを考えれば、物的証拠と総司教の証言を重ねれば、たとえ枢機卿でも覆すことも不可能だろう。
「だけど……キースお爺様! そんなことになれば、お爺様が……」
確かにキースは強い権力を持っているが、決して絶対的な存在ではない。枢機卿以外にも、教会内部に政敵は多く、彼らはキースの足元をすくって、あわよくば取って代わろうと虎視眈々と狙っている。
それでも、地位を奪われるだけで済めばまだ良いが――犠牲者を無視して天使を召喚しているような過激な相手が、実力行使に出ないとは限らない。
「……クリスタ? そんな話は君が教会の人間となった五年前に、納得して貰ったと思っていたんだがね? 私は今さら自分の立場に固執するつもりはないと言った筈だが?」
「でも……今回の相手は、お爺様の命すら……」
「だから、力に怯えて傍観しろと? そんなことをすれば、私は君に『お爺様』と呼んでもらう資格を失ってしまうよ」
「そんなことないわ!」
クリスタは思わず叫んでしまった。
大声を出した失態を謝ろうとするのを、キースが視線で止める。
「クリスタ……君の気持は嬉しいが、私は総司教だ。教会内部の人間の暴走を止めるのは、私の役目なんだよ」
キースは優しい微笑みを浮かべていたが、その眼には老人とは思えない不退転の輝きがあった。
「ありがとう……キースお爺様……」
ボロボロと涙を流すクリスタを、キースは優しく抱きしめた。
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