第35話 目撃者たち 2
この三人でまた行動することになるとは思わなかった。ほのかな感慨に浸りながら、トニーは二人の少年の背中を見つめる。
ジャックとオスカーの間に漂う空気は、お世辞にもよいとは言えない。けれど険悪というほどでもないのは、ジャックの振る舞いがふだんとほとんど変わらないからだろう。オスカーの方はずっと無言を貫いているが、今やるべきことはやっている、という具合だった。
「ふうむ、妙だね。あれだけの現象が起きていながら、なにも引っかからないとは」
周囲の魔力を探っていたジャックが顔をしかめる。トニーも無言で同調した。
言葉を話せるほど強い力を持った霊がいる場所では、実際に姿が見えなくても何かしらを感じるものだ。幽霊にまつわる建物や目印が簡単に見つかることも多い。だが、この森では簡単に見つかるどころかまったく出てこないのだ。不気味なほどに。
「『研究部』のみんなは、最初に慰霊碑を見たんだよね。そこには本当になにもなかったのかい?」
いつもの明るい笑顔で、ジャックがオスカーを振り返る。大柄な少年は、黙ったまま作業の手を止めた。トニーは思わず息を詰める。
――関係が壊れたあの日、当事者の間で何が起きたか、詳しくは知らない。トニーはその場にいなかったし、のちのジャックも多くを語ろうとはしなかったためだ。ただ、衝突が起きる前から、オスカーがジャックを避けるそぶりを見せていたことには気づいていた。本人に直接訊いたわけではないので、彼の思い込みかもしれないが、おそらく大きく外れてはいないだろう。彼を避けてしまう人の気持ちも、わからなくはないのだ。
だからこそ、一度離れたオスカーはきっと、二人に近づいてこようとはしないだろうと思っていた。学院生活の中でその機会ができても、距離を取ろうとするだろうと。
そんなトニーの予想に反して、オスカーはこのとき、口を開いた。
「慰霊碑の周辺にそれらしい気配はなかった。カーターにも確認したから間違いない。慰霊碑じたいは帝国側が建てたものみたいだったな」
「そっか。参ったな、本当に手がかりなしだ」
ジャックは考え込むそぶりを見せたが、その表情は明るい。命にかかわる状況だというのに、探検を楽しむ男の子のようだ。そんな彼の姿を見ると、トニーはほっとする。今もかつても、幾度となく心を救われた。オスカーは、どうだったのだろう。
感傷を押し隠し、トニーは親友を見上げる。
「ほかのみんなはどうしてるかね」
「どうだろう。今のところ危険なことは起きていないだろうけれど」
「逆に、なんか手がかり見つけてたりしないかな」
切れ長の目が瞬いた。怪訝そうな顔はすぐに、朝日のように輝く。
「可能性はあるね。一度、みんなの状況を確かめてみた方がいいかな」
指を鳴らしたジャックは、「どう思う?」と二人の少年の方を見た。トニーは帽子のつばをつまんで笑った。オスカーはすぐには答えなかったが、軽く頭を傾けた。
「どうやってほかの連中と会うんだ。居場所がわからないだろう」
「そうだね。ナタリーくんたち三人なら魔力を探れるから、彼らを探すというのはどうだろう」
「……なるほどな」
呟くと、オスカーは「なら、そうするか」と小さく続けて立ち上がった。ジャックとトニーは顔を見合わせて苦笑すると、彼に続く。
魔力を探り、辿るのは魔導科生二人の得意分野だ。トニーが先頭に立ってあたりを探ることにした。いつものように団長を先頭にしなかったのには理由がある。
どこまでも静かな森を歩く。トニーはできるだけ広範囲に意識を集中させ――すぐにナタリーの魔力をつかんだ。長年一緒にいるので、ジャックの足音並みによく覚えている。
そのなじみ深い力をゆっくりと追いかける。目に見えないものに集中しているため、自然と足は遅くなった。ただ前を向いて、誰にも話しかけず、進んでいく。
ナタリーの魔力はほかの二人のそれとともに、固まって動いている。シンシアやカーターとは彼女なりにうまくやれているということだろうか。
思考の端に割り込んでくるのは、長いこと、草木のざわめきと足音だけだった。動物の気配がないのは気味が悪いけれど、こういうときにはとても助かる。
静かな時間。それを終わらせたのは、少年の低い声だ。
「おまえたちは、本当に変わらないんだな」
オスカーの声。ともすれば聞き逃してしまいそうなそれを、しかしトニーの研ぎ澄まされた聴覚はしっかりと拾った。
答えたのは、ジャックの笑い声。
「そう言う君も、変わっていないよ。まっすぐなところと、人を放っておけないところは」
心がざわめいた。トニーは想像の中で己の頬を叩く。
集中、今は集中だ。そのために自分が前へ出たのだから。
「当てつけのつもりか」
「いいや、そんなことは全然考えていなかった。ねえオスカー、僕はあのときのことは気にしていないんだよ。その後のことも」
オスカーが黙りこむ。その沈黙から、怒りのような苦渋のような、なんともいえないよどんだ感情をくみ取った。トニーは、口を挟みそうになるのをこらえる。魔力を探り続けることでざわつく心をごまかした。
ジャックの言葉が、明るいまま続く。
「停学中の君のところに通っていたのも、君を侮辱したくてやっていたわけじゃない。ただ純粋にそうしたかっただけなんだ。けれど、それがかえって君を傷つけていたのなら――」
「そういうところだ」
オスカーの声が少し高まって、その言葉をさえぎった。ジャックが気おされたように沈黙する。その気配を、トニーは久方ぶりに感じた。
「おまえのそういうところに、付き合っていられなくなったんだ」
二人がどんな顔をしているのか、彼からはうかがえない。だが、オスカーの一言は苦みと激情を凝縮したようであった。
その一声が、再びその場に沈黙をもたらす。
トニーはため息をつきたくなった。代わりにナタリーたちの魔力を一生懸命つかんで逃すまいとする。少しずつだが近づいてきた。この調子ならすぐに合流できるかもしれない。そう思った矢先、トニーは別のものを拾い上げて、目をみはる。思わず素っ頓狂な声を上げた彼に、二人分の視線が集まった。
「どうしたんだい、トニー」
「いや……なんか一瞬すごい魔力を拾った気がして……。なんだろ、どっかで感じたことがあるような」
静かで強大な魔力。知らない力だったが、初めて接した感じもしない。かといって、いつどこで遭遇したのかもわからない。
思考と記憶がめちゃくちゃに絡まりあう。形容しがたい息苦しさにトニーは頭を押さえたが、すぐに考え込むどころではなくなった。
「何者だ」
押し殺された、オスカーの声。
それに二人が振り返ると、彼は右側に広がる茂みと木立をにらみつけていた。
「さっきから俺たちを見ていたな。何が目的だ」
なにも動きのない木々のむこう側に、オスカーは問いかける。すると、木と木の間で影がゆらりと動いた。ジャックとトニーは息をのむ。影はすぐに見えなくなったが、オスカーを警戒させたであろう嫌な空気はまだその場にとどまっていた。
猫目の少年は、指を広げる。その先に魔力を集め、構成式を組み立てようと試みた。だが、直後に全身を駆け巡った悪寒が、試みを阻んだ。
「なにか出た」
ジャックが、二人とは別の方角の空をにらみつける。あろうことか、彼の手足と声が震えていた。
「少しだけど、音も聞こえる。……笑い声、のような」
トニーは魔力を解散させて振り返る。確かに、かすかだが子どもの笑い声のようなものが聞こえる。それは、記憶に新しい音だった。
一瞬視線を交わした後、彼らは一斉に走り出す。大きな影のことは、いったん頭の隅に追いやった。
「別の連中のところに来たか」
走りながら聞いたオスカーの言葉。何気ない独白であっただろうそれは、トニーの胸にひっかかって、なかなか取れなかった。
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