第42話 竜の女王と修道女の苦情


 カルマとは二日後に再会することを約束する。

 それまでに、クリスタには幾つかやるべきことがあったのだ。


「まあ、時間的には問題ないだろう? クリスタさんにも準備があるだろうからね。もし火急の事態が発生したら、そのときは俺の方から知らせに来るよ」


 言い終えるなりカルマは、一瞬で姿を消した。


(……転移魔法を使えるのは本当みたいね?)


 それを証明するために発動させたのだろうとクリスタは考えた。


 誰にも気づかれずに部屋に侵入できた理由については訊けなかったが、訊いたところでカルマが本当のことを言うとは限らない。

 案外、隠し立てせずに言いそうな気もするが――証明する手段がなければ、あまり意味はなかった。


※ ※ ※ ※


 二つほど用事を先に済ませてから、クリスタは予定よりも少し遅れて白鷲聖騎士団の巡回に合流した。巡回している間に、部下たちに明日から暫く巡回と会議に参加しないことだけを告げる。クリスタという人間をよく知る部下たちは、細かいことまで訊いて来なかった。


 巡回を終えてグリミア聖堂に戻ると、中年の修道女が懸命な様子で駆け寄ってきた。


「聖騎士団長様、どうか聞いてください!」


「落ち着いてリーザ、何があったの?」


 リーザという名の修道女にはアクシアの世話役を任せていた。

 リーザにはアクシアが望むだけ食事を運ぶようにと指示を出してはいたが――アクシアは食事の度に百人前以上を要求して来るそうだ。


「私も最初は抗議のために嫌がらせだと思ったんですけど……」


 リーザは『食べ終わったら次を持ってくるから』と軽く受け流したのだが――何度お代わりを持って行っても、次々と平らげてく姿を目の当たりにして、自分の間違いに気づいたと言う。


「……あなたを疑う訳じゃないけど、アクシアは本当に全部食べたの?」


「はい、確かに。でも、とても信じられないかと思いますので……できましたら、実際に見て頂いた方が……」


「解ったわ。アクシアの夕食の時間には、私も同席するから」


 そして、事の真偽を確かめるために立ち会ったクリスタが目にしたのは――

 リーザから聞いていた通りの光景だった。料理の山はアクシアの中に吸い込まれるように消えていった。


 あらかじめ四人の修道女に応援を頼んていたから、お代わりを運ぶのにも何とか対処できたが、リーザ一人であれぱ、たまったものではないだろう。


 このときクリスタは、修道女たちを気遣うことも忘れて、不思議なものを見るような顔で言った。


「アクシア……どうして、それだけ沢山食べられるのよ?」


「我は大食だと言ったであろう? クリスタも承諾したのだ、何の問題もあるまい?」


 アクシアは食事の手を休めることもなく平然と言ったが――事はそれだけに留まらなかった。

 食事を終えたアクシアは、風呂を要求してきたのだ。


「鎖で腕を拘束しておるのだぞ? 我が逃げることはないのだから、風呂くらい何の問題もなかろう?」


 グリミア聖堂では衛生のために、囚人も定期的に入浴させていたから特別という訳ではないが。

 疑いの晴れていない現時点で独房から出す訳にもいかず、修道女たちに桶と湯を中に運んで貰った。


「うむ……温いのは我慢する他はあるまいが。もっと大量に湯を持って来るが良い!!!」


 堂々と要求するアクシアの迫力に負けて、修道女たちは侍女のように従う。

 あまりの光景に、クリスタは呆れた顔で言った。


「あのねえ、アクシア……私たちは貴女を拘束しているのよ?」


 すると、アクシアは美しい顔立ちに似合わない豪快な笑みを浮かべた。


「勿論、解っておるぞ!!! だから何度も言わせるな、風呂に入ること自体は何の問題もなかろう? 他の場所に風呂に入りに行く訳にいかぬのなら、このくらいは大目に見て欲しいものだな!!!」


 あまりにも当然という感じで言われて、クリスタも逆に文句を言う気がなくなった。


「アクシアって……本当に、面白いわね!」


 思わず吹き出してしまう。


 それが馬鹿にしたものではないことが解ったのか、アクシアも文句は言わなかった。

 クリスタは侍女たちに申し訳ないと思いながら、食事と風呂の件を引き続きお願いすることを告げた。




 風呂から上がったアクシアはすっかり寛いだ様子で、両腕に鎖を巻かれているというのに、部屋の主にしか見えなかった。


 修道女たちは風呂の片づけを終えると、ようやく解放されるとクリスタに挨拶だけして足早に出て行く。


「何だ、まだクリスタは此処におるのか? ……そうか。我に話があるのだな?」


 クリスタが無詠唱で『防音』と『不可視』の魔法を発動させたことにアクシアは気づいた。


「今日、カミナギ殿に会ったわ」


 唐突な言葉にもアクシアは驚かなかった。


「そうか――その件で我に何の話があるのだ? ただ会ったことを教えるために時間を割いているのではあるまい?」


「ええ、勿論……カミナギ殿から貴女を開放するための交渉を持ち掛けられたのよ。話を聞いて条件は悪くないと思ったから、受けることにしたわ」


「我はまた、カルマに迷惑を掛けてしまったのだな……」


 アクシアは口惜しさを滲ませて呟くと、クリスタの方に向き直る。


「そのことを我に教えた理由は何だ? 我を動揺させて謀ろうとしておるのか?」


「そうじゃないわ……こんなことを言っても信じられないとは思うけど。ただ、貴女には知る権利があると思っただけよ」


「……なるほどな。だが、我は細かいことをいちいち疑ったりはせぬ。クリスタならば、そう考えても不思議はないと思うだけだ」


 言葉の通りに、アクシアの目に疑念は浮かんでいなかった。真っすぐにクリスタを見て、あの豪快な笑みを浮かべる。


「……アクシアは私の言うことを信じるの?」


 クリスタも真っすぐにアクシアを見た。真剣な眼差しで、口元には微かに笑みが浮かぶ。


「信じる云々ではない。そう思うだけだ!!!」


 クリスタは少し嬉しそうな顔をする。


「解ったわよ……ねえ、カミナギ殿が言った取引の内容を知りたい?」


「いや、別に知りたいとは思わぬ。我は己の失態によって此処に囚われている身だ。取引の中身を知ったとしても、カルマのために何もできぬ。それよりも――」


 アクシアは言い掛けて言葉を止める。


「それよりも……何よ?」


 不満そうな顔でクリスタが問い掛ける。途中で止めたことに拒絶感を感じたのだ。


「いや、クリスタに話すことではない。これは我の問題だ!!!」


 言い方は乱暴だったが、アクシアに他意があるようには感じなかった。


「そう……解ったわ。それなら仕方ないわね。さっきも言ったけど、貴女には知る権利があると思ったからカミナギ殿のことを教えに来たのよ。話は済んだから、もう行くわね」

「待て――」


 立ち去ろうと背を向けたクリスタを、アクシアが呼び止めた。


「何? アクシアの方にも用件があるの?」


 アクシアは仕方ない感を醸し出して、不機嫌な感じで告げた。


「一つだけ、忠告をしてやろう。クリスタがカルマについて何を思っておるのかは知らぬが――決して争わぬことだな。クリスタの方から敵意を向けぬ限り、カルマが敵になることはない」


「……もう手遅れじゃない? 私はアクシアを拘束したから」


「それは違う――我が拘束されてやったのだ!!!」


 悪感情は一切込めずに、アクシアは堂々と言い放った。

 自信たっぷりな様子に、クリスタは思わず笑みを漏らす。


「なるほどね……貴方のことも、忠告のことも、よく解ったわよ――そうだ、アクシア! 他にも色々と話したいことがあるんだけど、構わない?」


「うむ……我も退屈していたところだ。構わぬぞ!!!」


 それから、二人はさらに一時間ほど話をした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る