第9話 竜の女王の値段


 三度地上に戻ったカルマは、疲労感を漂わせていた。肉体的な疲労など皆無だったが、精神的には物凄く疲れを感じる――正直に言うと、非常に面倒臭かった。


(……どこで間違えた?)


 ポケットから煙草を取り出すと、空を見上げながら呆けた顔で煙を吐く。


(……神凪殿よ? 貴殿は何をしておるのだ? 如何なる理由から煙など吐いているのか、我に教えてくれぬか?)


 素朴な疑問だったが、今はカルマの神経を逆撫でする。


「……悪いけどさ。俺が話し掛けるまで、暫く黙っていてくれないか?」


(承知した、神凪殿……)


 赤竜は素直に従い、カルマの傍らでじっと地面に横たわる。

 本来であれば償いをする身であるから、せめて立ち上がるべきだったが、無理矢理飛行したせいで、身体がピクリとも動かなかった。


 今度の件についても詫びねばならないと考えていたが、カルマの要望に応えて、思念を送ることは控えていた。


 それから五分ほど。煙草が燃え尽きるまで、カルマは黙って空を見上げていた。

 煙草が根元まで灰になると、諦めたように赤竜に向き直る。


「なあ、アクシア・グランフォルン?」


(何だ、神凪カルマ殿よ!!! ……いいや、まずは貴殿には改めて詫びをせねばならなぬ。このように横たわったままでいる非礼について、償わせて欲しい!!!)


 再び思念の奔流を浴びせられて、カルマは疲れた顔をする。


「……まあ、全部聞いてやるからさ。とりあえず、状況を整理しようか?」


(承知した、神凪殿!!!)

 

 償いを拒まれなかったことに赤竜は歓喜する。

 どこまでも実直な反応を受けて、カルマの疲労感はさらに増した。


「……それじゃあ、最初に。『神凪カルマ殿』とか『神凪殿』と呼ばれるのは、聞いてる俺が面倒臭く感じるから止めようか? さっきまでみたいに『貴様』とか、単に『カルマ』でいいだろう?」


(何を言い出すのだ、神凪殿!!! 我が命を三度救って貰い、その上幾重にも償いをせねばならぬ貴殿に対して呼び捨てなど……ましてや『貴様』呼ばわりなど、できる筈がなかろう!!!)


 散々『貴様』と言っていたよねと突っ込みたかったが、この程度のやり取りに時間を割く気力はなかった。


「……解ったよ。じゃあ、『カルマ殿』でどうだ?」


 赤竜は真剣な顔で暫く考え込んでから、ゆっくりと頷く。


(……承知した、カルマ殿!!! それでは、我のことは『アクシア』と呼び捨てにして貰えるか?)


「いいよ、解った……それじゃあ、本題に入ろうか。おまえが俺を追い掛けてきた理由は、償いをするためで良いんだよな?」


(うむ、その通りだ……)


 論点がズレていないことに、カルマは安堵する。


「だけどさ……俺はおまえに一撃を加えたことで気が済んだと言ったよな? つまり、おまえの償いは終わったんだよ」


(確かに、カルマ殿はそう言ったが……竜族の王である我の償いが、その程度のことで済む筈がなかろう?)


 平然と応えるアクシアを見て、カルマはこめかみを震わせる。


「おい……おまえが償うべき相手が、もういいって言っているんだぞ? だったら、それで終わりにするのが道理じゃないのか?」


(しかし……我は赤竜王アクシア・グランフォルンであり、我が名に賭けた約束を反故にしたことに対する償いなのだ。その程度で許されるほど、我の名は軽くない!!!)


 随分と理不尽な理屈だと思ったが、カルマは口には出さなかった。もし言ってしまえば、新たな厄介事の火種になると学習したからだ。


「なあ……アクシア? 相手が望まない償いの押し売りって、迷惑以外の何物でもないと思わないか?」


 カルマは気さくな笑顔で誘導しようとするが、アクシアには通じなかった。


(それは条件によるな……少なくとも我が償いを受けることは、万人にとって恩恵こそなれど、迷惑になる筈がない!!!)


 自信たっぷりに断言されて、カルマは肩を落とす。


「えっと……その根拠を聞かせてくれないか?」


(いいだろう……まずは我が償いを受けるということは、竜族の王たる我の財宝を手にすることを意味する。人間や亜人の基準で言えば、小国が所有する全てに匹敵する富が手に入るのだ。財産は幾らあろうと、邪魔にはなるまい?)


「物理的には邪魔だけど……まあ良いや。あとは?」


(うむ。我が命の対価だな……竜族の亡骸が貴重な魔法的素材として珍重されることは、カルマ殿も知っておろう? 一体の竜の亡骸を売れば、それだけで人が一生遊んで暮らせるたげの金銭を得ることができるが……我は並みの竜ではなく、竜族の王なのだぞ? 素材としての価値もさることながら、その死骸を手に入れることで、我を屠ったという名誉を得ることができる。諸国の王が垂涎する我が亡骸の値段は、それこそ天井知らずだろうよ!!!)


 アクシアが誇らしげに話していることに、カルマは違和感を感じていた。自分の死体に価値があると自慢する感覚が全く理解できない。


「つまり……おまえの死体には物凄く価値があり、それで償うと言った以上は、相応の対価を受け取って貰わないと困ると言っているんだよな?」


(おお、さすがはカルマ殿だ。理解が早くて助かる!!!)


 嬉々として思念をぶつけてくるアクシアに、カルマはニッコリ笑いながら舌打ちする。


「よし、解った……おまえの意見を全部理解した上で言うから、もう反論するなよ? おまえの償いは一切合切迷惑だから何もいらない」


(……え? カルマ殿、貴殿は何を言って……)


 自分の正体を語ったときと同じくらい淡々とカルマは告げた。


「はっきり言わないと理解できないみたいだから、あえて言わせて貰うけどさ。俺にとっては財産なんて無価値で、邪魔なだけなんだよ。貴金属や宝石に興味はないし、必要なものは自分で創れるから、金を使うこともない。おまえたち竜は本能で光物を求めるんだろうが、俺は違うんだよ?

 そもそもさ、こんな話に付き合わされること自体が、迷惑以外の何物でもないんだ。おまえは償いたいって言うけど、それ自体が迷惑になるなら本末転倒だよな?

 あと、おまえは俺が助けることを計算に入れていないって言ったけどさ。自分が一度助けた相手が死にそうになっても、おまえは見捨てるのか? つまり、おまえが意図するしないに関係なく、自殺まがいのことをしたら俺に迷惑が掛かるって自覚しろ」


(……そ、それが……カルマ殿の答えなのか?)


 沈着冷静に説明されたことで、アクシアはカルマの意図に気づいて愕然とする。


(……しょ、承知した、カルマ殿……我が財宝や、我が亡骸を捧げることは貴殿にとっては迷惑にしかならないのだな? ……さらには、償いのために我が命を危険に晒せば、救おうとする貴殿の手を煩わせてしまう……そういうことか?)


 アクシアが落ち込んでいることは傍目にも明らかだった。もし人のように二本の足で立っていたなら、愕然と膝を突いていただろう。

 あまりの狼狽ぶりに、カルマは悪いことをしたと思ったが。途中で止めてしまえば同じことの繰り返しになると心を鬼にする。


「アクシア……解ってくれたようで何よりだ。きつい言い方をして悪かったけどさ、そうでも言わないと理解しないと思ったんだよ」


(な、何を言うのだカルマ殿……悪いのは、貴殿にそこまで言わせた我の方だ……本来であれば、自身で気づくべきであった……)


 うなだれるアクシアを眺めて、こういうときは巨竜でも小さく見えるなと場違いな感想を抱きながら、ようやく状況が解決したことに安堵する。


「そういうことだから……そろそろ俺は行くけど、構わないよな?」


 全て終わったと立ち去ろうとするカルマに、アクシアが言った。


(……大変申し訳ないが、もう少しだけ時間を貰えぬか?)


 殊勝な感じの思念が伝わってくる。このくらいはカルマの予想の範囲だった。


「……ああ、そうだよな。さすがに全く動けないんじゃ、いくら竜族の王でも身を守ることもできないか? 解った、俺の魔力を少し分けてやるよ」


(……ありがたい申し出だが。カルマ殿、そうではないのだ……)


 アクシアは懸命に身体を動かして、何とか起き上がろうとする。


「おい、だから無茶をするなよ……ちょっと待ってろ」


 カルマの手が額に触れると――電流が走るような衝撃を受けて、アクシアは反射的に身を起こした。一瞬前までの状態が嘘のように力が漲っており、身体を支えることなど造作もなかった。


(何というか……本当に化物じみた魔力だな? 理屈は解らぬが、貴殿は自身の魔力を他者に分け与えることもできるのか?)


「まあ、無制限にできる訳じゃない。色々と制約があるんだよ」


 本当のことを言えば、アクシアが本来の動きを取り戻す程度の魔力を与えることは簡単だった。しかし、そうすると自分の首を絞めることが解っていたから、傷を癒すだけで、魔力までは与えなかったのだ。


(なるほどな……そういうことだと納得しておこうか……)


 アクシアは疑わしそうな眼つきをするが、すぐに思い直して深々と頭を下げる。


(カルマ殿……我の財宝と亡骸を捧げることは迷惑だと理解した。だから、それは諦めよう……しかし、だ。その代わりと言うのも何だが、どうか我の願いを一つだけ叶えて貰えぬだろうか?)


 嫌な予感がして、カルマは暫く何も言わなかった。

 しかし、真摯な視線を向けてくるアクシアを、いつまでも無視することはできない。


「……聞くだけなら構わないけど?」


(有難い、カルマ殿……)


 アクシアは再び、額を擦るように大地に押し付ける。


(我が願いは一つ……カルマ殿。我が財宝も、命も不要と言うのであれば、我の忠誠心を捧げることだけは許して貰えぬだろうか? 無形のものであれば、決して邪魔にはならぬであろう?)


「……はあ?」


 その一言が、カルマの本心だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る