第103話 捜査官とご令嬢

 憲兵隊専任捜査官を名乗った男に、ステラは反射的に敬礼を返し、彼にならった。これはもう、武術科生かつイルフォード家の人間としての、どうしようもないさがである。


 お互いが体の力を抜いたところで、ステラは戸惑いの目を相手に向けた。


「憲兵隊専任捜査官……と仰いましたね。私に、一体なんのご用で……?」


 そういう名の役職があることは知っているが、自分には縁遠い相手だと思っていた。困惑半分、警戒半分で相手を観察していると、アーノルドが口を開こうとする。


 が、その前に、視界の端で挙手があった。ステラは振り返る。


 手を挙げたのはオスカーだった。ステラは彼と目を合わせてから、アーノルドを振り返る。彼は肩をすくめて「どうぞ」とだけ言った。


「話の腰を折るようで悪いが……学院の警備員が捜査官? というのはどういうわけだ?」


 オスカーの言葉に、ステラはぎょっと目を剥いた。思わずアーノルドの顔をながめる。そういえば、学院の門前にいつもいる人と似ているかもしれない――ステラがそこまで考えたとき、アーノルドが応じた。


「あれも任務のうちだ。クレメンツ帝国学院の警備員として勤めながら、色々と様子を探ってこい、と言われていてね。もちろん、色々、の部分は明かせないが」

「ひょっとして……秋の騒ぎで特別調査室があんなに早く動いたのは、そのおかげか」


 オスカーが目を細め、まわりの者は息をのむ。アーノルドは答えなかった。が、その無言が何よりの肯定だ。


 微妙な空気が漂いかけたところで、再びの挙手がある。今度の主は、ブライスだった。


「はい! もう一個、脱線質問していいですか!」

「はいどうぞ」


 今度はステラが即刻許可する。彼女の質問内容が予想できたからだ。


「そのナントカ捜査官ってなんですか? あんまり聞いたことない気がするんだけど」

「ああ、それもそうか」


 案の定の質問に、アーノルドが苦笑する。彼は、穏やかな調子で続けた。


「憲兵隊専任捜査官は……簡単に言うと、警察と軍人の仲立ちをする仕事だ。警察から憲兵隊へ派遣されて、普段はそこで仕事をしている。警察と軍の連携が必要な事案が出てきたときには、情報伝達と、場合によっては副指令的な仕事を任される」


 なかなかに責任重大な立場だ、と、彼はおどけたふうに両手を挙げる。


「私の所属は一応帝都警察だけれどね。もっぱら、派遣先の特別調査室で仕事をしているよ。そこに所属している少佐が、私の上官、のようなものだ」


 ブライスは、やや身を乗り出して話を聞いている。何度かうなずいてはいたが、本当に理解しているかはわからない。


 そして、ステラは「特別調査室」と「少佐」という単語に惹かれて目を細めた。オスカーではないが、秋の騒動を思い出す。


「……と、このくらいで納得していただけるだろうか」

「とりあえずわかりましたー! ありがとうございます!」

「いえいえ」


 頭をかいたアーノルドは、静かにステラへ向き直る。

 話が元の場所へ戻ってきたのを感じた。ステラ自身も居住まいを正す。


「私は長いこと、その上官のめいである極秘任務についています。その関連で、ステラ様にお伺いしたいことがあるのです」

「それは、一体……?」


 問いながら、ステラは内容を薄々察していた。なぜかはわからない。ただ――すべてのことが冬の大祭へ向けて集束していくような、そんな感覚がするのだ。


「『銀の翼』、あるいは女神の代行者について」


 アーノルドは、予感通りの答えを口にした。


 誰も表情を変えない。

 だが、空気は凍りついた。


「そうですか」


 ステラは瞑目し、それだけを絞り出す。次に顔を上げたとき、アーノルドの目はステラの後ろへ向いていた。


「……我々にとっても、極秘の話です。できれば、人払いをお願いしたい」

「いえ。その必要はありません」


 至極当然のお願いを、ステラはきっぱりと退けた。目をみはっている捜査官へ、不敵な笑みを向ける。


「ここにいる十人全員が、その話を知っています。むしろ情報を共有しておいた方がいいはずです」


 アーノルドが鋭い目で学生たちを見た。ステラは視線を追って振り返る。彼ら一人ひとりが、力強くうなずいた。我らが団長から、『調査団』の新入りまで、全員が。

 それを見て、何を思ったのか。アーノルドは長々と息を吐き、かぶりを振った。


「……わかりました。このまま話を続けましょう」

「ありがとうございます」


 ステラは慇懃いんぎんに頭を下げる。それと同時に、学生のうち二人が動いた。


「つっても、極秘の話には変わりないからな。軽めの防音と認識阻害の術、かけとこう。ミオン、手伝ってくれるか」

「もちろん。ですけど……軽めでいいんですか?」

「あんまりガッツリかけると、かえって怪しまれるでしょ」

「あ、そうか。わかりました」


『魔導の一族』の二人が、率先して構成式を広げる。そのさまを、魔導科生と、なぜかアーノルドが唖然として見ていた。彼は、ステラの視線に気づいて、すぐに咳ばらいをしたけれど。


 二人による仕込みが終わるのを待ってから、ステラは口火を切った。


「そもそも、アーノルドさんはどこでその言葉をお知りになったので? ほとんどの人が知らないはずですけど」

「そうですね。今のところ、私もこれが何を指す言葉なのか、わかっておりません。せいぜいラフェイリアス教の専門用語だろう、と想像がつく程度です」


 口惜しそうにアーノルドはかぶりを振る。ステラはけれど、その切れ長の眼が自分をうかがったことに気づいた。


 よくない流れを感じて、ステラはひととき口をつぐむ。兄とのやり取りを思い出して悪態をつきたくなったが、堪えた。苦手でもなんでも、やらなければならないときは来るものだ。


 心の中で数をかぞえ、顔を上げる。北極星の一門の少女は、あくまで朗らかにほほ笑んだ。


「であれば、まず、あなたが私に辿り着くまでの経緯を聞きたいです。それを教えていただけるのなら、私もあなたの疑問にお答えします」


 アーノルドが目をみはる。学生の一部が息をのみ、一部は静かな表情で事の成り行きを見守っていた。


「極秘任務の情報を引き出そうとは……豪胆なお方だ」

「そうでしょうか? 少なくとも私は、等価交換だと思っておりますよ」


 自分が何を要求しているのかは、わかっているつもりだ。軍人に軍事機密を寄越せと言っているのと同じことである。


 だが、彼が求めているのもまた、ラフェイリアス教の最高機密だ。重要性で言えばそう変わらないか、こちらの情報の方が上だろう。


 エドワーズ神父の言葉を思い出す。


 この人が、この人の上司が、信用、信頼するに足るかどうか。

 それをぎりぎりまで見極めるためには、ここを譲ってはいけない気がする。


「いかがですか、アーノルド捜査官」


 だからステラは微笑を崩さない。そして、心を静めて、待った。


 沈黙は、おそらくそれなりに長かった。その間にこの捜査官の脳内でどのような計算が行われたかは知らない。ただ、次に口を開いたときの彼は、真剣そのものの表情をしていた。


「……わかりました。可能な範囲でお話しします」

「では、こちらもそれに見合った情報を提供しましょう」


 感謝いたします、とアーノルドがほほ笑む。それが心からのものでないことはわかったが、ステラは追及しなかった。ただ、語る声を聞く。


「私が、実質上の上官の命で動いている、というのは先にお話しした通りです。その内容は――ラフェイリアス教について調べろ、というものです」

「どういうことです? その方は、教会を警戒していらっしゃるとか……?」

「いえ。そういうわけではないようです。一度だけ尋ねてみたことがあるのですが、教会と敵対するつもりはないと申しておりました。手札が欲しい、とも」

「手札……」


 捜査官の言葉を反芻はんすうしたステラは、眉間にしわを寄せる。すでに頭が熱くなってきた。


 少女の息切れに気づくはずもないアーノルドは、淡々と話を続ける。


「我々は教会を刺激しない程度に、その周辺を探っていました。結果、ラフェイリアス教に関して、世間に広まっている話がすべてではない、ということは確信が持てました。まあ、これに関しては珍しいことではないですがね」


 帝国の歴史にも、隠された部分、葬られた部分はある。ことさらに軽い口調でそう語って、アーノルドは眉を上げる。返答に困ったステラは、とりあえずうなずいておいた。


「それから少しして、我々は帝国で暗躍する『奇妙な存在』に気づきました。人のようで、しかし人間離れしたことを行う――神出鬼没の者たち。彼らはなかなか尻尾をつかませてくれません。ですが、彼らが動いた時期と、教会内部が慌ただしくなった時期が重なっていることが、いくつかの調査でわかりました。秋口の神父殺害事件もそうです」


 学生たちは思わず顔を見合わせる。彼らが気づいた『奇妙な存在』。それがセルフィラ神族であることは、疑いようもなかった。


「それがわかってから、私は彼らを集中的に追うことにしました」

「……それでなぜ、シュトラーゼにいらっしゃったのです?」


 慎重に、しかし明るく尋ねたのは、ジャックだった。もしかしたら、ステラの頭が爆発寸前であることに気づいたのかもしれない。申し訳ない気持ちを抱きながらも、彼女は顔に出さぬよう努めた。


 アーノルドは、少し考えこむそぶりを見せてから、うなずく。


「『奇妙な存在』を探っているうち、もうひとつ、あることに気づきました。彼らが現れるとき、そのすぐ近くで、ある指名手配犯の目撃情報が急激に増えるのです」


 アーノルドが顔を上げる。鋭い両目が一人を捉える。その一人は何も言わなかった。ただ、振り返ったステラを見て、わずかに目を細める。


「ヴィント・エルデ。私は彼を追って、シュトラーゼに来たのです」


 ステラ以外の視線が、レクシオに集中する。それでも彼は無言を貫いたが、ブライスの「それって確か、幼馴染くんのお父さん?」という問いには「そう」と短く答えた。


「その人、この街に来てるのかー」


 まさか、すでに会ってます、などとは言えない幼馴染二人は、苦笑して沈黙を守る。


 彼らの態度をどう取ったのか、カーターが慌てた様子で口を開いた。


「で、でも。その『奇妙な存在』とヴィントさんが関係しているとは限りませんよね?」

「そう、目撃されている時期が同じだけならね。だが、両者の目撃情報が重なったときに、毎回ではないが、非常に強い魔力も観測されているんだ。魔力の残滓ざんしが長時間残る、なんて現象も報告されている。関連性を裏付けるものではないが、『何かある』くらいには、君も思うだろう」

「そ、それは、確かに」

「それに、ヴィント・エルデはおそらく慎重な男だ。普段は我々や軍人の目に触れぬよう、細心の注意を払っているように見える。そんな人物がある一時期だけ目立つような真似をするのは、やはり不自然だ」


 カーターはうなずき、険しい顔で沈黙する。彼の肩に手を置いたオスカーが、すかさず後を引きとった。


「で、指名手配犯には会えたのか」

「接触はできた。色々とはぐらかされたがね。ただ、彼は最後に言った。『“銀の翼”――女神の代行者が、今、この街にいる』と。そして、ステラ様と思しき十代女性の特徴を挙げた」


 誰もが、重々しく押し黙る。ステラもまた、すぐに反応しはしなかった。ただ、静けさの中で、細長い吐息をこぼす。


 色々と繋がった。ヴィントが何を思ってアーノルドにそう言ったのかはわからないが、少なくとも『銀の翼』がステラだと知った上での発言だろう。


 幼馴染によく似た、けれどうんと冷たい瞳を思い出す。


 寡黙で、冷徹な人だ。それでも情がないわけではなかった。

 いや、きっと、とても愛情深い人だったのだろう。


 ならば、そんな彼がステラたちのもとへと導いた捜査官は、彼の『上官』は――


 長く、長く、延びた思考。

 それをステラは、かぶりを振って打ち切った。


「……よくわかりました。ありがとうございます、アーノルドさん」


 悩むときはすでに過ぎている。

 今はただ、泰然として目の前の人に向き合う。


 やるべきことは、一つだ。


「約束通り、私もお話ししましょう。私たちが知った、もうひとつの神話について」

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