第143話 剣と輝き

 ステラのもとに剣が頃、レクシオが持つ剣にも似たような現象が起きていた。


 剣全体が輝きだし、粘土細工のように変形する。持ち主は、その様を呆然と見つめていた。手指がひりつくほどの熱も目を焼くほどの強い光も気にならないほどに、剣に見入っていた。


 変化が終わると、輝きは照明が消えるように収まっていく。後に残ったのは、朝日のような色の刃を持つ長剣だけだった。柄の形や太さや寸法、刃の長さに至るまで、レクシオが学院で使っている長剣にそっくりだ。


 レクシオは、おっかなびっくり剣を握り直した。恐ろしいほど手に馴染む。その上、何もせずともほどよい魔力が通った。


「なんだこれ……」


 愕然として呟く。その一方で彼は、この状況を冷静に見てもいた。


『あと、そのおっさん、その資格がある奴にこう伝えてくれって言ってたな。――“二つの剣は、時が来れば真の姿を取り戻すだろう”』


 思い出すのは、この剣をステラに押し付けた武器商人の言葉。

 真の姿を取り戻す。あの伝言は、今目の前で起きた現象のことなのだろう。そう結び付けて考えると、驚くほど腑に落ちた。


「ラフィア神が作った双子剣……」


 底冷えするほど凍てついた声が、地下神殿の空気を揺らす。


 レクシオは静かに顔を上げた。ダレットがこちらをにらみつけている。細められた目には、今までとは比べ物にならない敵意が宿っていた。それは憎しみにも近い熱をはらんでいる。


「千年前の戦で、ギーメルが二振りとも粉々にしたはずだけれど……やってくれたわね。直して隠していたなんて」


 低い声が紡ぐ言葉は、ところどころ意味がわからない部分がある。ただ、この剣が女神によって作られたもので、セルフィラ神族たちはそれを知っていた、という部分は理解した。


 レクシオは無言で剣を構え、アーサーに目配せする。突然の怪現象に驚いて立ちすくんでいた彼も、そこで我に返ったらしい。レクシオに対してはっきりとうなずきを返した。


 二人が表情を引き締めて前を見ると、ダレットの相貌にも鋭い冷たさが戻ってくる。紅い唇が孤を描き、つややかな笑声が暗闇をかき混ぜた。


「戻ってきたというのなら、再び壊すまで」


 低いささやきとともに、白い手が振り上げられる。同時、アーサーが駆け出した。ダレットの手元から放たれたのは球体ではなく、構成式を編んでいない純粋な魔力に似た、力の渦。それをすべてかわしたアーサーは、彼女の眼前に滑り込む。


 剣が噛み合い、少しして離れた。ダレットが連続して突きを放つ。その剣戟は速く鋭い。アーサーはそのほとんどをかわし、いくらかは受けながら、じりじりと後退する。


 一方、最初に放たれた力の渦は、勢いを失うことなくレクシオたちの方へ飛んできた。それを打ち消すべく、レクシオは腰を落として身構える。だが、彼が剣を振るう前に、つむじ風が渦を消し飛ばした。風の名残から魔力を感じ取ったレクシオは、ちらと背後を振り返る。


「ありがとさん。そっちはなんともないか」

「大丈夫です!」


 力強く返す同胞は、変わらず前を見据えている。レクシオも、すぐに戦場へと目を戻した。


 アーサーとダレットの打ち合いは終わる気配がない。一見こう着状態のようだが、よく観察しているとアーサーの方が押されているふうだとわかる。だが、レクシオは動かない。変化した剣を構えたまま、じっと待った。


 ダレットの剣が刻々と勢いを増していく。三度ほどそれを避けたアーサーが、相手の方へ踏み込んで剣を薙いだ。しかし、斬撃は細い剣に弾かれる。わずかによろめいた皇子は、とっさに足を大きく動かし、後退した。彼の胸すれすれを白刃が通り過ぎていく。


 その瞬間、レクシオは踏み出した。ダレットとの距離は今までで一番近い。数歩前に出るだけで間合いを詰められた。ためらいなく剣を振るう。


 ダレットが軽く瞠目した。金と白がぶつかり合う。けたたましい金属音はけれど、隣の戦場でとどろいた低音にかき消された。


「やっとこっちに来たな、神さまよ」

「……なるほど。殿下は囮だったのね」


 レクシオが笑んでささやけば、刃のむこうの目がきつく細められる。彼女がちらと見た先では、肩で息をしているアーサーが、してやったりとばかりにほほ笑んでいた。


 相手がわずかに手首をひねる。刃の音が変わった。息を詰めたレクシオは、相手を力いっぱい振り払う。数歩分飛びのいて、またすぐに踏み込んだ。


 大ぶりの一撃はかわされる。お返しとばかりに放たれた剣戟を何度か避けて、身をかがめる。頭上を風が通り過ぎた瞬間、レクシオは下から上へと得物を振った。空気が激しく震えているのは、おそらく響いた高音のせいではない。切り傷に似た痛みが皮膚を伝っていった。


 そのとき。視界の端が、チカリと光る。


「レクシオどの、右だ!」


 鋭い警告を聞き、少年は視線を光の方に向けた。ダレットの左手の上に見覚えのある球体が浮いていた。それはすぐに彼女の手を離れ、こちらへと飛んでくる。


 レクシオは、体のこわばりを自覚した。瞬間、剣がぶれる。舌打ちしてとっさに腕をひねり、転がるようにして横へ動いた。しかし、球は方向を変えて追ってくる。少しだけ間に合わない――そう察した瞬間、再び起こった風によって球体が砕かれた。


 レクシオは知らず頬を緩める。詰めていた息を吐きだして、剣を構え直した。


 彼と遠くを見比べたダレットが、考え込むそぶりを見せる。かと思えば、左手から闇があふれた。それは、先ほど見た黒よりも濃密で禍々しい。形をなしてうねった暗黒は、またまっすぐにミオンの方へ飛んでいく。


「なっ……」


 レクシオは、黄金色の刃をその黒の方へ向ける。しかし、そこへダレットが踏み込んできた。少年は舌打ちとともに剣をひるがえし、彼女と再び対峙する。


 その背後でアーサーが動いた。疾駆し、放たれた黒めがけて剣を叩きこむ。しかし、くうを切り裂く黒はその勢いで剣と青年をも跳ね飛ばした。


「殿下!」

「無駄よ。人間ごときの力じゃ止められない。たとえどんな名剣でも、魔導術でもね」


 レクシオの呼び声と、ダレットの嘲笑が重なる。彼は悪態をつきそうになったのを堪え、目の前の神族をにらんだ。剣はこちらを向いている。眼光は鋭く、隙はない。


 ほどなくして、また轟音が響いた。今度は彼らの戦場で。しかし――次の時、レクシオはほほ笑んだ。眉をひそめた相手を見たまま、口を開く。


「副宰相さまよ。大事なことを忘れちゃいないか?」

「何を――」

「知らないとは言わせないぜ」


 左足を引く。そうと悟られぬよう、わずかに腰を落とす。


「ミオン・ゼーレは武術科生だ」


 そして、見つめた先。ダレットの死角から、少女が飛びこんできた。


 女の相貌に焦りの色がよぎった。彼女は身をひねって刃をかわす。しかし、ミオンは眉一つ動かさず第二撃を叩き込んだ。顔をゆがめたダレットは、己の剣をひるがえしてその斬撃を弾く。金属音が高らかに響いた。


 かなりの衝撃を受けたであろうに、ミオンは動じていない。多少はよろめいたようだが、しなやかに体勢を立て直した。数度、軽やかに床を蹴り、舞うように躍り出る。


 ほどなくして、少女と黒い女神は再び衝突した。ダレットの鋭い剣戟は的確に少女の急所を狙う。しかしミオンは、それを流れるようにかわし、時に踊るようにいなし、決して己に近づけようとしなかった。それどころか、相手を圧してじりじりと前に出ている。懐に飛び込む隙をうかがっているのだ。


 彼女の構えや身さばきは演武寄りだ――いつだったか、ステラがそう評していた。踊り、舞うための剣だからこそ、できる動きなのだろう。


 絶え間なく剣を交わす、そのさなか。ほんの一瞬生まれた空隙に、ミオンが剣を突き入れた。ダレットはすんでのところでそれを避け、上から剣を叩きこむ。ミオンは素早く得物をひるがえし、その一撃を受け止めた。


 交差した刃がカチカチと鳴る。ダレットのまわりで不可視の力が流動し、ミオンが歯を食いしばる。


 そこを狙って、レクシオは動いた。息を吐いて踏み込むと同時、剣を薙ぐ。さえざえと輝く刃は金色の軌跡を描き、がら空きの胴を切り裂いた。


 ダレットの体が大きく揺らぐ。ミオンが剣の角度を変え、前へ出た。耳朶を貫く高音とともに滑った剣は、ダレットの頸を確かに捉える。さらにレクシオも踏み込んで、相手の肩めがけて斬撃を放った。


 ダレットの瞳が静かに狭まる。流動する力が濃くなった。そのことに気づいたレクシオは、少女をかばうように立つ。


「ミオン、下がれ!」


 彼が言い終わるより早く、力が収縮して広がった。突風を思わせる衝撃波が広がり、信仰心が溜まっているはずの神殿の壁や床を軋ませる。髪や衣服は強風にあおられたかのように暴れ、人の体も後ろへ押される。三人が吹き飛ばされずに済んだのは、レクシオが床に剣を突き立てて女神の魔力を広げていたからだった。


「やるじゃない。やっぱり、その剣があなたたちに渡ったのは痛手だったわね」


 衝撃波が収まっていく中で、ダレットが世間話のような調子で呟く。政府高官の制服をはたく彼女の肩口と胴からは、光の粒のようなものがこぼれ落ちていた。弱っている――ようにも見えるが、瞳に揺らめく炎は一切衰えていない。


「無事か?」

「は、はい」


 レクシオは前を向いたままささやきかける。同じく小声で応じたミオンが、あたりを見回して息をのんだ。


「あの、アーサー殿下は……」

「私ならここだ」


 不安げに眉を寄せたミオンの背後から、青年が顔を出す。飛び上がりかけた少女に手を振ったアーサーは、何事もなかったかのように前へ歩いてきた。自分の隣に立った彼を見て、レクシオは苦笑する。


「ご無事でしたか」

「うん、おかげさまでな。肘を少々擦りむいただけで済んだ」


 そんなふうに笑いながら、アーサーは腰に差した剣の柄を指で叩く。けれど、前を見た瞬間にその笑みは消えた。


「彼女は……まだまだやる気のようだな」

「ですね」


 レクシオは答えながら剣を引き抜き、慎重に前へと向ける。床の上で滑らせるように足を動かし、駆け出そうとした。


 しかし、そのとき、低い音とともに天地が震えた。


「なんだ……?」


 眉をひそめ、一度剣を引く。そのとき、あたりを見回していたミオンが悲鳴を上げた。


「お二人とも! あ、あれ……!」


 その声と白い指に導かれ、少年と青年は振り返る。台座が輝いているのを見つけて、瞠目した。


 それと同時、地下神殿が再び明るくなる。台座だけでなく、二振りの剣も強い光を放ちはじめたのだ。


「今度はなんだ?」

「さ、さあ……」


 形の良い眉をひそめた皇子に、レクシオは答えにならない答えを返す。剣と台座の様子を警戒しているうち、台座の方に変化が起きた。


 輝きの中から、何かが浮かび上がってくる。それは、文字のようだった。今ではあまり使われない字体だが、このあたりの共通語で何か文章が書かれているのはわかる。


「『女神』、『戦』、『神の道』……『欠片』、『足跡』?」


 すぐ隣から、ぶつぶつと呟く声がする。アーサーが光をにらみ、碧眼を左右に動かしていた。どうやら彼は、この古い文字を読めるらしい。レクシオはその意味を問おうと口を開いたが、言葉は神殿を揺らした笑声に封じられる。


 レクシオたち三人は、表情を引き締めて振り返る。


 ダレットが、哄笑していた。


 ひとしきり高い声を響かせた彼女は、顔を戻して目もとを押さえる。笑う声は、まだ消えない。


「そう、こういう仕掛けだったのね……。悪いことばかりではなかったわ」


 呟いた彼女は、笑んだまま歩き出す。アーサーがすぐさま身構えたが、ダレットは彼の姿など見えていないかのように素通りした。台座の前で足を止めると、浮かんでいる文字の方へ手を伸ばす。


「こ、これは、止めないとまずいんじゃ……」

「……いや」


 不安げにささやくミオンに対し、レクシオは短い否定を返す。理由はわからないが、止めることに意味はない、と直感していた。


 案の定、ダレットが文字に触れた瞬間、それはバチバチと爆ぜて消えてしまう。台座も、輝きを失って沈黙した。


 それを見つめたダレットは、興ざめとばかりにかぶりを振る。


「ふうん。裏切り者には教えない、というわけね」


 黒髪がなびいた。振り返ったダレットが、レクシオたちの方と台座の先を交互に見る。


「この子たちが大人しく読ませてくれるとも思わないし……今回はここで満足しておくべきかしら」


 レクシオは息をのむ。彼の足がわずかに床をこすったとき、ダレットが手を振った。


「行くわよ、ヌン」


 台座に背を向けていた大男が、緩慢に振り返る。わずかに頭を傾けた彼を見て、ダレットは言葉を足した。


「得るものはあったのだから、報告しておかなくちゃ」


 彼女が言うと、ヌンは頭をまっすぐに戻す。それを確かめて、ダレットが静かに腕を上げた。


 レクシオは地面を蹴る。今まさに消えようとしている彼女に向けて、力いっぱい剣を振った。


 音はしない。手ごたえはあった。けれど、刃は空を切り――その一撃がもたらした結果を見届けることは、叶わなかった。


 レクシオは舌打ちして剣を下げる。鞘に収めようとして、けれど違和感に気づいた。剣に合わせて鞘も変化していたらしい。苦笑して、背中から鞘を外す。剣をしっかり収めたのち、今度はそれを腰で留めた。


「い……一体なんだったんでしょう……」

「さあな。だが、嫌な予感がする」


 後ろからそんな会話が聞こえた。レクシオは振り返り、二人分の視線を受け止めると、無言でうなずく。アーサーがそれに応え、と顔を上げた。


「急いで地上に戻るぞ!」


 その号令は、冷たい空洞いっぱいに広がった。

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