第一章 厳冬の便り

第71話 白の月の平穏

 大地を踏みしめる。

 呼吸を整える。

 一息で、集中する。


 天から地へ落ちるように。しかし、水底へと潜るように。


 自分が立つのは前線だ。敵は、いちいち自分が集中状態になるのを待ってはくれない。隙を生めば、その先に待つのは、死。だから、一瞬で頭を切り替えられなければならない。


 これは、そのための訓練だ。


 全身が熱を帯びる。手足がじんじんする。それを知覚すると同時か、それより早く、目の前で短い構成式がいくつも弾けた。自分に向けられた木剣ぼっけんに熱と破壊の魔力がまといつく。なんという速さだろう。内心青ざめながらも、彼女は大きく踏み込んだ。


 気合の一声。刃同士がぶつかる。そのはざまで激しく火花が散り――衝突した魔力は、派手な音を立てて爆ぜた。


「うっわ、何事!?」


 横の方から、ひっくり返った声がする。それを聞きつけて、彼女――ステラ・イルフォードは魔力の流れを断ち切った。木剣を引っ込めて、その刃先に銀光がまとわりついていることに気づく。


「あ、悪い悪い。やりすぎた」


 軽い調子で謝罪したのは、ステラと向き合っていた少年だ。同じ学科に所属する同級生にして、初等部から付き合いのある幼馴染。レクシオ・エルデは、言葉とは裏腹の笑顔を叫び声の主に向けている。


「やりすぎた、じゃないでしょ! 中庭の物壊したらどうすんだ!」

「壊さねえように防壁魔導術張ってんだから、大丈夫よー」

「そうだけど、そういう問題じゃないでしょ! ほら、中で何人かこっち見てんじゃん」


 ぷりぷりとしてレクシオに苦情を申し立てているのは、ナタリー・エンシアだった。彼女とステラの付き合いも、また長い。レクシオとのそれに次ぐくらいだ。


 帝国屈指の学び舎、クレメンツ帝国学院。その広大な敷地に点在する中庭のひとつに、ステラたちはいる。今は昼休憩の時間だ。気を緩めた生徒たちが学院中をそぞろ歩いている。が、この中庭にはひと気がない。だからこそ、気兼ねなく魔力操作の訓練ができていた。


 ここにいるのは三人だけ――ではない。ステラと、彼女から見て友人知人にあたる九人が、どういうわけか勢揃いしていた。


「それにしてもこの防壁魔導術、すごい強度ですよね……」

「なんかこう、嫉妬通り越して腹立つよなー」

「あ、ひでえな。こちとら魔力のせいでえらい苦労したんだぞ」


 十人の学生たちのまわりを、薄い金色の半球が覆っている。それは、防壁魔導術と呼ばれるものだ。恐る恐るそれに触れるカーター・ソフィーリヤの横で、トニーがわざとらしく嘆息する。友人たちの反応に、レクシオは少し顔をしかめた。


 親しみを感じるやり取りに、ステラは笑みをこぼす。木剣が壊れていないか確認してそれを下ろすと、今騒いでいない他の少年少女に目をやった。


「で、みんなはなんの話をしてたの?」

「ああ、ミオン君から、魔導の一族の魔導術について色々と聞いていたんだ」


 底抜けに明るい声で答えたのは、ジャック・レフェーブルだった。ステラたちが所属する同好会グループの長を務める彼は、幼子みたいにきらきらした瞳を、かたわらの少女に向ける。陽光のごとき視線を浴びた彼女は、しおらしく頭を下げた。


「魔導の一族の……魔導術?」

「はい。わたしたちは、家ごとに固有の魔導術を受け継いでいるんです。これは『継承術』と呼ばれています。あの……」


 つい先日、同好会グループに正式入団したミオン・ゼーレは、そこまで語った後、気まずげに言葉を切る。おさげ髪を少しいじってから、再び口を開いた。


「先日わたしが暴走させた魔導術について、訊かれたので。ついでに、そのあたりのお話をしていたんです」


 ステラは、ああ、と目を瞬く。


 学院祭フェスティバルの準備中に、取り乱したミオンが暴走させた魔導術。その場にいるほとんどの人を昏倒させたあれが、『継承術』とやららしい。当時の光景を思い出して、ステラは眉間にしわを寄せた。


「とりあえず、とんでもない術だってことはわかった」

「あのときは、暴走したからああいう結果になってしまいましたけど……。ゼーレ家の継承術は、厳密に言うと『魂に干渉する術』なんです」

「た、たましい?」

「わかりやすく言うと、自分や他人の生命力をいじくる術、ですかね。元気がない人に精力を少し与えたり、逆に奪い取ったりできます。傷病を治すよりも、一歩深いところ、といいましょうか」


 うわあ、とうめいて、ステラは眉間をもみほぐす。やはり、とんでもない魔導術だった。騒動のときのことを思うと、敵に回したくない。


 ステラの反応から、ある程度心情を察したのか。ミオンが苦笑する。


「あとは、死者の魂を昇天させるときにも使えます。……もっともこれは、相当術を使いこなさなければできないことです」


 わたしにはまだ無理ですね、と少女は肩をすくめる。それにどう返してよいかわからなかったステラは、思わず外野に助けを求めた。意図したわけではないが、ジャックの隣で黙していた大柄な少年と目が合う。『武術科』体術専攻所属の彼、オスカーは、「ミオンにそれができたら、カーターの立つ瀬がなくなるな」と呟いた。それに対して、ミオンは乾いた笑いを投げ返す。


 そう言えば、学院祭フェスティバル以降、オスカーとミオンの会話が少し増えたように、ステラには思えた。というより、寡黙な少年の口数が増えたのだろうか。諸々の騒動に気を取られて今まで見えていなかった小さな変化に、ステラは驚きとぬくもりを同時に覚えた。


 それはそれとして、継承術の話は続く。その威力に言葉も出ない面々をよそに、残る女子二人が口を開いた。オスカーのまわりをちょろちょろ走り回っている赤毛の少女と、今しがたその首根っこを捕まえた栗色の長髪の少女だ。


「家ごとに継承術を継いでいるということは、他にもその『とんでもない』効果を発揮する魔導術があるということですわよね? 他家の術については、どの程度ご存知なのですか?」


 後者――シンシア・ネリウスが、赤毛の少女ブライス・コナーを捕獲したまま、ミオンを見やる。歌うような問いかけに、ミオンは申し訳なさそうに答えた。


「他の継承術のことは、全くと言っていいほど知らないんです。詳細を漏らさないようにしているところがほとんどなので。ただ、帝国にも知れ渡っているような、有名な術のことならわかります。例えば、エルデ家の継承術ですね」

「そういえば、前にもそんな話してたねー。どんなのだっけ?」

「――ステラとブライス嬢には、見せたことあるぜ」


 ステラの横合いから、ひょいっと幼馴染が顔をのぞかせたのは、そんな話をしていた折だった。ブライスが目をまんまるにする一方、ステラはぎょっとして振り返る。彼女らだけでなく、全員の視線を浴びた少年は、何も知らないかのように首をかしげた。


「マグナール・オリガの話だろ」

「そ、そうですけど……人前で使ったことがあるんですか?」

「ステラの前では何回か。ブライスの前では一回だけ。帝国では『読み取りの魔導術』って呼ばれてる、あれだ」


 ひっくり返った声を上げる少女に、同胞の少年はあっけらかんと説明している。

 彼が口にした呼び名を聞いて、ステラもようやくぴんと来た。レクシオが、何度か自分の前で使った、特異な魔導術――触れた物体の記憶を読み取る術のことだろう。


「あーっ! 幽霊森で『裏を取った』術かー! 今思い出したよ」


 ブライスの方も、思い当たったらしい。手を叩いて、なぜか嬉しそうに飛び跳ねていた。その瞬間、シンシアが彼女の赤毛をねめつける。


「ブライス、どういうことですの? あのときに魔導術が使われたなんて話、一言も聞いておりませんわよ」

「…………あ」


 一転、ブライスが硬直する。小さな両手が、口もとを覆った。ステラもその意味に気づいて頭を抱える。

 いわゆる『幽霊森』に出た幽霊の正体を知ったとき、レクシオが術を使ったことは、みんなには秘密にしていたのだった。


 ステラは恐る恐る顔を上げ、レクシオの様子をうかがう。三人目の共犯者、というより主犯は、形容しがたい笑顔でゆるくかぶりを振った。


「うん。ま、しょうがねえわ。あのとき内緒にしてっつったのは、俺だし」


 彼はそのまま残る面子を見渡す。そして、数か月間偽っていたことについて、割合あっさりと白状したのだった。



     ※



 そんな話で盛り上がった日の放課後。ステラは一人で孤児院へ向かって駆けていた。


 相変わらず、帝都の大通りは人と馬でごった返している。暗がりに沈みかけた道に白や橙の光が灯りはじめてなお、にぎわいの音が途切れる様子はなかった。家路を急ぐようなそぶりを見せる人は、ごくわずか。道端で会話に花を咲かせるご婦人方のそばを、少年と青年が通り過ぎる。兄弟だろうか、牛乳の缶を手に提げた青年の隣で、少年は大きな籠を全身で抱えていた。


 そんな様子をほほ笑ましく見ていたステラの鼻を苦い臭いがつつく。遠くに響く汽笛の音に釣られて、彼女は空を仰いだ。すでに太陽は人の視界を離脱し、天空は深い青に染まっている。白の月アルプシェールともなると、夜の訪れも早いのだった。


 ぴゅう、と風が吹いてくる。それはさながら、氷をまとった刃のようだ。ステラは思わず身を縮め、両手をこすり合わせた。


「さっさと帰るか。チビたちも待ってるだろうし」


 ひとりごちて、歩調を速める。喧騒に背を向ける少女を見ている者はいない。


 しばらくして、帝都の端の孤児院にたどり着く。重い扉を開けると、温かな光と声がこぼれ出た。


「あっ、ねーちゃん。おかえりー」

「おかえり!」


「姉」の帰宅に気づいた子どもたちが、一斉に飛び出してくる。一人ひとりに挨拶を返したステラは、広い室内を見渡した。


「ミントおばさんは?」

「おかいもの!」

「そっか。じゃ、今のうちに色々済ませとこ」


 大きな瞳を輝かせる少年を見下ろして、ステラは肩からかけていた鞄を下ろす。

 孤児院の院長であるミントおばさんは何かと多忙だ。ステラが帰宅する頃には院にいないことが多い。実際、最年長のステラが戻ってくる時分を見計らって外に出ているのだろう。


 ともかく、一度荷物を部屋に置いてから、院内の諸々――掃除や洗濯物の確認など――に取りかかりたかった。ステラは、身軽に道を開けてくれる子どもたちの間をすり抜ける。おずおずと声をかけられたのは、そんなときだった。


「あ、ねえねえ、ステラねーちゃん」

「ん? どうしたの、ジョージ」


 一人の少年を見下ろしたステラは、彼が見慣れない封筒を持っていることに気づき、目を瞬かせる。


 ジョージ少年は、その封筒をステラに向かって差し出してきた。


「これ、届いてたよ。ねーちゃんあて」

「あたし?」


 ステラは己の顔を指さして、思わず頭を傾ける。少年はまっすぐな目つきでうなずいた。言い間違い、聞き間違いではなさそうだ。


 自分に手紙を出してくる人に、心当たりはない。一体何事だろう。怪訝に思いつつ、ステラは封筒を受け取る。


 そして、封蝋の紋章を見た瞬間、凍りついた。


「こ、れ」


 北極星の輝きと、一対の剣。


「その紋章、イルフォード家のだよな? ステラねえの家だよな?」


 ジョージの横から、ファレス少年が顔を出す。弾んだ声が、妙に遠く聞こえた。

 ステラは、答えられなかった。


 心音が速くなる。呼吸が浅くなる。手が震え出す。嫌な汗が、全身にじわりとにじんだ。


 恐る恐る、封筒を裏返す。差出人の名を確かめると、両手で顔を覆った。


「どう、しよう」


 うめき声が漏れる。つかの間、子どもたちが周囲にいることすら忘れていた。


「どうしよう……!」


 うめき声は、叫びに変わり、冬の夜を切り裂いた。

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