第二章 雌伏の終わり

第101話 お客さんとおねえさん

 そのとき、ステラはミオンとともに街の目抜き通りへ出ていた。大祭の準備の様子見と手伝いをするためである。


 シュトラーゼ聖堂で有力な情報を得た『調査団』の六人は、ひとまず活動の主軸を大祭の準備に変更した。むやみやたらに尋ね回ってもベルから聞いた以上の話は聞けないだろう、ということで意見が一致したのだ。それに、『研究部』の四人もある程度は調べてくれる。ひとまず集中的な調査と神族探りは彼らに任せることにした。

 そんなわけでこの日は、雪がちらつく中、六人ともが街の各所へ散ったのである。


 身の丈ほどもあるスコップを正確に雪の中へと差しこむ。すくうように先を押し込んでその重みを確かめたステラは、よっ、と短い掛け声をかけてスコップを持ち上げた。とんがり帽子のように盛り上がった雪を脇へ放る。すでに大きな山を作っている雪の上に新たな層が積み上がった。ステラはそちらを見向きもせず、同じ動作を繰り返す。


 少しずつ場所を変えて雪かきをすること一時間弱。脇道の雪が高さを増し、そちらを見なくても圧を感じるくらいになった頃、ようやくステラは手を止めた。あらわになった石畳に軽くスコップを突き立てて、額の汗をぬぐう。細い吐息は、意識せずとも唇の隙間から漏れた。


 彼女が一息ついたとき、すぐ後ろの家の扉が開いた。


「ステラさん、お疲れ様です……わ、すごい進んでる!」


 顔を出したミオンが、轍のような石畳を見て目をみはる。振り返ったステラは口もとを緩めた。こうもすなおに感動されると、少々照れ臭い。


「お疲れ様、ミオン。とりあえず通れるようにはしたよ。そっちはどう?」

「こちらもだいたい終わりました!」


 ステラのもとに駆け寄ったミオンは、胸の前で拳をにぎる。茶色い瞳はいつになく輝いていた。


「あらあら、まあまあ。こんなにきれいにしていただいて」


 扉の方からやわらかな声が聞こえてくる。少女たちはそろって声の主――家主の老婦人を振り返った。菜の花柄のエプロンを身に着けている老婦人は、石畳を見下ろして嬉しそうに目を細めている。その拍子に少しずれた眼鏡を直して、彼女は少女たちにほほ笑みかけた。


「本当にありがとう。助かりました。これもね、一人で終わらせるのは大変だから」


 これ、と言って老婦人は手に持っている編み籠を掲げてみせる。中に入っているのは、この地区で使う造花飾りのはずだ。ステラが足腰の悪い婦人に代わって雪かきをしている間、ミオンが彼女と一緒に中で飾りを作っていた、というわけだった。


 ミオンが手を合わせて嬉しそうに笑う。


「お役に立てたならよかったです」

「本当に助かりましたよ。それに、久しぶりに若い人とお話しできて楽しかったです」


 老婦人は朗らかかつ上品に声を立てて笑う。ステラとミオンも少し釣られた。互いの顔を見合わせ、小さく吹き出す。


「よろしければお茶でも飲んでいってくださいな」


 老婦人はステラに向かって、やわらかく提案する。ステラは驚いて、空いている方の手を顔の前で振った。


「い、いえ。さすがにそれは申し訳ないというか……」

「遠慮なさらないでください。ステラお嬢様に肉体労働をお願いしておいて、なんのもてなしもしなかったとあれば、私が主人に怒られてしまいます」


 四年前に夫を亡くしたという老婦人は、あくまで穏やかに目を細める。


 ステラは言葉を詰まらせた。そういう言い方をされると断りづらい。それに、正直体を休めたい気持ちもある。


 逡巡しゅんじゅんしているステラをミオンが振り返った。


「せっかくですし、お邪魔しませんか? ステラさん、ずっと雪かきしていて疲れているでしょう?」

「う……まあ、ちょっとは……」

「それに、年長者のご厚意はきちんと受け取った方がいいですよ! 父の受け売りですけどね」


 級友の言葉は、ステラにとってだめ押しだった。この子、意外とぐいぐい来るな、と困惑しつつ、彼女は老婦人に頭を下げた。


「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて……お邪魔します」

「ゆっくりしていってください。今、お茶の準備をしますからね」


 老婦人は楽しそうに体をひるがえす。その調子のままミオンを振り返り、「あなたのお父上はすばらしい方ねえ」と話しかけていた。ミオンは、照れ臭そうに頬をかく。祖母と孫くらい年の離れた二人のやり取りを、ステラは苦笑交じりにながめていた。



 老婦人の家で温かいお茶を頂き、少し体を休める。そうしてステラたちは再び街へ繰り出した。


 ミオンと並んで歩いていたステラは、彼女が落ち着きなくあたりを見回していることに気づく。


「だいぶお祭りっぽくなってきたよね」


 そう話しかけると、華奢きゃしゃな肩が跳ねた。恥ずかしそうにうなずいたミオンは、通り過ぎたばかりの家並みを振り返る。


 建物の軒先には、先ほど彼女たちが作っていたような造花飾りや、明かり籠がぶら下げられていた。それらは、まるで道を縁取るように並んでいる。


学院祭フェスティバルを思い出すような……でも、少し違った雰囲気で、楽しいです」

「楽しいならよかった」


 はにかむ級友に笑いかけたステラは、みずからも街並みを見渡した。


 酒瓶が並んだ箱をお店に届けたり、植物の水やりをしたり、道端でボールを蹴って遊んだり。そんな、日々の営みのかたわらに、凝った飾りが彩りを添えている。日常の穏やかさと、非日常の慌ただしさ。それらが同居して、祭りの前の街というのは奇妙な空気に包まれる。ちょうど、秋ごろの帝都がそうだった。だが、ミオンの言うように、帝都と今のシュトラーゼでは何かが違って見える。単に街の性質の違いもあるのだろうが、それだけでもないだろう。


「クレメンツ・フェスティバルは収穫祭の側面が強いけど、ここの冬の大祭は元々がラフェイリアス教の宗教行事だからね。今でもちょっと空気感が違うのかも」


 理由のひとつであろう事柄をステラがこぼすと、振り向いたミオンが目を瞬く。


「あれ、そうなんですか?」

「うん。って言っても、あたしも兄上から聞いて知ったんだけどね」


 元来、冬の大祭はラフィア神と神族に一年分の感謝を捧げる、という行事だったらしい。今ではお祭りの側面が強くなっているが、当時の神事や祈りはきちんと受け継がれている。特別な女神像を一般公開するのも、そういったものの一つなのだという。


 ――ということをステラが語ると、ミオンはつぶらな瞳を感心と尊敬の色に輝かせた。


「へえええ。わたし、初めて知りました!」


 自分に尊敬の目を向けられても困る、と思いながら、ステラは笑って頭をかいた。


 そんなやり取りをしているうちに、ひらけた場所が見えてくる。塔のような時計が目印のそこは、街にいくつかある広場のひとつだ。いつも人は多いところだが、今日はいつも以上に騒がしい。大人の男たちが集まって、何やら大がかりな作業をしているようだ。


 邪魔になっても悪いので様子を聞くだけにしよう、と決めて、二人は広場の方へ足を向ける。ステラが近くの男性に声をかけようとしたとき、彼女たちの方が呼び止められた。


「あ、ステラさん、ミオンさんも」


 名前を呼ばれた二人が振り返ると、横道の方から出てきた誰かが手を振っていた。茶髪の優しげな少年と、赤毛の身軽な少女。カーターとブライスだ。


「あれ、なんか珍しい取り合わせだね」


 二人の名を呼んだ上でステラがそう続けると、カーターが曖昧な笑みを浮かべて頭をかく。その間にブライスが飛び跳ねてミオンの前まで行き、彼女の手を取っていた。


「わっ」

「やほーい! 昨日ぶり!」

「あ、はい。昨日ぶりです。お二人はもしかして……調査ですか?」

「そう! 二手に分かれて色々調べてんのー!」


 そこで、ブライスはミオンから離れる。相変わらずの赤毛娘は、その場で軽やかに半回転した。


「んで、途中で若干道に迷っちゃってさあ。親切な子にここまで案内してもらったとこなんだ! ね、カーター!」

「ええと、はい。実はそういうことなんです」


 いきなり水を向けられたからか、カーターは背中を丸める。気まずそうな言葉を聞き、ステラとミオンは顔を見合わせた。それから改めてブライスの方を見る。今まで気づかなかったが、ブライスの後ろにもう一人いた。


 小柄な少年だ。八歳か九歳か、そのあたりだろう。淡い色の髪を持つ彼は、やわらかい笑顔を『研究部』の二人に向けた。


「ここまで来ればだいじょうぶだと思いますよ。知り合いの人にお会いできてよかったです」

「うん! ありがとうね、少年!」


 大人びた口調の少年に向かって、ブライスが感謝の言葉をぶつける。うなずいた少年が、ふとこちらを見て――ステラと目が合った。


 その瞬間、ステラは眉を上げる。ちくり、と記憶を刺激された気がした。


 整った、けれどなかなか見ない面立ち。光の当たり方によって、金色にも銀色にも見える不思議な髪。よいの空のような青い瞳。

 そのすべてに、見覚えがあった。


 ステラの頭が古い映像を掘り起こすのと、少年が目を輝かせたのは、ほぼ同時のことだった。


「あっ――」

「あ! 剣術教室のおねえさん!?」


 高く甘い声が、懐かしい呼び名を紡ぐ。残る三人がびっくりして、ステラと少年を交互に見た。


 同級生たちに構っている余裕は、ステラにはない。誰よりも彼女自身が驚いていたのだから。


「セシルくん!?」

「はい! セシル・ウィージアです!」


 ステラは、記憶の底から拾い上げた名を叫ぶ。少年が、満面の笑みでそれに答えた。


 セシル・ウィージア――それは、学院祭フェスティバルの剣術教室でステラが担当した、最初の受講者の名である。


 不思議な子だと思っていたので、印象には残っていた。同時に、二度と会うことはないだろうとも思っていた。行事ならではの一期一会いちごいちえだと。まさか帝都から離れた北辺の都市で再会するとは思ってもみなかったのだ。


 そんなわけで唖然としているステラの横で、ミオンが目をみはる。


「あっ、思い出しました! 学院祭フェスティバルの剣術教室に、最初に来てくれた子ですね」

「え、そうなの? 私知らないよ?」

「ステラさんの担当だったので。ブライスさんとは少し離れてましたよね」

「なあるほどぉ。そりゃ知らなくて当然だわ」


 剣術専攻の少女たちのやり取りは、ステラの左耳から右耳へと通り抜けていく。一方、しっかりと話を聞いたらしいセシルは、興味深げに二人の方へ身を乗り出した。


「おふたりも、剣術教室にいらっしゃったのですか?」


 まっすぐな問いにブライスが手を挙げて応じ、ミオンはほほ笑む。


「ええとね。私ははしっちょの方で先生してました!」

「わたしは……裏方だったので。気づかなくてもしかたないと思います」

「うらかた?」

「皆さんを陰から支えるお仕事のことです。あのときのわたしは、セシルくんたちが怪我をしないよう、色々な工夫をしていたんですよ」


 首をかしげるセシルに、ミオンが目線を合わせて答える。少年は剣術教室のときと同じように、まぶしいほどの憧憬のまなざしを向けていた。


 そこで「初めまして」の面々は改めて自己紹介をすることになった。互いの名を知った後、セシルがステラに向き直る。


「みなさんは、どうしてシュトラーゼにいらっしゃるのですか?」

「え、ええと……」


 ステラは返答にきゅうした。明確な理由はないが、自分の帰省に付き合ってもらっていると話すことに抵抗があったのだ。短い間で思考をまとめ、咳払いしたステラは、セシルに目線を合わせる。


「セシルくん、冬の大祭のときだけ見られる女神像のこと、知ってる?」

「はい。すーっごくりっぱなのですよね」

「そうらしいね。……じゃあ、そのまわりで色々不思議なことが起きる、っていう噂は?」


 ステラが人差し指を立てて見せると、セシルはさらに目を開いた。


「あ、知ってます! 街のおじさんから話を聞いたことがあります」


 元気な声を聞き、ステラ以外の学生たちが顔を見合わせる。ステラはそれを視界の端に捉えつつも、セシルから意識を逸らさない。


「あたしたちね、その『不思議なこと』を調べにきたんだ。学院の活動で」

「そ、そうなんですか?」


 少年はいたく感動した様子で学生たちを見上げる。すごいなあ、などと呟いていた。


 ステラはこっそり吐息をこぼす。色々と説明を省いてしまったが、大雑把にでも伝わったのならそれでいい。


「不思議なこと、すっごく気になってるんです。だから何回か女神様を見にいったこともあるんです。でも、不思議なことは見られなかったんです」


 幼い声が懸命に言葉を紡ぐ。それを拾ったカーターが、何度も目を瞬いた。


「そんなに何度も見にいってるんですか? でも、見られなかった?」

「はい」


 セシルがしおれた花のごとくうつむく。それを聞いたステラたちは互いにいぶかるような視線を交わしあった。が、直後に響いた力強い一声に意識を持っていかれる。


「でも! 今年こそは見られると思います! なんだか、そんな気がします!」

「おお、すごい自信。そりゃまたなんで?」


 榛色ヘーゼルの瞳をくりくりさせながら、ブライスが問う。セシルは屈託なく笑った。


「おねえさんたちに、この街で会えたからです! こういうのが『運がいい』ってことだと思います」


 まっすぐにそんなことを言われたものだから、ステラは思わずセシルから視線を逸らし、頬をかく。そうしていると、カーターと目が合った。彼の目は泳いでいる。おそらく自分も似たような表情をしているのだろう。


 一方、ブライスとミオンは笑いあっていた。


「堂々とそんなこと言われちゃー……悪い気はしないね!」

「ですね」


 二人がお互いの両手を合わせると、また明るい笑声が弾ける。


 その後、少しだけ世間話をした。そのさなか、セシル少年がはたと首をかしげる。


「そういえば、魔法使いのおにいさんは一緒じゃないんですか?」


 その問いに、ステラはなぜか肩をこわばらせた。八つの視線が彼女に集中する。


 魔法使いのおにいさん――レクシオのことだ。その呼び名を知っているのは、あのとき間近にいたステラだけだった。


 答えが喉元でつっかえる。ステラは少し悩んで「今はね、いないんだ」としぼり出した。


「そうですか……」


 少年は、残念そうにうつむいた。その背中を慰めるように叩きながら、今度はステラが首をひねる。


 先の一瞬、なぜ自分が身構えたのか。そして、答えることをためらったのか――その理由が、ステラ自身にもよくわからなかった。

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