第17話 銀の翼

 ステラたちと青年の争いは、こう着状態になっていた。いや、いくさに慣れている者がよく見れば、ステラたちの方がやや押されていることがわかっただろう。


 端的に言えば、彼らは焦っていたのだ。敵がほかにもいる、しかも仲間が危険にさらされているかもしれない。そういう可能性に思い至れば、焼け付くような苛立ちとほのかな絶望を覚えずにはいられなかった。彼らは武術や魔導術を心得ているとはいえ、兵士ではなく一介の学生なのだから。


 他方、青年の方が焦っていないかというと、そういうわけでもなさそうだった。敵の内部事情を知らないステラたちにはその理由を推測することはできなかったが、彼らとは違う種類の焦燥を抱えているのだろう――ということを、ステラは彼の鎌の動きから察していた。


 大鎌による攻撃をかわし、時にいなしつつ、ステラは青年の背後をうかがう。本音を言えば、どこかで隙をついてレクシオたちに加勢したかったのだ。むろん、青年の強さを考えるとそれは至難のわざである。仮に加勢に行けたとしても、彼はすぐに追ってくるだろう。そうなれば最悪、こちらが敵に挟み撃ちされることになる。今のところはレクシオとナタリーが上手く立ち回ることを祈りつつ、青年をここに留めておくしかなさそうだった。


 鎌と剣がぶつかり合う。何度目かわからぬ、音と衝撃。散った火花が、つかの間互いの顔を照らし出す。常に笑んでいる印象のあった青年の口もとが、わずかにゆがんでいるのをステラは見て取った。


 金属同士が激しくかみ合い、弾きあう。飛びのいた二人は、互いを鋭くにらみあう。一瞬の沈黙の後、青年の目が逸らされたことに気づき、ステラは眉を跳ね上げた。


 嫌な予感が、寒気となって背中を駆け巡る。

 その予感はすぐに的中した。


 ローブの影がぶれて、消える。ステラはすぐに気配を追ったが、それをつかんだときにはもう遅い。青年の姿は、彼女の背後にあった。


「げ、こっち来るぞ!」


 闇の中からうめき声。トニーのものだ。ステラは駆け出した。間に合わないかもしれないが、それでも。


 なびくローブのむこうで、ジャックが目を細めたのが見える。


「トニー!」

「お、おう」


 二人の声が重なった。その先で、緑の光があふれる。それが一気に集束した後、しゅぽん、と空気が弾ける音がした。


 緑の光が弾丸のようになって、青年に直撃したらしい。その姿が一瞬、弓なりになったのが見えた。まき散らされた残光が消えるより早く、ステラは足に力を込める。


 跳躍。そして、剣を高く構える。それを振り下ろす間際、薄黒い躊躇が生まれた。


 人を斬るのか。自問が、頭の中をかすめる。


 けれどもステラは、生まれた逡巡を打ち消した。あるいは、目を逸らした。


 相手は人間離れした力を持っている。殺す気でかからなければ、やられるのはこちらだ。


 勢いをつけて、振り下ろす。刃が月光を反射して、青白く光った。


 青年が振り返って目をみはる。その姿がすぐにぶれた。


 刃は、ローブの端を捉えた。かすれた音とともに布が裂ける。


 外した。ステラは眉をひそめたが、苦々しい思いとは裏腹に、体が勝手に動く。剣を引いて、下ろす。体勢を立て直す。


 彼女が再び動こうとしたそのとき――光が戦場に差しこんだ。


 太陽とまごうほどの光。しかし、その色は白銀だ。


 ステラは思わず左手で目をかばう。ここが戦場であることも、そのときは失念していた。幸運だったのは、敵である青年も唖然としていて動かなかったことであろう。


 光がどんどん強くなる。視界が、白く染まってゆく。


「これは、ラフィアの――!」


 青年の声がする。それまでに聞いたことのない、心底動揺したような声。それにかぶせるようにして、ステラは友の呼び声を聞く。


「ステラ! 上だ!」


 しかし、縦笛のような高音が、そのすべてを打ち消た。


 世界の音が、景色が、色が――吸い込まれて、奪われる。


 その果てで、少女は目を開いた。



     ※



『本当によいのか』


 知らない声が意識を揺さぶる。純白の世界で、ステラはあたりを見回す。


 何もない。しかし、そう思ったのは一瞬のことだった。


 目の前に世界が広がる。まっ白な紙に絵の具が落とされるかのように、じんわりと。


 そこはステラの知らない場所だった。石の床と、壁。規則的に並ぶ柱の間に、アーチ状の窓が並ぶ。どこかの神殿だろうか。その中心に、一組の男女が立っている。逆光になっているせいで、いでたちはまったく見えない。が、おそらくは細身で背の高い男性と、鍛え抜かれた体を持つ小柄な女性。その二人が、話をしている。


『本当に、私でよいのか』

『むろんでございます。あなただから、良いのです。あなたにこそ、お仕えしたいのでございます』


 女性の声は明るく、それでいて抜き身の剣のような鋭さを持っている。対して、考え込むように頭を傾けた男性の声は、ひだまりのように温かかった。


『……私は、未熟者だ。これまでにも、おまえにはたくさん迷惑をかけた。危険な目にも遭わせてしまった。それでも、私を選んでくれると言うのだな』

『――どうか、お気になさりませぬよう。すべては私が己の意志で選び取ったことでございますから』


 女性の影が、ひざまずく。


『女神から授かったこの力を――そして、それ以外の私が持てるすべてをあなたに捧げましょう』


 短い沈黙の後、男性の影が身じろぎした。


『おまえがそこまで言ってくれるのだから、私もこたえなくてはな。よき王であり続けられるように――』


 音がそこで途切れる。銀色の光があたりに満ちた。


 ステラは反射的に目を閉じる。しかし、光はそれすらも突き破って、彼女の目に映像を送り込んできた。


 銀色の世界には、もう神殿は存在しない。代わりに映っていたのは、真っ白な女性の人影。その背中から生えている翼を見て、ステラは息をのんだ。


「あなたは」


 声がこぼれる。音は拡散してほとんど形にならなかった。


 影は――否、光は何も返さない。ただ、銀の光だけが静かに満ちていく。



     ※



 天地を貫くほどの轟音が、ステラの意識を引き戻す。


 地面が揺れる、その衝撃に耐えきれず、思いっきり尻餅をついた。そのまま頭を抱え込み、ステラはやっと周囲の状況をうかがった。


 ジャックとトニーも、同じように頭を抱えて身をかがめている。青年の様子は――ステラのところからだと見えなかった。少し離れた草の上に、彼女の剣が転がっているのを見つけて、ほっと顔をほころばせる。


 そうこうしているうちに揺れは収まっていった。ステラは慎重に立ち上がると、剣を拾った。ぐるりとあたりを見回す。これだけ揺れたもかかわらず、どこも崩れたり陥没したりしていない。空には変わらず満月が浮かんでいる。自分たちだけが切り離されたように感じて、ステラには不気味だった。


 吐息まじりの声がする。ジャックとトニーが、よろよろと立ち上がったところだった。トニーが、落ちた帽子を拾い上げて、土埃をはたいている。


「な、なんだぁ……?」

「光が、降ってきたように見えたけれど」


 はたいた帽子をかぶり直すトニーの横で、ジャックが目を細めて空を見上げた。彼は怪訝そうな顔をそのままステラに向ける。彼女が呼びかける前に、ジャックの方が目をいっぱいに見開いた。


「ステラ……?」


 名を呼ぶ声が、わずかに震える。ステラは首をかしげた。


「どうしたの? なんかついてる?」

「いや、ついているというか……光っているというか。大丈夫かい?」


 冗談めかした問いかけに、思いがけず真剣な声が返ってくる。ステラは、胸の中に不安の雲がわき上がるのを感じた。


「光って、なんのこと――」


 困惑したまま、何も考えずに、ステラは自分の体を見下ろす。その体が薄く光っているのに気づいて、ぎょっとした。


「えっ、何これ」

「それは俺たちが聞きたい」


 トニーが帽子の下から湿った視線を向けてくる。ステラは言葉に詰まった。というより、答えようがなかった。ステラにも何がなんだかわからないのだから。


 気まずい、という言葉では表しきれない重苦しい空気が漂う。そこに一石を投じたのは、意外にも――この場にいる最後の一人だった。


「おまえが、そうだったのか」


 地底から這い出たかのような、低い声。驚いて振り返った三人の学生が見たのは、幽鬼のように立ち上がる青年の姿であった。布の下からのぞいた三白眼は、それまでとは性質の違う激しい炎を宿している。


「『そう』って、なんのこと?」


 ステラは、剣をいつでも向けられるように構えながらも、慎重に問う。青年は、すぐには答えをくれなかった。うわごとのように「おまえが、おまえが」と繰り返す。その言葉は、四、五回ほど続いたのち、ふっつりと途切れた。


 人の沈黙。空白の間を縫って、ガアッガアッと鳥の声が響く。

 それにかぶせるようにして、一言が落ちた。


「『銀の翼』」


 耳になじまぬその一語は、しかし確かにステラの胸を突いた。返答に窮する彼女に、三人分の視線が突き刺さる。さりとて彼女自身も口を開閉させることしかできずにいた。


 青年は、少年少女の態度をあざけったり、それに対して怒ったりしなかった。静かに顔を伏せて立っている。何かをこらえているようにも見えた。それが不気味だった。


 誰も何も言わない中で、しかし、ステラはひとり目をみはる。今までに感じたことのない、不思議なぬくもりが近づいてくるのを拾い上げた。


 それがなんであるのか、ステラは知らない。しかし、それが誰のものであるかはよく知っていた。


「レク、ナタリー」


 彼女の唇が音なき言葉を紡いだのと、ほぼ同時。叫び声が夜空いっぱいに広がった。


「みんな、伏せろ!」

「ギーメル! そいつを殺せ!」


 少年のものと少女のものが、重なって響く。ステラたち三人が従ったのは、もちろん前者だ。剣を収めて体をかがめる。その後、ジャックが素早く手を動かした。魔導術を展開したらしい。


 影が上から落ちかかる。時を同じくして、金色の防壁魔導術が三人を覆った。暖色の雷光が殺到する。防壁はからくもそれを弾いて、壊れた。ジャックが顔をゆがめた。


「団長、平気?」

「僕は問題ないよ。それよりステラ、君は自分のことを心配した方がよさそうだ」


 ジャックには珍しい辛辣な物言いである。けれども、ステラは何も返せなかった。ふたつの大きな殺気が、ほかならぬ自分に向けられていることを察していたから。


 笑おうとして失敗する。頬を引きつらせたまま、青年――ギーメルの方に視線を投げた。知らない人が隣にいる。朱色の髪を左右で結んで、黄色いドレスをまとった少女。おそらくは、ギーメルの言っていた「仲間」だろう。


 その少女はステラをにらみつけた。幼子には縁遠いはずの、鮮烈な殺意を宿した瞳で。


「あいつが『銀』だよ。ギーメルだって気づいてるでしょ」

「……当たり前だろ。てめえなんかに言われなくてもわかってるし、殺すさ」


 新たな足音が複数響く。青年は、それを知らないかのように、ステラの方だけをまっすぐに見てきた。


「芽は、さっさと摘むに限る」


 陰湿な笑いを含んだささやき。それは確かに、ステラの耳に届いた。

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