第144話 脱出

 ステラたちは、地下神殿に突如生まれた空白を見て立ち尽くしていた。何度立ち会っても、神族たちが姿を消す瞬間には慣れないものだ。ヌンの姿が見えなくなる直前、ステラはとっさに剣を振りかざしたが、それが彼に届いたかはわからない。


 前線に出ていた二人は、戸惑って顔を見合わせる。が、皇子の号令を聞いた瞬間、すぐに動いた。素早く反転し、オスカーがジャックの肩を叩く。息をのみ、まばたきしたジャックに、今度はステラが声をかけた。


「団長。鞘、ありがとう」

「あっ……ああ! 少しでもお役に立てたなら光栄だよ」


 我に返った団長は、すぐにいつもの笑顔を見せて、ステラに剣の鞘を返してくれる。「大げさなんだから」と笑いながらも、ステラはそれを受け取った。剣を収めてく。折れた方の鞘も一緒に留めておくことにした。


 暗い通路に差し掛かったところで、ダレットと戦っていた面々と合流する。背後からレクシオに肩を叩かれると、ステラは悪戯っぽく笑って振り返った。


「よ。ご無事で何より」

「そっちこそ」


 ステラの言葉に微笑で応えたレクシオは、光るものを差し出してきた。


「それから、これ」


 彼が手巾でくるむようにしてつかんでいるのは、折れた剣の刃だ。ステラは軽く目を見開きつつも、お礼を言って受け取る。


「さてさて。どうしようかな、これ」

「まあ、撤退してから考えればいいんでない?」

「そうね。そうする」


 そんな、どこかのん気なやり取りをしていたとき。通路の先で小さく光が瞬いた。それはあっという間に近づいてきて、ステラたちの耳元を通り過ぎる。――直後、ここにいない人物の声が通路にこだました。


『あっ――ようやく繋がりましたわ!』

「シンシアさん!」


 少し離れたところから、ミオンの声がする。歓声と悲鳴が入り混じっていた。


『先ほど、光――剣? が地下へ入っていくところを目撃しました。そちらで何が起きていますの?』


 シンシアの問いを聞き、前方を走っていたステラとレクシオは顔を見合わせる。直後、二人の視線がステラの腰あたりに集中したのは、当然の流れだった。


 その間にも、ミオンがかいつまんで事情を説明する。すべてを聞き終えたシンシアは、長いため息をついたようだった。地上で頭を抱えている姿が容易に想像できる。


『この魔導術が上手く届かなかったのは、神族の方々の影響でしょうか……』

「そう、かもしれません。すみません、せっかく教えていただいたのに」

『お気になさらないでください。わたくしの方こそ、己の未熟さを痛感しているところです。とにかく無事で何よりですわ』

「あの……。そちらでは、剣を見た後は何も起きていませんか? ダレットたちが来たりとか」

『そういったことは起きていません。ただ、外が少々騒がしくなってきましたので、アデレード殿下が対応に向かっておいでですわ』

「わ、わかりました! 急いで戻りますね!」


 ミオンが裏返った声で返事をした瞬間、聞こえていた音がふっと途切れた。魔導術が不安定なことは変わりないようだ。


 薄暗がりに吐息の音が響く。


「ひとまずは安心……か?」


 アーサーが言い聞かせるように呟いた。彼が、地上に残った者たちに手を出されるのを警戒していた――ということにステラはそのとき気づく。幼馴染を振り返ると、小さなうなずきが返ってきた。


「……とりあえず、地上に出ようか」

「だな。神さまたちが来てなくても、別の面倒事が発生しかねない」


 短い応酬ののち、二人は足を速める。後ろに続く六人も、文句ひとつこぼさずついてきてくれた。



 地下通路から出ると、ナタリーとブライスがまっさきに飛びかかってきた。成り行きで先頭に立っていたステラは、二人の突撃をまともに受けることとなる。


「ちょっと! ダレットたちと戦ったって本当!? みんな無事なんでしょうね!」

「ねえねえねえ、さっきの剣なに? 何があったのさあ!」

「はい無事ですよあとでちゃんと話すから落ち着け!」


 一人を乱暴にならない程度に後ろへ押し、一人を雑に引きはがしたステラは、やっとの思いで地上に上がる。こもってよどんだ食糧庫の空気ですら美味しく感じた。


「あれ? レクシオの剣、ちっさくなってね?」

「オスカー、お怪我はありませんか!」

「ああ。一度ヌンに吹っ飛ばされたが、大丈夫だろ」

「それは大丈夫じゃないと思うよー。治せる人に診てもらいなよー」

「ぼ、ぼくですか? ちゃんとした診療はできませんよ……?」


 合流したとたん、学生たちは騒がしくなる。皇族の二人はその様子をほほ笑ましく見守っていたが、少ししてアーサーがアデレードを振り返った。


「誰かに気づかれましたか」

「いいえ。文官の方が一人、様子を見にいらっしゃっただけよ。表の二人には話を通していたから、一緒にごまかしてくれたわ」


 でも、とアデレードが眉を曇らせる。


「怪しまれるのも時間の問題でしょう」


 アーサーも、険しい顔でうなずいた。


「あの二人を取り逃がしたのは口惜しいですが……深追いはしない方がよさそうですね」

「ええ。ここは軍人あなたたちに倣って『迅速に撤退』するとしましょう」


 アデレードが、ふっと少女のようにほほ笑む。


 二人のやり取りを横で聞いていたステラとレクシオは、顔を見合わせてうなずいた。


「はいはい、みなさん。今はとにかく動きましょ」


 レクシオが手を叩きながら学友たちに声をかける。それまで騒いでいた彼らは、ぴたりと動きを止めた。武術科生の数名が率先してアーサーたちの方に駆け寄ってくる。


「さっきのところに戻ればいいんですか?」

「ああ。……と、言いたいところだが……」


 アーサーが不自然に言葉を止めて、扉の方へ目を転じる。そのむこうから、かすかに話し声がした。


「今から二手に分かれて戻ると、面倒なことになりそうだな。我々を探す者が増えてきた上に、ダレットが宮殿内に戻っているはずだ」

「あっ……!」


『前衛』の五人は、その言葉に顔をこわばらせる。つかの間、張り詰めた空気が食糧庫を満たした。


 沈黙を破ったのは、静かに挙手した少年である。


「あー。それなら、一個提案があるんすけど」


 うかがうように発言したトニーに、アーサーたちは無言でうなずく。了承を得た少年は皇女を見上げた。


「アデレード殿下。今日最初にお会いしたとき、厨房の近くにも隠し通路があるって仰ってましたよね」

「ええ」

「そこ、使っていいっすか」


 アデレードは目を丸くした。隣で、彼女の弟も軽く目をみはっている。


「あそこは……少し、危険ですが……」

「大丈夫。俺がいればなんとかなると思います」


 トニーはいつもの調子で断言した。アデレードはますます驚いたようだったが、彼の目をじっと見つめた後、噛みしめるようになずいた。


「わかりました。それでは、一番近い隠し通路にご案内しますね」

「……っす。ありがとうございます」


 猫目の少年は、照れ臭そうに頬をかくと半歩下がった。アデレードがさっと反転し、扉の方へ向かう。


 彼女が警備員に声をかけている間に、トニーがレクシオの肩を叩いた。何事かを耳打ちしている。最初のうち、レクシオは怪訝そうに聞いていたが、そのうち相貌に理解の色が浮かんだ。不敵にほほ笑むと、猫目の少年に向かって拳を掲げる。


「引き受けた」

「よろしく」


 少年二人は、楽しげに拳を合わせた。


 ほどなくして食糧庫の扉が開く。アデレードが駆け戻ってきて「行きましょう」と声をかけた。


 先ほど話に出てきた隠し通路は宮殿の端、食糧庫のすぐ近くにあった。床に仕込まれた隠し扉をアーサーが開き、学生たちは順番に体を押し込む。トニーが先頭に立ち、中間にレクシオが立つ。ステラはしんがりを務めた。少年二人が話し合っていたのは、この隊列のことだったようだ。


 別れの挨拶もそこそこに、通路を進んでいく。きちんと情報共有ができなかったことは気がかりだが、そこは連絡役のアーノルドに頼ることになるだろう。


「この先、ちょっと蛇行してるから気をつけて」

「ここ崩れやすそうだから、あんまり触らないように」

「天井ちょっと低くなってる。でかい奴はかがんで」


 時折飛ばされる少年の指示に従って、学生たちは黙々と通路を進んだ。ステラたちはレクシオからの伝言というかたちでそれを聞く。


 そうして、それなりに長い時間、歩いた。無理な姿勢をとりつづけているからか、少年少女の相貌に少しずつ疲労の色がにじみ出る。日頃から鍛えているステラですら足に痛みを覚えるくらいだから、魔導科生などは大変だろう。


 ステラが額ににじんだ汗をぬぐったとき、隊列が止まった。ごとごとと、重い金属か何かを動かす音が響く。ややあって、ひたすら暗かった通路に薄い光が差した。


「着いたよー。足もと悪いから、注意して出てなー」


 明るい呼びかけが苦行の終わりを告げる。学友たちの間に、わかりやすく安堵の空気が広がった。ステラは苦笑しつつ、周囲に目と注意を配り続ける。最後の最後、隠し通路の出入り口が閉じられる瞬間まで、油断は禁物だ。


 ステラの前にいたカーターが、恐る恐る前へ出ていく。彼についていく格好で、ステラもゆっくり進んだ。そのうち、頭上に四角い穴が見えてくる。上るのに苦戦しているのだろう、カーター少年の足がばたばたと動いていた。


「押そうか?」

「お、お願いします」


 声をかけると、力ない応答があった。うなずいたステラは、少年の下半身を支えるように腕を回す。ついでに、左足を壁の突起の方へ動かした。そうしてやっとカーターの体が安定し、その姿が地上へと消えていく。ステラも、一息ついてから壁の突起に手足をかけた。


 危なげなく出入り口に手をかけ、ゆっくりと顔を上に出す。薄暗がりの中に差し込む光が両目を刺激し、埃っぽい空気が鼻をくすぐった。


 掛け声とともに這い上がったステラは、驚いてあたりを見回す。


「ここって……」


 照明のない屋内。壁や床は汚れていて、あちらこちらに補修の痕がある。古い雨戸は閉められていて、建付けの悪そうな木の扉がほんの少しだけ開いていた。調度品のたぐいは見当たらない。まさに、あばら家というに相応しい場所だった。


「あー……このあたりかあ」


 戸惑う学友たちをよそに、扉の隙間から外を覗き見たトニーが呟く。彼はあっけらかんとして、残る九人を振り返った。


「表通りからそんなに離れてなくてよかったわ。長居すると危ないから、さっさと出ちまおう」


 彼は言うなり踵を返し、隠し通路の出入り口を手際よく閉める。その間に、残る面子はあばら家の外に出た。


 そこはどうやら、帝都の裏通りであるらしい。人がぎりぎりすれ違える程度の狭い通りに、年月の重みを感じる家々がひしめき合っていた。ごみや汚物は見当たらないが、足もとは舗装されていない上に、坂だらけで凹凸も多い。ステラがよろめいたナタリーの手を取ったとき、猫目の少年が戻ってきた。彼はきょろきょろとあたりを見回した後、帽子を目深にかぶる。


「よし、そんじゃー行きますか。とりあえず道なりに進んで、そっから曲がり角を左に……だな」


 うなずいた彼は、迷いのない足取りで一行の先頭に立つ。ステラはそこでようやく、アデレードとトニーのやり取りの意味に気づいた。あの隠し通路が『危険』なのは、治安の悪い裏通りに繋がっているから。そして、トニーがそれでも大丈夫と断言したのは――


「お? 誰かと思えば、トニーじゃねえか」


 通りの奥、トニーが進もうとしていたのとは逆の方向から、野太い声が響いてくる。猫目の少年は全身を震わせ、武術科生の五人がとっさに身構えた。


 暗い裏通りの奥から、大柄な男がやってきた。衣服はつぎはぎだらけ、靴はところどころ擦り切れていて、後ろで結った金髪も汚れてくすんでいる。だが、表情に暗さはなく、少年少女を映す鳶色の瞳は優しげな光を湛えていた。


「なんだなんだ。久しぶりに見たと思ったら、ずいぶん大所帯だな」


 その男は、無遠慮にこちらへ近づいてくると、トニーを見下ろして笑った。見下ろされた方は気まずげに髪をいじくりながら「あー、えっと、うん」と、相槌ともうめきともつかぬ声を上げている。


「ガッコーのお友達と火遊びにでもしにきたのか?」

「火遊びではないけど、ちょっと用事があったんだよ」

「ふうん」


 男は、じろりと一巡、学生たちを見渡した。ステラは緊張を解かぬまま、されど警戒されないように相手を見る。どうやらトニーの知り合いらしいが、詳しい話を聞きだす隙はない。


「そうかい」とつまらなそうに呟いた男が、ひらりと手を振った。


「用事とやらは済んだのか?」

「うん。一応」

「なら、さっさと出てった方がいいぜ。ルシェンナに会いたくなければな」

「……はあっ!?」


 トニーの声がひっくり返る。そばにいた何人かは飛び上がった。ステラも思わず半歩後ずさって、幼馴染と顔を見合わせる。


「あの人、来んの!? この区画には出入りしてなかっただろ!」

「最近――ここ二か月くらいか?――来るようになったんだよ。新しい客でもついたんじゃないか?」

「まじかよ……」


 トニーがうめいて額を押さえる。かと思えば、慌てた様子で反転し、ステラたちに手招きした。


「ご忠告に従って、とっとと戻るわ。月に二回も食器投げられたくねえし」

「おう、息災でな」


 身をひるがえしたレクシオの眉がわずかに跳ねる。ステラはそれを見ていたが、その意味を問うことはしなかった。そんな場合ではないからだ。


 大きな足音が遠ざかっていく。それを聞きながら、ステラたちは小走りのトニーについていった。


 しばらく走り、表通りの音が風に乗って漂ってきた頃。トニーの真後ろを走っているブライスが、首をひねった。


「ねえねえ。さっきの人、知り合い?」

「うん。入学前、世話になってた人。今でもたまに会ってる」

「ふーん。あとなんだっけ、ルシェンナって人も?」

「……ああ。そっちはあんまり会いたくない人」


 トニーの声が、一瞬ふっと沈んだ。ブライスは、関心があるのかないのかわからない相槌を打つと、それきり黙った。


 ほどなくして、道が開ける。幅広の通りに行き交う人馬と、立ち並ぶ建物の鮮やかな色彩が、視界いっぱいに広がった。


「おお! 見覚えのある場所に出たね!」

「うん。学院までは距離あるけど、迷う心配はないだろ」


 歓声を上げて深呼吸するジャックを振り返り、トニーが笑う。そこに先ほどまでの翳りはなかった。


 ステラが思わず首をかしげたとき、喧騒を縫って記憶に新しい声が響く。朝とは違う外衣コートを着たアーノルド捜査官が、手を振って駆けてきた。

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