第34話 目撃者たち 1
「だぁから! この三人でわざわざ危険を冒すべきじゃないって言ってるのよ、私は! そんなこともわからないの!?」
「あなたこそわかっていませんわね! ひとつでも多くの手がかりを集めることが結果的に危険の回避につながるというものです。目の前にあるものにしか意識を向けられないのですか? 今までさぞ平和に気楽に過ごしていらっしゃったのでしょうね」
高い声による口論は、少年のすぐそばで繰り広げられていた。カーター・ソフィーリヤは思わず耳をふさぎかけて、思いとどまる。それが彼の生命と精神を救ったのか、かえって追い詰めてしまったのかは、彼本人にもわからなかった。
シンシアとナタリー。この二人と組むことになった時点で、嫌な予感はしていたのだ。それは何も彼だけではなかっただろう。くじ引きの結果を見た瞬間、あのブライスから
ナタリーという子のことはほとんど知らない。ただ、シンシアと学院で喧嘩した相手だ、というのは報告を受けていた。
いくらか話をしてみたところ、悪い人ではないのだとわかった。よく気遣ってくれるし、カーターの魔導術にも興味を持ち、偏見なしで色々と訊いてくれる。『
二人は事あるごとに意見を衝突させている。今も、シンシアが見つけた「なにかの影」を追って道を外れるかどうか、という一件で議論しているのだった。
高い声が舞い飛ぶ中で、カーターは必死に頭を回転させる。そして意を決すると、二人の方をきっと見た。
「あのっ」
「何よ!」
「なんですか!」
なけなしの勇気は甲高い二人分の声に粉砕される。カーターは悲鳴を上げて縮こまったが、震えながらも発言を続けた。
「どちらの意見も正しいと思います……。だから、とりあえず行ってみませんか? それで、ちょっとでも危険を感じたらすぐに戻る、ってことで」
言葉は尻すぼみに消えていく。カーターは心も一緒にしゅるしゅると縮んでいくのを感じていた。情けなさに涙がにじむ。
ナタリーとシンシアはとがった表情で顔を見合わせていた。ひりひりとした間の後、しぶしぶといったふうにうなずく。無言で身をひるがえしたナタリーとは逆に、シンシアが大きくため息をついた。
「カーターがそうおっしゃるのなら仕方ありませんわね」
少年はほっと肩の力を抜く。周囲の空気がゆるんで、ようやくまともに立つことができた。そうかと思えば、少女二人は足早に木立の方へと入っていく。カーターは芯のない声を上げてその後を追いかけた。
シンシアの見つけた影というのは、一瞬で見えなくなってしまったらしい。情報もほとんどなく、なかなか見つけられなかった。そのうちになんとなく三人の緊張もほどけてきて、あまりぴりぴりしなくなった。
周囲に気を配りながらも、カーターは鞄から紙束を取り出して、ひとつひとつ検分していた。横から、ナタリーがひょいとのぞきこんでくる。
「さっきから気になってたんだけど、その紙、なあに? 描いてあるの、多分構成式だよね?」
「ああ、えっと、そうですよ。表面に構成式を描いておいて、いつでも発動できるようにするんです。護符、あるいは術の符と呼ばれます」
心臓が飛び跳ねる音を聞きながらも、カーターはなんともないふうをよそおって答える。符を一枚めくって確かめてから、それらすべてを鞄にしまった。
「ぼくたちが使う魔導術は古くからあるものなので、構成式が複雑だったり、使う前に儀式が必要だったりするんです。だから、今回のような状況が想定されるときは、なるべく簡単な術の式をなにかに書いたり刻んだりして持ち歩けるようにするんですよ」
緊張をごまかすために話した内容に、けれどナタリーは思いのほか強く惹かれたらしい。腕を組んでしきりにうなずいていた。
「なるほど。何事も工夫次第ってわけね。それにしても、聖職系の術って、未だに効率化されないもんなんだ」
「色々決まり事があるので」
この世のものではない存在に干渉することの多い術には、様々な制約がある。あまりむやみに『彼ら』と関わると、魔導士本人の体が乗っ取られたり、世界そのものの均衡が崩れたりするためだ。その制約が構成式に組み込まれているから、他の術のように効率化できない、というわけだった。
そういう、『研究部』の人々があまり興味を持たない分野の話もナタリーは食い入るようにして聞く。カーターの仲間たちがそういう態度なのは彼を軽く見ているからではなく、単純に自分の専門分野と離れすぎているためだ。だからこそ、カーターはナタリーのそういう姿勢が不思議だった。単なる知的好奇心とも少し違う気がする。なにか理由があるのだろうか。
思考はぐんぐんと延びて、深くなっていく。まるで、この森のけもの道のように。
それが突如として断ち切られたのは、前の方から高い悲鳴が聞こえたからだった。
やわらかく波打つ長髪を乱しながら、シンシアが下がってくる。カーターはとっさに閉じたばかりの鞄に手をかけた。ナタリーも半歩前に出る。
「シンシアさん、どうされました?」
「き、木の間から黒いものが、飛び出してきましたわ」
シンシアはおっかなびっくり、木々のはざまを指さした。森が薄暗いせいで、木の影がうねり、絡まりあっているように見えた。息をのんでいるカーターの横から、黒髪を振り乱して少女が飛び出す。
「なんで逃げてんの! こういうときは追いかけなきゃだめでしょ!」
ナタリーは叫ぶなり、草木をかき分けた。カーターは制止の声を上げかけて思いとどまり、みずからも走り出す。シンシアも、一瞬顔をゆがめてからそれに続いた。
当然、彼女が幽霊を前にしたときの自分を棚に上げていることを『研究部』の少年少女は知らない。
細い枝を数本払いのけ、太い枝を潜り抜けたとき、別の木が激しく揺れた。鳥が飛び立ったらしい。カーターが顔を上げると、上空で黒い鳥の影が旋回していた。シンシアが「あっ」と叫ぶ。
「あの鳥ですわ、間違いありません!」
「えっと……カラスですかね? なんでこんなところにカラス?」
枝の下から顔を出したカーターは、鳥の影を見上げて首をひねる。今まで小動物の一匹も見かけなかったというのに、なぜいきなりカラスが出てきたのだろう。彼が違和感に顔をしかめている横で、いま一人の少女が空をにらみつけた。
「あのカラス、もしかしてステラが言ってた……?」
「ナタリーさん。心当たりがおありなんですか」
「ちょっとね。この幽霊騒ぎに関係があるかもしれない」
カーターは口元に力をこめる。そう言われれば、無視するわけにはいかないだろう。視線を感じて振り返ると、シンシアがじっとこちらを見ていた。彼女の視線を受け止めた後、彼は一歩を踏み出す。
その瞬間、空気が激しく動いた。揺さぶられた、というよりは、上から下へと落ちてきた、という感じだった。脳天からつま先にかけて、嫌な感覚が一気にはしる。ぞわぞわと、なにかが這いまわるようなそれは、少し前に感じたものとよく似ていた。
勝手に震え出した体を抱え、カーターは空をあおぐ。
「これは……さっきの幽霊?」
視線の先に、もうカラスはいない。
学生たちは互いの青ざめた顔を見合わせると、勢いよく踵を返した。
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