第109話 異質な襲撃者 2
不明瞭なからだを持ち、剣も魔導術も通さぬ獣。それらは、シュトラーゼ聖堂前広場を囲むように現れた。当然、オスカーたちの位置のほぼ対角線上で警戒にあたっていたナタリーとレクシオも、この獣たちに遭遇する。武器や術が通らないことを知るやいなや防戦に切り替えたのは、当然の流れだった。その上で、あえて魔力を強めに振りまくことで獣たちの意識を自分たちの方へ向ける。魔力量がずば抜けて多いレクシオがいるからこそ、できることだった。
「きりがねえな、まったく!」
「ほんとに! なんなのよこれ! これも神様の仕業!?」
「そうとしか考えらんないでしょ」
レクシオのぼやきに、ナタリーが悲鳴で応じる。魔力をまとった鋼線が、
「助かった!」
「いいってことよ」
振り返らぬまま礼を言ったレクシオに、ナタリーも言葉だけを投げ返す。同時、彼女が編んだ構成式が空中で光り、二人を囲む風の渦を生み出した。
弾き飛ばされても、吹き飛ばされても、薙ぎ払われても、謎の獣たちは執拗に向かってくる。全く堪えた様子のない彼らに対応しているうち、人間たちの方に疲労の色が見えてきた。これもまた、当然のことである。
渇いた喉が鋭い痛みを訴える。雪の中、反射的に咳き込んだレクシオは、二人を覆うように金色の防壁を広げた。半球状の膜ができあがると、ナタリーがとうとう手を止める。膝に両手をついて、必死に呼吸を整えはじめた。
「むり……ジリ貧……むり……」
「気持ちは痛いほどわかるけどな……ここでくじけたら戦線崩壊よ……」
「それこそ、わかってるわ……」
二人して荒々しく呼吸を整えながら、言葉を交わす。お互いにいっそ黙り込んでしまいたい気持ちはあったが、口を閉ざせばそのまま動けなくなるような気がしていた。
獣たちは、何度も防壁に突進してくる。そのたびに、金色の膜が細かく震動し、術者が顔をしかめた。その様子を見てナタリーが口を開きかけたが、言葉が発されることはなかった。遠くから小さな光が飛んできたことに、気づいたからである。
光のように見えたそれは、細かな構成式だった。レクシオは首をかしげ、ナタリーは目をみはる。全く違う反応を示した二人の前で、構成式は涼やかに弾けて消えた。
『エンシアさん、エルデさん、聞こえますか?』
「ん……シンシア?」
「あ、あんたまさか、その術……!」
構成式の痕から、聞き覚えのある声が響く。目を点にしたレクシオとは対照的に、ナタリーは顔じゅうをこわばらせて応じた。
『そのまさか、ですわ。一人で使うのは初めてでしたけれど、上手くいって安心しました』
「いや安心してる場合か! 遠話の術は試験開発中でしょ! 勝手に一人で使うなんて、退学ものの暴挙よ!?」
『非常時ですので。致し方ありませんわ』
寒空を切り裂くような怒声に返す、少女の声は涼やかだ。レクシオは意識の半分を防壁に向けつつ苦笑する。シンシアの声を届けているのは、『魔導科』の授業で実験的に開発されている魔導術――ということのようだ。
「非常時、ってことは。そっちにも、黒い変な動物たちが来ちゃってるのかね?」
ナタリーの
『その通りです。現場はオスカーとトニーさんに任せて、わたくしは今、一般の方々の誘導を手伝っています。お二人の方からも人手を回していただけるとありがたいのですが……』
「ぬぬ……こっちにもそんな余裕はないわよ……!?」
ナタリーが苦言を呈した。しかし、その一方で眉根を寄せて考え込んでいるようである。レクシオも、防壁の外を見渡して、少しだけ黙り込んだ。沈思黙考ののち、相方を振り返る。
「よっし。そういうことなら、ナタリーが行ってやってくれ」
「えっ?」
ナタリーは、目を剥いた。魔力のむこうで、シンシアも息をのんだようである。
「私が抜けたらレクはどうすんのさ!」
「どうにか持ちこたえますよ。幸い、ナタリーよりは魔力の余裕があるんで」
レクシオが肩をすくめると、ナタリーは声を詰まらせる。しばらく怒ったような顔で黙っていた彼女は、レクシオが目を逸らさないでいると、観念したようにかぶりを振った。
「わかった、わかりました! 私が行くよ!」
『――お願いします、エンシアさん』
「はいよ!」
恐縮したようなシンシアの声に、ナタリーは雑な応答をする。それから、勢いよくレクシオを振り返った。
「いい、レク? すぐに戻ってくるから、絶対に無茶すんなよ!」
「承知しました。そっちも気をつけて」
人差し指を突きつけてきた少女に、少年は軽い口調で言葉をかける。同時、その場に漂っていたシンシアの魔力が消えた。術を断ち切ったらしい。レクシオはそれに気づくと、改めて防壁の外へ視線を投げた。
雪の紗幕のむこうから、無数の視線が突き刺さる。獣たちは、いらだたしげにこちらをにらんでいた。おそらく、この術を解けばすぐにでも襲いかかってくるだろう。
レクシオは、深呼吸して身構える。外をにらんだまま、口を開いた。
「ナタリー。三つ数えたら、防壁魔導術を解く。そしたら全速力でこの場を離れろ」
「りょーかい」
二人は揃って息を吸う。レクシオは、揺らぐ金色に指を添わせた。
「三、二、一――」
重なった声、最後の数字が消えた瞬間、レクシオは防壁を解く。
寒風と雪が吹きつける。獣の声が間近に聞こえる。そして、少女の足音も。
レクシオはすかさず鋼線を抜き放ち、獣たちを薙ぎ払う。彼らがひるんでいる隙に振り返ると、ちょうどナタリーが聖堂めがけて走り出したところだった。
安堵の息を吐いて、レクシオは正面に向き直る。狼、猪、大鹿、そういったものを模したであろう獣たちが、一斉に飛びかかってくる。
レクシオはゆっくりと後退しながら、虚空で構成式を編んだ。無秩序に散っていた雪がひとところに集まり、いくつかの球を作る。術者たる少年が指を丸めて弾くと、球は獣たちへ向かって飛んでいった。
耳障りな悲鳴が響く。それでも、傷がついた様子は見受けられない。ひるんで距離を取った獣たちを無視して、レクシオは鋼線を振るう。横合いから飛び出してきた黒い獣数頭を勢いよく弾き飛ばした。甲高い
一度金属の糸を引っ込めて、柄を天に向ける。再び鋼線をしゅっと伸ばすと、そこに一息で魔力を通した。硬く張った鋼線を勢いよく振ると、それはまるで生き物のようにうねって、
悲鳴と、重い手ごたえ。しかし、絶命の気配はない。鋼線の先で何かが
異形の鳥獣の数は減らない。それどころか、いつまで経っても傷の一つもつけられない。最初からわかっていたことだが、こう何度も続くと、苛立ちがこみ上げてくる。思わず舌打ちしたレクシオは、直後、息をのんで振り返る。
いつの間にか、野犬のような獣たちが三頭、こちらへ向かってきていた。彼らは激しく吠えて、レクシオに食らいつこうと飛び出す。
「しまっ――」
武器も、術も、間に合わない。
レクシオが思わず目を細めたとき――人と獣を分かつように、白い光が通り過ぎた。
野犬たちは何かに阻まれたように吹き飛ばされる。そして、雪の上には鋭い斬撃の跡ができていた。
レクシオは恐る恐る顔を上げる。いつの間にか自分の前に立っていた、青年の背中を見上げた。
青年は颯爽と振り返る。風雪に乱された栗毛の下で、黒茶の双眸が抜き身の剣のような鋭い光を帯びている。
「無事かい、レクシオくん?」
唖然としている少年の名を呼んで、ラキアス・イルフォードはほほ笑んだ。
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