第120話 身の上話と貴石の腕輪 2

「俺に魔導士の適性があるってわかったのは、確か七歳のときだ」


 細長く切り取られた空に、明るい声が響き、立ち昇ってゆく。


「なんでだっけなあ。仕事の客にたまたま魔導士がいたとか、そんなだった気がする」


 ぽつぽつと、彼がそんなふうに語りだしたのは、廃屋を出てすぐのことだった。「レクシオになら話してもいいか」などと呟いて、話を切り出したのである。レクシオは小さくない驚きを抱きつつも、黙って耳を傾けていた。


「んで、それがわかった何日か後、俺のところに父方の伯母さんと叔父さん――父親のお姉さんと弟さんがやってきた。どこから情報をつかんだのか知らないけどね。俺に対して、自分たちのところに来ないか、って言ってきた」


 レクシオは思わず顔をしかめる。その変化を見て取ったのだろう。トニーも肩を揺らして苦笑した。


「当時の俺も、それがどういう意味かわからないほどニブチンじゃなかったけどさ。何しろ戸籍上の親があんなだから、あの人のところにいるよりはましかなーって思って、彼らの提案に乗ったのさ」


 土と砂を踏む音ばかりが二人を包む。その隙間からこぼれるように、それに、という少年の声が落ちた。


「最初、叔父さんは怖いくらいに愛想がよかったんだけど、伯母さんはすんごいしかめっ面だったんだ。だから伯母さんも怖い人なんかなーって思ってたけど、話してるうちにちょっとずつ顔が優しくなってね。俺が提案を受け入れた後、『ごめんなさい』って言ってきたんだよな」


 トニーが地面を蹴りつける。つま先にすくいあげられた土は小さく跳ねて、少し先に落ちていた紙袋にかかった。


「こっちからしてみりゃー、謝るくらいなら何年も放置すんなよ、って話なんだけどな。ま、あの人や叔父さんよりはまともな人なんかなって思って。そんで、ヴィオラ伯母さんのところに行くことにしたんだ。クレメンツ帝国学院に『編入』することになったのは、それから少し経ってからだよ。読み書き計算ができなきゃ話にならないからね」


 そこまで語ったトニーは、足を踏み出したときの勢いで体を半回転させる。そうして、踊るようにレクシオを振り返った。


「だから、俺を産んだあの人にとって、父方の親族は自分から子どもを取り上げた極悪人。彼らについてった子どもは最低最悪の裏切り者、ってわけ」

「ああ。さっきのって、そういう……」


 暴力的な言葉を思い出しながらレクシオが呟くと、トニーは笑ってうなずいた。帽子のつばをつまんで、前を向きなおす。


 見慣れた後ろ姿からは、けれど哀切のようなものがにじみ出ている。弾む背中をまんじりと見つめたレクシオは、自分が小さかったときのことを思い出し、孤児院の子どもたちの姿を思い出し、それから血のつながった家族のことを思い出した。


 歩きながら、ため息をこぼす。


「子どもに対して裏切り者も何もないだろうにな」

「それはそう。そもそも、俺らはてめーの道具じゃねえって話よ。でも、そう思えない『親』だって、世の中にはごまんといる」

「そうだな。色んな親がいる」


 レクシオはしみじみと相槌を打った。そのとき、トニーがちらりと振り返る。


「なあ。レクの母親ってさ――」


 彼は言いかけて、けれどかぶりを振った。


「いや。やっぱいいわ」


 レクシオは首をかしげる。しかし、トニーがわざとらしく鼻歌をうたいだしたので、追及をあきらめた。――先の一瞬、心の中に立った波に気づかぬまま。



     ※



 歩いているうちに、聞き慣れた騒音が近づいてくる。ほどなくして、表通りに出た。あたりがまばゆい光に包まれたかのように錯覚する。


 人馬が行き交い、あちこちから煙が立ち昇る。そんな表通りの空気も決して清潔ではないが、裏の空気に比べればお綺麗なものだ。


 少年二人は思わずその場で深呼吸し、しばし解放感に浸った。通りがかりの紳士淑女に見られていたとしても構うまい。


 胸を大きく反らした姿勢から元に戻ってすぐ、トニーが目を瞬いた。彼は数歩前に出た後、軽やかにしゃがみこむ。レクシオが後を追うと、友人は何かを拾ったところだった。


「なんじゃこりゃ。高そうな落とし物だな」


 そう呟いたトニーの手にぶら下がっているのは、腕輪である。手首にかけるような細いものだ。陽光を受けて白く輝く小粒の宝石が輪をつくっていて、その中に二つ三つ、金色の輝きが混じっている。金ではない。それに近い色をした貴石だろう。宝石に詳しくないレクシオは「きらきらしてんな」としか言えなかったが、その金色には妙に惹きつけられていた。


 そんなレクシオをよそに、トニーはすぐ立ち上がる。あたりを見回したかと思えば、学院がある方向に向かって駆けだした。レクシオは、肩をすくめてから追いかける。


「もしもし、そこの方。これ、あなたの物ですか?」


 トニーが声をかけたのは、白いドレスをまとった女性だった。衣と同じ色の大きな帽子をかぶっていて、その下から豊かな金髪が背中に向かって流れている。


 その女性は、静かに振り向いた。彼女は、晴れた空のごとく青い目を見開いて、トニーと彼が持つ腕輪を見つめる。驚きが過ぎ去ると、その目もとはやわらかな微笑に彩られた。彼女は体ごと少年たちの方を向いて、少しだけ頭を傾ける。


「まあ。その腕輪は確かに、わたくしのものです。あなたが拾ってくださったのですか?」


 問う声は、春風のように温かく、明るく響く。トニーは何度か目をしばたたいたのち、ようやっと「はい」と答えた。


 彼がおずおずと腕輪を差し出すと、女性は軽く身をかがめて受け取る。所作のすべてが流麗だ。


「ありがとうございます」


 彼女はトニーとレクシオにほほ笑みかけた後、背筋を伸ばす。それから一礼して音もなくきびすを返すと、最後に少しだけ振り返ってから去っていった。


 トニーとレクシオは、呆然とそれを見送る。女性の姿と気配は、あっという間に雑踏に埋もれていった。それから少し経って、少年たちはようやく顔を見合わせる。金縛りが解けたかのような心地だった。


「……すごい人だったな」

「うん。自分から声かけておいて何だけど、すげーびびった」


 しみじみと呟いたレクシオに、トニーが何度もうなずく。そんなやり取りをしたのち、二人もやっと歩き出した。


「ありゃ絶対どっかの貴族か王族だな」

「トニーがそう言うんならそうなんでしょうよ。でも、それならなんであんなところを一人で歩いてたんだろう」

「さあねえ。俺らが気づいてないだけで、どっかに護衛がいたのかもよ?」


 たった二人の会話など、表通りの喧騒の中ではすぐにかき消されてしまう。それをいいことに、彼らはしばらく好き勝手に言葉を交わした。


 その中で、レクシオはまた金色の石がちりばめられた腕輪のことを思い出していた。

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