第108話 異質な襲撃者 1
世界が明るくなるほどに、街はにぎわっていく。他の街では当然の変化も、シュトラーゼではひどく珍しいように感じた。
色のない花火が上がり、道々の飾り物が色を得る。家や宿から人がどんどん吐き出されて、白い道を埋めつくしてゆく。
そんな光景を、ヴィントは薄暗い窓辺から見下ろしていた。
彼がいるのは、使われなくなって久しい塔のような建物だ。元は企業の事務所と何かの店が入っていたらしいが、今は人も物もほとんどなく、殺風景な空間に埃が溜まる一方となっている。また、シュトラーゼ聖堂にほど近いこの建物からは、街の変化がよく見える。彼にとっては絶好の隠れ場所だった。
聖堂前がいっそう慌ただしくなる。笑いあい、また表情を緩めた人々が、聖堂へ向かって足を進める。視界に入る馬車の数も、じょじょに増えてきた。
そんな中で、ヴィントは眉を動かした。彼の六感が力の流れを拾う。もう、すっかり覚えてしまった力。そこに、ひとつまみ程度の魔力が混じっていた。
「……来たか」
彼は呟く。
その声を聞く者は誰もいない。しかし、その声に応じるように、鉛色の空から白い欠片が降ってきた。
※
全力疾走するトニーの耳に、かすかなざわめきが届いた。どうやら、聖堂前にかなり人が集まってきているらしい。はしゃぐ若者の声、甲高い子どもの笑声、人々を誘導する軍人らしき男性の声。そして騒がしい足音。様々な音が混じって聞こえる。
焦燥が募った。トニーは胸中に
まず、聖堂前広場でシュトラーゼの市長と来賓代表が挨拶をする。その後、皆で祈りを捧げ、神官たちが儀式を行う。女神像が安置されている部屋の扉が開放され、それと共に市長が大祭の開催を宣言する。女神像の一般公開までは、こんな流れだったはずだ。
市長らしき声は聞こえない。今動けば、まだ迅速な対応が取れるだろう。トニーは一度呼吸を整えて、足もとの雪を蹴り上げた。
少し走ったところで、聖堂前広場が見えてきた。すでに人垣ができている。そこから外れるようにして、見知った人々が立っていた。
「オスカー! シンシア!」
悲鳴を上げる肺を無視して、トニーは叫ぶ。呼ばれた二人が振り返り、ほぼ同時に瞠目した。
「トニーさん、どうなさいました!?」
「……あっちで何かあったのか」
慌てて駆け寄ってきたシンシアの後ろから、オスカーが続く。トニーは両方の問いに答えるつもりでうなずいた。少し呼吸を整え、しょっぱい唾液を飲み込んでから、二人を見上げる。
「セルフィラ神族と、接触した。ラメドって奴だ。幽霊森で、襲ってきた」
荒い呼吸の下から状況を伝えると、オスカーたちは顔を見合わせた。二人の横顔は明らかにこわばっている。
「今は、ステラが裏庭に留めてくれてる、はずだ。けど、いつまで持つかわからない」
「……まずい状況だな」
オスカーが、太い眉を寄せた。シンシアが応じるようにうなずいて、何やら構成式を展開しはじめる。
「とにかく、皆様にこのことをお伝えしなくては――」
だが、焦りをはらんだ言葉と手さばきは途中で止まる。明確な形を成さなかった構成式が、舞い落ちる雪の中に消えた。
オスカーとトニーは、同時に彼女を振り返る。
「……シンシア?」
「なんでしょう、あれは」
少女は、深い緑色の瞳を灰色の空に向けている。少年たちは視線を追って――息をのんだ。
遠くの空に、小さな影が群れているのが見える。一見すると、鳥の群のようだ。
「何って……鳥か?」
「そう見えるな。だが……何かおかしい」
オスカーが疑念をこぼした刹那。黒々とした群が、一気に近づいてきた。それを見て、トニーは細い悲鳴をのみこむ。オスカーが「おかしい」と言ったわけがわかった。
ソレは、確かに鳥の形をしている。しかし、輪郭が不安定で、まるで炎のように揺れていた。おまけに、目にあたる部分が不気味に光っているようだ。色は赤かったり紫だったりと様々だが、いずれにしろ見ていて心地のいいものではない。
「な、な、なんだあれ――」
トニーの叫びをかき消すように、どこからか悲鳴が響いた。学生たちは一斉に振り返る。トニーが不気味な鳥と同じ色を雪の上に見出したとき、オスカーが駆け出した。
広場へと接続する路地から、野犬のようなものが飛び出してきたらしい。ソレは人垣からはみ出した女性と子どもを威嚇している。子どもが火の点いたような泣き声を上げた瞬間、オスカーが野犬の前に躍り出た。一切の躊躇なく剣を抜き、うなる相手に斬りかかる。
何かを斬る音と甲高い声が重なった。同じ時、シンシアが女性と子どものもとに駆けつけて、彼らをその場から引き離す。そしてトニーはオスカーに追いついた。
剣を構えたまま、オスカーが眉をひそめている。彼の視線の先を見て、トニーも顔を引きつらせた。
「げ、無傷?」
「妙だな。手ごたえはあったんだが……」
こちらをにらむ獣には、彼らの言葉通り傷一つついていない。そして、やはりソレは野犬ではなかった。黒い体に、不安定な輪郭。幽鬼のように不明瞭なのに、不気味な眼光と牙ばかりが鋭い。獣でないどころか、まともな生物であるかどうかも怪しかった。
謎の獣のうなり声が、いっそう激しくなる。少年たちは身構えた。オスカーが半歩下がったのに合わせ、トニーが一歩前に出る。彼は手先と目の前に意識を集中させ、短い構成式を編み上げた。魔導士にしか見えない赤色の文字が明滅し、獣の方に吸い込まれて消える。直後、その足もとで炎が上がった。
ごくごく小さな、爆炎の術。それは、野犬ていどの獣を追い払うには十分すぎる術だった。しかし、炎は間もなく弾け飛び、その内側から黒い獣が現れる。そいつはとうとう牙を剥きだしにして飛びかかってきた。
固唾をのんで見ていたトニーは、ぎょっと目をみはる。よろめくように後退した彼の横からオスカーが飛び出し、獣の一撃を剣で防いだ。そのまま彼が得物を薙ぐと、獣は苛立たしげに飛び退る。
「おいおいおいおい、どーなってんだ! 魔導術も効かないとか!」
「俺が知りたい。わかるのは、こいつがただの犬じゃねえってことくらいだ」
がくがく震える膝を押さえながら、トニーは悪態をつく。かつての友人に舌打ち混じりの返答をされたが、気にしている余裕はなかった。悪態、文句の一つや二つ、吐いていないとやっていられない。
苦々しい互いの顔を見合わせた少年たちは、連なるうなり声に気づいてそちらを見る。そして、仲良く頬を引きつらせた。
路地の奥から次々と黒い影が湧き出ている。それが人影などでないことは、不気味な色に光る両目が証明していた。
寒風に乗って、悲鳴や叫び声、張り詰めた指示の声が聞こえる。状況の悪さを悟って、トニーは帽子を強くにぎった。
「か、勘弁してくれ……」
「裏に行くどころではなくなったな、これは」
「――オスカー! トニーさん!」
顔をしかめた二人の耳に、甲高い声が飛びこんでくる。戻ってきたシンシアは、黒い獣の群れに顔を引きつらせた。が、彼らがすぐに飛びかかってこないと察すると、オスカーを振り返る。
「先ほどの方々は、カーターたちに任せてまいりましたわ。……どうやら、他の地点でも同じような獣が出現しているようです」
「そうみたいだな」
眉間をつついたオスカーは、改めて部員を見下ろす。眼光が、鋭さを増した。
「シンシア。おまえは一度アーノルド捜査官のところへ。できれば、ここにいる人たちの避難誘導をしてくれ」
それは、緊急時の対応として捜査官と話し合った計画のひとつだ。シンシアはうなずいたが、美貌は凍りついたようにこわばっている。大きな瞳が不安定に動いて、うなる獣たちを捉えた。
「それはもちろん、構いませんが……あれらはどうなさるのです? お二人だけで対応するのは、困難でしょう」
「いや、俺たちだけでなんとかする。あいつら、剣も魔導術も効かないようだからな。人数を揃えたところで意味がない」
「それなら尚更、わたくしも――」
疲れたようにかぶりを振るオスカーへ向かって、シンシアが顔を突き出す。
「いんや、大丈夫。そろそろ警備の人たちが動いてる頃だろうから。ここに増援が来るまでくらいなら、持たせられるよ。オスカー、強いし」
彼が『研究部』部長を振り仰いで笑うと、シンシアは険しい表情のまま黙り込んだ。わずかな沈黙ののち、首を縦に振る。
「無理だけはなさらないでくださいな!」
鋭い声を二人に投げつけて、シンシアは駆け出した。走り去る彼女に付き添うようにして、魔力の揺らぎが流れていく。息を吐いたトニーのかたわらで、オスカーが剣を収めた。
獣たちが
「まるで、こちらの話が終わるのを待っていたみたいだな。気味が悪い」
「同感。でもま、今はありがたいっしょ」
素直な悪態に軽口で応え、トニーは防壁魔導術を組み上げる。オスカーが無言で半歩後ろに下がり、拳を構えた。
金色の魔力が盛り上がり、半球状に少年たちを覆った瞬間、黒い獣の軍団が飛び出してきた。
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