第122話 『金の選定』報告会

 実は、エドワーズにはだいたいのことを知らせてある。シュトラーゼから帝都に戻ってすぐ、ステラが手紙を書いたのだ。本当は直接報告に行きたかったのだが、二つの理由から諦めた。第一の理由は、教会が年末年始の繁忙期に突入したため。第二の理由は、セルフィラ神族しんぞくに見つかることを警戒したためだ。


 それでも口頭で報告したい、ということで、教会の仕事が落ち着いた後に報告の場を設けてもらったのである。『選定』から少し日数が経ったこの頃ならセルフィラ神族の監視も多少緩んでいるだろう、という判断でもあった。エドワーズも二人の口から話を聞きたいと思っていたようなので、ちょうどよかった。


 そして――神官を一人この場に呼んでもらったのには、また別の理由がある。



「なるほど……」


 うなるように呟いたのは、神官だった。低い声が暗がりの中、沈黙する本棚に吸い込まれていく。


 四人が今いるのは、教会の奥にある資料室だ。数度目の来訪となったステラとレクシオは心を静めて大人たちの反応をうかがう。


 大祭に至るまでに起きたこと、『金の選定』のこと、ラメドとレーシュの介入のこと、そしてラメドの『告白』について――それらを話せる範囲で話したところだった。


 神官は、呆然と話を聴いたのち、先のように呟いたきり沈黙した。対して、エドワーズは冷静だ。いつものように二人へと向き合い、目を細める。


「まずは、皆様が無事であったことをお喜び申し上げます」


 彼は、厳かにそう言って、口もとをほころばせる。


「正直、レクシオさんが『金の翼』となったことについては、それほど驚いておりません。『金の選定』の性質上、自然な流れですから」

「やっぱり、神父さまはご存知だったんですね。……ステラに渡した手紙にも、書かれていたんでしょう」


 レクシオが悪戯っぽく切り返すと、神父は苦笑して「はい」と答える。二人のやり取りの横で、ステラは身を縮こまらせた。


「『金の選定』のことをご学友に伝えるか否か、その判断はステラさんにお任せしました。伝えることでかえってご関係が悪くなる可能性もありましたから」


 エドワーズは涼やかな声を重ねる。それに対し、レクシオが腕を組んで笑った。


「まあ、一理ありますね。たとえ俺でなかったとしても、『調査団』の中の誰かが選ばれる可能性は高かった。事前にそれを知ってしまったら、変に緊張しちまってたかもしれない」


『選定』前日には話してほしかったですが、と付け足して、レクシオはステラの方に目を配る。見られた方は、うめいて頭を押さえた。


「ごめん……なんか、ぐるぐる悩んでるうちに当日になっちゃって……」

「そんなことだろうと思ったよ」


 幼馴染は、笑って背中を叩いてくる。その力はステラがよろめく程度には強かったが、不思議と痛くはなかった。体勢を立て直したステラは、改めて正面を見る。エドワーズが、考え込むように机を見ていた。彼は、学生たちの視線に気づくと顔を上げる。


「『翼』に関係するところで、あと注意しておいた方がいいのは……『金の魔力』のことですね」


 優しい瞳が、新たに『翼』となった少年を見つめた。


「レクシオさん、体調はいかがですか?」

「今のところ元気ですよ。あ、昨日の夜、ちょーっと体が熱くなりましたけど」


 レクシオの調子はあくまで軽い。しかし、おまけのような言葉を聞いて、ステラは思わずその横顔をにらんだ。彼の言う「ちょっと」は「かなり」だと、ステラは思っている。まだ魔力が馴染んだわけではなさそうだ。刺々しい視線を感じたのか、少年は少女の方を振り返ると、軽く肩をすくめた。


 漫才めいたやり取りをよそに、エドワーズは神妙な顔でうなずいている。それから、沈黙を守っていた神官を振り返った。


「フィンレイ様、いただいてもよろしいでしょうか」

「もちろんです。そのために参ったのですからな」


 神官は鷹揚に応じて、席を立つ。話を聞いているうちに動揺が収まったのか、その姿からはどっしりとした落ち着きが感じられた。さながら北の山々である。


 フィンレイ神官はレクシオに向き合うと、少し頭を下げる。それから、両手を差し出した。しわが目立つ、けれど大きくて力強い手だ。


「レクシオ様、お手を失礼してよろしいでしょうか。左右どちらでも構いません」

「あ、ああ、はい」


 レクシオは、どぎまぎしながら右手を差し出す。強い敬意をもって接されることに、まだ慣れていないのだ。その困惑はきっと、ステラ以上だろう。ステラは胸中で共感と応援をしながら、二人のやり取りを見守った。


 レクシオの手を取った神官は、彼の手の甲にもう片方の手を重ねる。そして静かに瞑目した。ややあって、手指の隙間から淡い金色の光が漏れ出した。


 おお、と感嘆したのは誰だったか。『金の翼』本人を含む三人は、声もなくその光景に見入った。


 しばらくしてから、神官が目を開ける。同時、金色の光も、レクシオの手に吸い込まれるようにして収まった。


 フィンレイ神官が「失礼いたしました」と手を離す。それに黙礼で応じたレクシオは、大きく息を吐きだすと、額ににじんだ汗をぬぐった。その彼を見て、神官がほほ笑む。


「魔力同士はかなり馴染んでおりますな。しかし、いま少し注意が必要でしょう。大きく魔力を動かし、消耗するような術の使用は、しばらく控えた方がよろしいと存じます」

「そうですか……ありがとうございます」


 ひっそりと、それでいて柔らかく語った神官に、レクシオは改めて礼を述べる。『翼』からの感謝に、彼は恐縮したように背を丸め、祈るようなしぐさをした。


 これが、報告の場に神官を呼んだ理由だ。どうしても現役の魔導士、それも『選定』のことを知っている人にレクシオの魔力の様子を見てほしかったのである。ステラは空っぽの器に魔力を注がれたようなものだが、レクシオの場合はすでに魔力が満ち満ちた器に追加で力を注がれたのだ。当然、女神の魔力に対する感じ方も違うようだし、体にどういう反応が起きるのか、ステラには想像がつかなかった。


 今のところ、恐れていたような異変は起きていないようである。ステラが肩の力を抜いた横で、エドワーズが神官にお礼を言っていた。神官は今度こそ顔をほころばせ、着席する。


「『翼』と『選定』の歴史は長い。過去にも『魔導の一族』が選ばれたことがあるやもしれません。『翼』の選定基準のひとつが、女神の魔力に耐えうる人間か否か、という点ですから、彼らはまさに最適な人材といえるでしょう」


 何か記録が残っていないか調べてみましょう、と自然に語った神官に、ステラたちは驚きつつも「お願いします」と言った。セント・ソロネ大聖堂に所属している人が協力してくれるのは本当にありがたい。


 レクシオの魔力の話が一段落したところで、エドワーズが神官を見やる。


「フィンレイ様は、これまでの話で気になった点がございますか」

「そうですな……」


 神父の問いに、神官は少しの間、顎をなでて考え込む。それから、真剣な表情で顔を上げた。


「アインという神族のこと。そして、セルフィラ神族の目的について。この二点ですかな」


 ステラとレクシオは顔を見合わせる。そのとき、レクシオが心配そうに目を細めたことに、ステラは気づいていた。大丈夫、の意味をこめて、彼女は幼馴染にほほ笑みかける。それから、大人たちに向き直った。


「やっぱり、アインのことはラフェイリアス教の記録にはないんですよね」

「先月までのところでエドワーズ神父が調べた通りだと思われます。もとより反逆の神々に関することですから、あまり情報がないというのが実情です」


 ステラの問いに、神官が苦々しく応じる。「そうですか」と答えたステラは、少し目を伏せた。それに何を思ったか、神官も眉間にしわを寄せる。


「『翼』以外で神から魔力を賜った人間、というのは耳にしたことがございません。まして、それによって神に『成る』などというのは……。ラフィア様に信仰を捧げる身からすれば、そのようなことが可能なのかと疑ってすらおります」


 その言葉に、ステラははっと顔を上げる。


 神から魔力を与えられた人間。そういう意味では、アインと『翼』は非常に近しい存在だ。違いは、その後も人間であるかどうか、という点だけ。朱色の髪を持つ気の強そうな女の子の顔が、ステラの脳裏によぎる。


「疑いたくなるのも当然です。私も正直、驚きました」


 エドワーズが片手を挙げて、穏やかに口を開く。


「ただ、アインという神の実在は認めざるを得ないでしょう。私がこの目で見てしまいましたし、私以外に証人が五人もいます」


 五人。当時の『クレメンツ怪奇現象調査団』の面々だ。そして――隠れ潜んでいたであろうヴィントを含めれば、六人になる。ステラは我知らずしかめっ面になり、ため息をついていた。


 エドワーズの言葉を聞いたフィンレイも、うなって腕を組む。


「我々セント・ソロネ大聖堂の面々も、認識を改めなければなりませんな。その少女――神族については、報告させていただいてもよろしいでしょうか」


 重々しい問いを向けられた神父が、ステラたちの方を見る。二人は顔を見合わせたのち、揃ってうなずいた。それを受けて、エドワーズは丁寧に頭を下げる。


「よろしくお願いいたします」


 神官はうなずいたのち、苦笑した。


「お願いしなければならないのは、我々の方です」


 彼は、机の上、胸の下で指を組んでいる。それを見るともなしに見ていたレクシオがいつものような表情で口を開いた。


「それで、もうひとつの――セルフィラ神族の目的について、というのは」


 言葉の終わり、彼は瞼をすっと狭める。新緑の瞳が鋭く光った。神官も、神妙な面持ちで彼を見る。


「聖堂前広場に現れたレーシュが、計画を見直す、というようなことを言っていたと。これは確かなのですよね?」

「はい。近くにいた友人も同じ言葉を聞いています」


 うかがうような言葉に答える声は、どこか軽く聞こえる。それでもステラは、レクシオがいつになく緊張しているのを感じ取っていた。思わず、膝の上で拳を固める。


 レクシオは、表面上はあくまで淡々と、続けた。


「ただ、俺たちが聞いたのはそこまでです。『翼』を殺したいのは確かでしょうが、それ以上の目的はわかりません」


 一瞬の沈黙。その後、静かに視線が交差した。


「……何かお心当たりがおありですか?」


 ステラは、弾かれたように神官を見る。彼の姿から、動揺などは感じ取れない。ただ、またしても考え込んでいるふうではあった。


 誰もが黙していると、フィンレイ神官はおもむろに口を開く。


「心当たりというより……セルフィラ神族が地上で暗躍する目的は、ひとつしか思い当たりません」


 空気が甲高く、小さく鳴る。神官が息を吸った音だった。彼はためらうように口を開閉させたのち、答えを舌に乗せた。


「セルフィラ神を、この世界に呼ぶつもりでしょう」

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