第136話 沈黙の神殿

 突然現れた四角い穴は、まるではじめからそこにあったかのようだ。扉のない出入口、と言えばわかりやすいだろうか。


 予想外の形で隠されていたものを暴いてしまった二人は、しばし呆然としてその入口を見つめていた。


 少しして、背後から赤毛娘が身を乗り出してくる。ステラは背中にかかった体重でよろめいて、床に手をついた。


「うわっ」

「すごいすごーい! また隠し通路が出てきたー!」

「ちょ、ブライス、重い」

「しかも今度はぶわーって光って現れたよ! これって魔導術?」


 ステラの苦情を聞き流し、ブライスがその場で飛び跳ねる。彼女に目を向けられた魔導科生たちが、揃って首を振った。


「違いますわ。構成式が存在しませんもの」

「ネリウスさんの言う通りだ。魔力の動きもなんだか不自然だった」


 シンシアの否定に、ジャックが追随する。さらにその横で、ナタリーが顔をしわくちゃにゆがめていた。


「あの感じは、どっちかって言うと――」


 呟きは、最後まで紡がれない。だが、学生たちは沈黙に隠された答えを理解した。レクシオがため息をつき、石の壁を拳で叩く。


「『奇妙な存在』の悪戯、かね?」

「……やっぱりか」


 ステラは、片翼の言葉に頭を抱える。だから、背後で皇族の二人が目をみはったことには気づいていなかった。


「副宰相が食糧庫に来ていたのは、ここに入るためだった、ということか」


 アーサーが身をかがめて、隠されていた入口をのぞきこむ。「でしょうね」とレクシオがその先をにらんだまま肯定した。


 先は暗くて見通せない。だが、わずかに見える階段と風の流れから察するに、地下へと続いているらしい。


 その場の全員が、近くの者とそれぞれ顔を見合わせる。ややあって、アーサーがかぶりを振った。


「そうとわかれば、踏み込まぬわけにはいくまい」

「……そうね。私たちがここへ来たのは、副宰相の正体と思惑を暴くため、ですもの」


 アデレードも、言い聞かせるように呟く。二人の言葉で学生たちの心も固まった。


 今回の作戦においては、元々前衛と後衛に分かれることを想定していた。学生たちが別々の隠し通路から宮殿に入ったのも、そのためである。というわけで、隠されていた入口の先に踏み入るのも「前衛」の人々の担当になった。「後衛」は撤退に備えてひとまず待機だ。


 前衛――つまりはアーサーと、ステラたち五人。彼らはそれぞれの状態を確かめ、しかとうなずきあった。それから、アーサーがアデレードを振り返る。


「では、行ってまいります、姉上。上での対応をよろしくお願いいたします」

「ええ。気をつけてね、アーサー」


 恭しく――それこそ臣下のように――頭を下げる弟に、皇女は静かに答える。いつものほほ笑みよりも冷たく力強く、けれど変わらず温かいまなざしが注がれていた。


 一方、学生たちの群れの中では、シンシアが胸を張っている。


「こちらのことはお任せください。何かあったら例の魔導術で連絡をくださいまし」


 彼女の言葉にうなずいたのは、ミオンだ。シンシアの斜め後ろにいるナタリーが顔をしかめる。


「ミオンに退学ものの暴挙をさせるのは気が引けるわー」


 シンシアが『例の魔導術』と言ったのは、シュトラーゼで彼女が使っていた遠話の術だ。ステラはもちろん知らない話だったが、その場にいたレクシオとナタリーが後から教えてくれたのである。


 本来、無許可での使用が許されない魔導術。今回の作戦に際して、その構成式と発動手順を教わったミオンは、ためらうどころか好奇心に瞳を輝かせていた。


「大丈夫ですよ。先生方に知られなければいいんですから!」

「……ミオンの口からそんな言葉が出るとはね」


 眉を下げたナタリー以下『調査団』の面々は、なんとも言えない表情でミオンを見つめる。今の彼女がことさら張り切っているように見えるのは、ダレットに会うと息巻いているからか、単に知らない魔導術を使えるのが嬉しいからか。


「大丈夫だ。学院には何も報告しないし、詮索されても上手くごまかす。今回協力をお願いしたのは、こちらだからな」


 彼らの会話を聞きつけて、アーサーが笑声を立てた。ステラを含めほとんどの学生は微妙な表情をしたが、ミオンとシンシアは素直に「ありがとうございます」と頭を下げた。


 アーサーは満足したようにうなずいて、ステラたち五人を順繰りに見る。


「さて、前衛の諸君。準備はいいか?」


 ステラとレクシオがうなずきあい、ほかの三人を振り返る。それぞれの表情や応答を確かめると、代表して皇子に向き直った。


「――はい」

「よし。では、出発しよう」


 アーサーが先頭に立ち、ステラたちはそれに続く。


 皇女とほかの五人に見送られながら、彼らは新たに発見した隠し通路へと踏み込んだ。



 今度の隠し通路は、筆記具の店から繋がっていたそれよりも深く長いようだった。石の階段を下りていくうち、だんだんと空気が冷えてくる。それと同時に闇も濃さを増し、とろりとうねって天地を覆った。人間たちを呑み込まんとしているかのようだ。


 人ひとりがやっと通れるほど狭い通路。そこをただ黙々と進む。頼れるのは、レクシオとミオンが前後に灯した小さな明かりだけ。


 言葉はなく、靴音だけが響き渡る。長い長い沈黙は、けれどにわかに破られた。


「あれ?」


 少女の声が響くと同時、後ろの明かりが動きを止めた。それに気づいた誰もが立ち止まり、振り返る。


「どうしたの、ミオン?」

「あ、すみません。壁に何か書かれていたので、気になって……」


 ステラが問いかけると、すぐに声が返ってくる。彼女は、自分の前方に立っているアーサーと顔を見合わせた。


「壁?」


 疑問の声が揃うと同時、アーサーが壁に顔を近づける。少しの間壁面をにらんだ彼は、金色の眉をしかめると、心底申し訳なさそうに後方を見た。


「すまない、レクシオどの。こちらに明かりを近づけていただいてもよいだろうか」

「ああ、わかりました」


 レクシオがステラの後ろから顔をのぞかせ、右の人差し指をくいっと曲げる。すると、アーサーの前方に浮いていた小さな火の玉が、少しだけ彼に近づいた。


 火に照らされた壁を、皇子は熱心に見つめる。


「これは……」


 吐息まじりの呟きに引かれ、ステラも壁面をのぞきこむ。そして、首をかしげた。


「何これ……なんの絵?」


 その言葉通り、壁には絵が描かれている。色はついておらず、線だけだ。いくつも並ぶ円。その右側に、別のものが描かれている。人のようにもほかの動物のようにも見えるそれは、けれど何なのかはっきりしなかった。少なくとも、ステラには正体がわからない。


「並ぶ円環と……松明たいまつを持った何か、か? 以前どこかで見たことがあるような気はするが……」


 アーサーは真剣に呟いている。それを聞いてステラは、ああ、この右端に描かれている棒は松明か、などとのん気に考えていた。


 あっ、という細い声が上がったのは、そのときだった。


「ミオンどの? 何かわかったのか」


 アーサーが声の主、ミオンに呼びかける。すぐに、興奮したような応答があった。


「は、はい。これはおそらく……死者の魂を導いている冥府の神、ではないでしょうか」


 ステラたちは首をかしげる。一方で、アーサーは瞠目した。


「ああ、思い出したぞ。教会のことを調べているときに見かけた図だ。確かに、死者を導く冥府と沈黙の神ではないか、と解説されていた」


 それまでさして興味のない様子だった男子たちが、へえ、と声を上げて壁を見る。ステラも改めてその絵を見つめた。なるほど、並んでいる円が死者の魂、ということだろうか。


「確か、大陸西部の冥府神殿で同じような絵が多く見つかっている、ということだったな……」

「神殿、ですか?」


 耳に届いた皇子の言葉に、ステラは思わず反応する。アーサーは嫌な顔ひとつせず、うなずいた。


「ラフェイリアス教初期、まだ教会もなく、今のように系統立てられていなかった頃、人々はあちこちにラフィアや旗下の神々を祭る施設を建てて祈っていたそうだ。それらの施設が『神殿』と呼ばれていたという」

「……ということは、ここは」

「『冥府と沈黙』の神々を祭る神殿、あるいはかつてそうであった場所、ということだな」


 冥府と沈黙の神。


 ステラたちがその名を聞いて連想するのは、言葉ひとつ発さぬ黒い巨人だ。


 五人の間に、ひりりとした緊張が走る。それを察したのかどうなのか、アーサーが壁から目を離して前を向いた。


「奥へ行ったら、また別のものが出てくるかもしれない。進もう」


 ステラは息を詰めてうなずく。おそらく、ほかの四人も同じようにしただろう。


 アーサーが足を踏み出す。それに合わせて、まるい火が音もなく動き出した。



 皇子の予想は当たっていた。


 先の通路の壁にもいくつもの絵が描かれていたのだ。その内容は少しずつ違った。弔いをする人々であったり、供物を捧げる儀式か何かの様子だったり、神と神が話をしている様子だったり。それらを真っ先に言い当てたのはミオンだった。


 やはり、ここは元々神殿だったのだろう。そんな話をしながら歩いていると――唐突に、視界が開けた。


「わっ……!」


 ステラは思わず声を上げた。前を歩いているアーサーも息をのんだ。


 六人が入っても余りある広い空間。奥に二本の柱が立ち、その中央に直方体の石が設置されている。


「なんですかね、ここ」


 レクシオが呟くように問う。それに対し、アーサーが無言で首を振った。


 六人はなんとなくばらけて、空間を見てみる。しかし、柱と直方体以外に変わったものはない。


「宮殿の地下にこんな神殿があったことは驚きだが。なぜ副宰相はこんな場所に……?」


 アーサーが口もとに指をかけて呟く。その言葉に対する答えを持ち合わせている人は、この場にはいなかった。


「これは台座か?」

「そうだろうね。供物を置いていたのか、像のようなものを安置していたのか……」


 直方体の表面をのぞきこむオスカーとジャック。二人の会話が耳についたステラは、なんとなくそちらへ歩いていった。


「何かわかった?」

「いや、何も。装飾も絵もないし、これだけでは台座だということしかわからない」


 ステラの問いかけに、ジャックが苦笑して応じる。ステラは「そっかあ」と短いため息をつきながらも、オスカーの後ろから台座をのぞきこんだ。


 確かに、変わったところはひとつもない。灰色の石のところどころに黒い部分があるが、それだけだ。その黒も、おそらくは石本来の模様か汚れだろう。入口を見つけたときのように、不思議な感覚があるわけでもない。


 ステラは首をひねった。


「うーん……なんだろう。カーターに聞いたら何かわかるかな?」

「さすがに、カーターも教会成立以前のことは知らないと思う」

「それもそうか」


『ミステール研究部』部長のげんはもっともだ。苦笑したステラの発言はだが、思わぬところで拾われる。


「いや。一度地上に連絡をしてみるのはいいかもしれないな。謎が解けずとも、情報共有はできる」


 いつの間にかそばに来ていたアーサーが、顔の前で両手を合わせてそう言ったのだ。目を丸くして振り返ったステラたちの前で、彼は悪戯っぽく笑った。そのとき、隣にいたミオンが、大声で呼ばれたかのように背筋を伸ばす。


「で、では、シンシアさんに連絡してみましょうか!」

「そうだな。お願いしてよいだろうか、ミオンどの」

「は、はいっ! お任せください!」


 皇子に呼びかけられた少女は、奇妙に裏返った声で応じる。それでも、深呼吸して右手を虚空にかざすと、その顔に冷静さが戻ってきた。


 流れるように構成式が編まれていく。魔力の流れでそれを感じ取り、ステラはひそかに感嘆していた。が、ふいに刺すような痛みを覚えて目を細める。


 割り込んできたのは魔力ではない。それとは別の、異質な力――


「あらあら、いけませんよ。学生がこんなところに入っては」


 弾ける靴音。ねっとりと、毒々しくて甘い声。


 それはステラのすぐそばで響いた。


 とっさに身をひねり、抜剣する。抜くと同時に振り抜いた剣が、かたいものを弾いた。


「ステラ!」


 耳に馴染んだ呼びかけと同時、背後から魔力が飛来する。とっさに身をかがめたステラは直後、自分の前方で白い光が弾けるのを見た。


 光が弾け、消えた先、台座の上に人物は、動じることなくほほ笑んだ。


「意外と手が早いのね、エルデ家の坊や。そういうところは父親譲りかしら?」

「……知ったような口を利くじゃねえか」


 あからさまな揶揄に対し、少年は苦味と棘がふんだんに含まれた言葉を返す。ステラはそちらを一瞥したのち、再び台座の方をにらんだ。


 闇と同化した黒髪をなびかせ、冷たい瞳をこちらへ向ける一人の女。彼女は確かに、白い上下を身にまとっていた。上衣には金糸で華やかな装飾がほどこされていて、その鈍い輝きはこの暗がりの中でもよく見える。


「ごきげんよう、偉大にして愚かなラフィアの『翼』。直接会うのは、これが初めてですわよね?」


 芝居がかった口調で語り、彼女は嫣然えんぜんとほほ笑む。目を細めたステラは、剣を握る手に力を込めた。


 叛逆の神の一柱。


 レクシオたちの故郷を壊し、家族を奪ったその元凶。


 そして、秋の騒動の陰で暗躍していた者。


 彼女が――


「ダレット……!」

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