第104話 意志と共闘

 聖職者に伝わる、隠された神話。『銀の翼』という言葉の意味。

 ステラは、それらをかいつまんで話した。時折、『調査団』の面々やカーターが補足を入れてくれたのがありがたい。


 学生たちの話を聞いて、アーノルドは眉をわかりやすくひそめた。


「神の実在、女神が人間を自らの代理人に選ぶ、か……。にわかには信じがたい話ですね」

「疑うのが当然だと思います。私も、実際に『セルフィラ神族』を名乗る人たちを見るまでは、実感が湧きませんでしたから」


 申し訳なさそうに呟いた捜査官に、ステラは苦笑を向ける。彼は意外だといわんばかりの表情をしたが、ステラにとってそれは偽らざる本音だった。


 正直、今でも腑に落ちていないのだ。自分が女神の片翼だ、という事実は。


 そういう戸惑いを察したわけではなかろうが、アーノルドは表情の揺らぎを抑えた。彼を正面から見て、ステラは、まだ伝えていなかった事実を口にする。


「『銀の選定』は黄の月フラーウスの満月の夜に行われました。そこで『銀の翼』に選ばれたのは、私です」

「……やはり、そうでしたか」


 アーノルドの表情と声は、やはり苦い。

 情報として理解はできるが、感情と実感が追いつかない。おおかた、そんなところだろう。複雑な心境であることを承知の上で、少女は言葉を続けた。


「そしておそらく、冬の大祭の当日に『金の選定』が行われます。セルフィラ神族は、確実に妨害してくるでしょう」


 ステラには、捜査官の疑心と困惑を否定するつもりはない。だが、差し迫った状況なのも、大きな危険がすぐそこに潜んでいるのも、確かだ。だからこそ、できるだけ淡々と、わかっていることを述べた。


 アーノルドは渋面のままで口もとに指を添える。


「セルフィラ神族……主神を裏切った神たち、でしたか」

「はい」

「妨害と仰いますが、具体的にどんな事態が起きるとお考えですか?」


 そう問われ、ステラは少し考えこむ。自分やここにいる友人たちが彼らと遭遇したときのことを思い出し、総合し、言葉を組み立てた。それはステラにとって容易な作業ではない。だが、今この場では彼女にしかできないことであった。


「あくまで、予想ですけど……」


 ステラは顔をくしゃくしゃに歪めながらも、組み立てたものを吐き出していく。


「まず、私は襲われますね」


 最初の一言で、アーノルドがこれまでになく目を見開いた。そのまま目玉が落っこちるのではないか、と心配になるほどだ。

 だが、ステラは止まらない。正直なところ、相手を気遣っている余裕がなかった。


「ついでに言うと、私だけでなくここにいる友人たちも襲撃を受ける可能性が高いです」


 ステラは一旦顔を上げ、背後を振り返る。『調査団』のうち、神族と接触した経験のある四人がうなずいた。ついでにオスカーも顎を小さく動かしている。


「…………それはまた、どうして」

「ステラと一緒に二度ほど戦っていますから。完全に敵認定されていると思いますよ」


 しぼり出すようなアーノルドの言葉に、ジャックが肩をすくめて答えた。苦笑まじりの声は、不思議と爽やかに響く。

 ついでに、彼のそばでレクシオが「俺なんて、『邪魔者』の息子ですしねー」などと口走った。アーノルドの眉間のしわが一本増えた。


「この街の女神像が『金の選定』の鍵を握っているというのなら……大祭そのものを妨害してくる可能性もあると思います。具体的にどういう手法を採るかは、想像もつきませんが……」


 カーターが、控え目に挙手して意見を述べる。


「そうなると、他の人たちが巻き込まれないように手を打たなきゃだよねえ」


 ナタリーの苦い呟きに、他の九人は何度もうなずく。


 一方で、アーノルドは相槌すら打たなかった。単に言葉を失っているのか、思考をしているのかは判然としない。捜査官はしばしうなった後、常識はずれな学生たちを見渡した。


「そのような危険があると承知の上で、君たちは冬の大祭に参加しようというのか?」


 ステラと話すときより砕けた物言いは、この場の全員に向けたものだろう。『調査団』と『研究部』の十人は、「はい」と答える。一片の迷いもない。

 アーノルドは元々鋭い目をさらに鋭くした。


「なぜ、そこまでする?」


 問いの後に訪れた、短い空隙くうげき

 その中でステラは頬をかき、真っ先に口を開いた。


「私の場合は……そうするしかないからです。逃げたくても『金の選定』は行われますし、神様たちは襲ってきます。そうなったら、対処するしかないでしょう?」


 若干の自嘲をにじませた答えに、アーノルドは何か言いたそうな顔をする。しかし、何も言わぬまま、他の学生たちに目を向けた。


「そんな友達を一人で戦わせるのが嫌なんですよ、私は」


 毅然として発言したのは、ナタリーだ。彼女は捜査官の視線を受けると、悪童のように笑う。それを見ていたレクシオが、顔の前で手を挙げた。


「右に同じ。こいつ、放っておくと一人でとんでもない無茶をするのでね」

「……レクに言われたくないんですけど?」


 ささやかな反発心が芽生えたステラは、幼馴染をねめつける。「なんのことかね?」と応じる声は、温かい。


「僕たちも似たようなものですよ。もちろん、同好会グループ活動のためという目的もありますが、それより何より、彼女を放っておけないんです」

「さっき団長が言った通り、敵認定されてますしね」


 ジャックとトニーが陽気に追随してくる。そのかたわらで、ミオンが何度もうなずいた。


 腕を組んで思案顔をしているアーノルドを見て、ブライス・コナーが元気よく手を挙げる。


「来ちゃったからには無関係じゃいられませんから~! って、これはステラたちには言ったけど!」

同好会グループ活動での連携を条件に、裏事情を聞きだしてしまいましたからね。我関せず、というわけにはいきません」


 シンシアが便乗する。口調は刺々しいが、まとう雰囲気は柔らかい。


 そして、元気な部員とうなずく部員を見ていたオスカーが「それに、奴らのやり口は見ていて腹立たしいからな」とこぼした。どこまでも低く静かなその言葉が、最後だった。


「……みんな」


 それぞれの言葉は、ステラの胸を突き、心に染み込んでくる。


 以前から信頼はあったし、彼らなりの思いやりを感じてもいた。けれど、その想いをはっきりと言葉で聞くのは、これが初めてだったのだ。

 その重みをかみしめているステラの対面で、アーノルドが短く息を吐く。彼は学生たちの視線を受け止めると、頭をかいた。


「なるほど。これは……大物だな」


 ささやいた声は、小さい。けれど、ステラの耳には確かに届いた。

 捜査官の評価をどう受け取ったらよいものか。少女が困惑しているうちに、彼は強く手を叩く。乾いた音が、重い空気を打ち払った。


「わかりました。私も協力しましょう」

「協力? アーノルドさんが……ですか?」


 思いがけない言葉に、ステラは素っ頓狂な声を上げる。すると、アーノルドは不敵に笑って己の顔を指さした。


「こう見えて、それなりに経験豊富な魔導士でして。神様と渡り合う、とまではいきませんが、当日の戦いを支援するくらいはできますよ」


 ステラは思わず口を開ける。よくよく意識を集中させてみれば、彼からかなりの魔力を感じた。自己申告でようやく気づくとは。まだまだ未熟だ、と、ステラは胸中で嘆いた。


 彼女の心中を知らない捜査官は、なめらかに言葉を続ける。


「それに、冬の大祭には私の『上官』も出席します。事情を伝えれば、本人や随行の軍人の力を借りることもできるでしょう。もっとも、その場合は、ここで聞いた話を多少報告することになりますが」


 彼の提案はとても魅力的だった。大人の、それも軍人や警察官の力を借りられるのはありがたい。セルフィラ神族たちについて、対処するしかないと思う一方で、たかが学生たちにどこまでのことができるのかと不安にもなっていたのだ。


 ステラは考える。いくつかの事柄を天秤にかける。捜査官の両目を見つめて――最後に、友人たちを振り返った。


「みんなは、どう思う?」


 慎重に問うと、団長が秀麗な顔に笑みをたたえた。


「僕はいいと思うよ。大人の力を借りられるのはとても心強い」

「それは一理あるな。『上官』とやらがどこまで信用できるかが不安だが」


 ジャックに続く形で、オスカーがぼそりと意見を述べる。

 他の人たちの意見も、詳細は違えどこの二人のどちらかに寄ったものだった。だが、ただ一人、レクシオだけは調子が違った。


「この人の『上官』、少なくとも敵ではないと思うぜ。俺の直感だけど」


 そう言う彼の瞳には、なぜか少し困ったような色がにじんでいる。それを不思議に思いながらも、ステラはうなずいた。


 彼らはステラに力を貸してくれる。身の危険がある場所にも、そうと知りながらついてきてくれる。ならば、その気持ちに応えなければ、と思う。


 冬の大祭の日、巻き起こるのは女神と反逆した神々の闘争だ。ならば、最後に決断するのは――女神の代理人であるステラの役目だろう。


 深呼吸して、アーノルドに向き直る。そしてステラは、みずからの答えを口にした。


「……では、お言葉に甘えて。力をお貸しいただいてもよろしいでしょうか、セドリック・アーノルド捜査官」

「もちろん。微力を尽くしましょう。よろしくお願いします、ステラ・イルフォード様。そしてご学友の皆様」


 恭しく頭を下げたアーノルドに、ステラは手を差し出す。捜査官は目もとをやわらげ、その手を力強く握った。


 それぞれ思惑はあれど友好的な握手が済んだ後。肩の力を抜いたステラは、「そうだ」とアーノルドに声をかけた。


「アーノルドさん、ひとつお願いが」

「なんでしょう?」

にも、普通に接してもらえませんか」


 ステラが口調をいつも通りに戻すと、アーノルドは瞠目する。明らかに戸惑っている捜査官へ少女は微笑を向けた。


「大祭の当日、あたしはイルフォード家の人間としてではなく、『銀の翼』としてその場に立ちます。ですからアーノルドさんにも、そのように接してほしいんです。もちろん、公の場以外では、ですけど」


 お互い立場がありますから、と悪戯っぽく片目をつぶる。ステラのそんな態度に、アーノルドは苦笑したようだった。短く息を吐いた後、ステラを見た彼の顔からはこわばりが消えていた。


「……わかった。よろしく頼むよ、ステラさん」

「はい、よろしくお願いします」


 ステラが声を弾ませると、あたりに笑いのさざ波が起きた。

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