第四章 新時代の『翼』

第16話 選定の瞬間

 祈りが響く。それを紡ぐのは、神父の優しい声。


 おそらくは、神を讃え、神に願う言葉なのだろう。知らない言語ばかりなので何を言っているかはわからない。けれど、聞いていると背筋が自然に伸びる感じがした。


 レクシオは、延々と続く声を背中で受け止めて、細く息を吐きだした。後、エドワーズ神父はずっと祈り続けている。これが神父の言う「儀式」の一部なのだということは、聞かずともわかった。それならば、レクシオとナタリーがやることはひとつ――彼を、そしてこの儀式を守り通すことだ。


 二人の学生は、ただ沈黙していた。しかし、祈りの声が少し大きくなってきた頃、レクシオの耳が物騒な音を捉える。


 ぱきん、と何かが折れるような音。レクシオは知っている。それが、前触れだということを。


「ナタリー、来るぞ」


 学友に呼びかけると同時、彼は武器を抜いた。銀色の光が夜空にはしって、収束する。木立の中から影が飛び出してきたのは、それとほぼ同時であった。


 雷光が爆ぜて、天を駆ける。やはり術展開の兆候や構成式は見えない。レクシオは舌打ちし、地を蹴った。得物を振ると黒い柄の先から金属の糸が伸びる。糸を木に巻きつけたレクシオは、それを縮めながら、跳んだ。


「今だ!」


 呼びかけが終わるより早く、赤い光が灯る。生き物のように揺れた光が雷光をゆったりと覆って、打ち消していった。まるで雷を食べているようだ。


 金属の糸――鋼線を回収したレクシオは、草の中に着地する。危なげなく体勢を立て直した彼は、目を細めた。雷光の残滓がちらつく、その中心にたたずむ人影をにらむ。


「へえ、おにいちゃんもおねえちゃんも、意外とやるねえ」


 無邪気に笑っているのは、少女だった。いや、童女といってもよいくらい幼く見える。ふたつに結ばれた朱色の髪と黄色を基調としたドレスが、闇の中でも目をひいた。少女はナタリーとレクシオを見ると、にっこり笑う。


「でも、ごめんね? アタシ、神父様にご用があるんだ。だからここ、通してくれない?」


 その表情は、純粋な幼子の笑顔というにはきれいすぎる。作り物めいた笑みに寒気を覚えつつ、レクシオは口を開いた。いい人そうに取り繕ったのは彼も同じである。


「ごめんな。お兄ちゃんたち、一応神父様の護衛としてここにいるんで。いきなり雷をぶっぱなってくるような子は通してあげられないんだよな」

「んー、そうなの? 残念だなあ」


 少女は口もとに人差し指を当てて、小首をかしげる。指先になぞられた唇が孤を描いたのは、直後のことだ。


「それならしかたない。面倒だけど、おにいちゃんたちを殺すしかなさそうだね」


 空気が凍りつく。ナタリーの横顔が引きつったのを、レクシオは確かに見た。だが、彼女をなだめている余裕はない。


「なんか、一気に話が飛躍したな」


 レクシオ自身、虚勢を張っている自覚があった。しかし、護衛を引き受けた以上、ここで引き下がるわけにもいかない。少なくとも『銀の選定』とやらが終わるまでは、なんとかしなくては。


 少女は、レクシオの指摘に答えなかった。彼女が半歩前に出ると、その足もとから炎が立ち昇る。やはり術ではない。術ではないが、自然の炎でもなかった。


「ちょ……ちょっとちょっと、どうするのこれ!」

「どうにかするしかないっしょ」


 ナタリーの涙声に雑な答えを投げ返して、レクシオは再び鋼線を伸ばした。


「俺たちは、せいぜい神父様の儀式が早く終わるよう願うくらいしかできないんだからな」


 炎が蛇のようにうねって、迫る。応戦したのはナタリーだ。短めの構成式が立て続けに三つ、組まれる。そうして生まれた氷のつぶてが、風雨のように炎めがけて飛んだ。


 氷と炎の境界から、激しく湯気が立ち昇る。レクシオはそれを横目に駆け出した。少女がナタリーに気を取られている隙を突いて、動きを止めようという算段である。


 少女の左側に回り込む。揺れる朱色を捉えたレクシオは、そこへめがけて鋼線を投げかけた。しかし、金属の糸はくうを切る。顔をしかめつつも得物を手もとに呼び戻し、その場から飛びのいた。直後、レクシオのいた場所に小さな雷が落ちる。


 広がって消えていく雷光の中で、レクシオは少女の殺気立った瞳を見た。


 さまざまな色の光が瞬く。ナタリーが立て続けに魔導術を放ったらしい。だが、それらはあっという間に打ち消され、散っていった。


「は、反則くさ……!」


 レクシオが接近をあきらめて駆け戻ったとき、ナタリーのぼやく声が聞こえた。本当になあ、とレクシオは心の中だけで呟いて、苦笑する。その上で、彼は改めて少女の方を見据えた。


 大きな瞳を爛々らんらんと輝かせて、少女は虚空を指で弾く。そこから小さな光の玉が無数に生まれて、二人の上に降り注いだ。


「うぉあっ!」


 ナタリーが普段からは想像もつかないような太い声を上げて、防壁を展開する。その様子を横目に見つつ、レクシオは武器の柄を持っている方の親指を立てた。


 光が到達するその寸前、二人のまわりを金色の膜が包んだ。光弾はそれにぶつかって次々と弾け、あたりに光線をまき散らす。どこからか悲鳴が響いた。レクシオは声をこらえて、目だけを細め――鋼線をしゅっと伸ばす。


 防壁と、相手の術。二つの光が消えた瞬間に、レクシオの鋼線が少女に向かって伸びていく。初めて、少女がうろたえたような声を上げた。銀色が少女の左腕にからみつくと同時、レクシオは両手に力をこめる。


「ちょっと、何これ!」

「ナタリーさん、あとよろしく!」


 少女の抗議とレクシオの声が重なった。ナタリーが不敵な笑みとともに応じた相手は、もちろん後者である。


「任せて」


 明るく答えた少女は、軽快に魔導術を展開した。放射状に出現した透明な刃が、一斉に少女めがけて降り注ぐ。それは、着弾とともに派手な音を立てて爆発した。


 もうもうと土煙が立ち込める。大きく息を吐きだしたナタリーが、つたい落ちる汗をぬぐった。レクシオも鋼線を戻して、収める。


 ナタリーが眼前の光景に頬を引きつらせた。


「あ、さすがにやりすぎかな……」

「いや」


 レクシオは土煙の中心から目を離さない。聞こえた自分の声が、異様なほどかたく感じた。


「殺す気でいくくらいがちょうどいいと思うぜ。つーか、それでも足りないくらいかもな」

「ええ……うそでしょ?」


 ナタリーのその言葉は、レクシオの発言に対して向けられたものか、土煙のむこうの光景に対して投げかけられたものか、判然としない。ひょっとしたら、その両方かもしれなかった。


 少女は無傷だった。魔導術の集中砲火と、それに伴う爆発――ただの人なら、重傷では済まない状況のはずで。けれど少女は、爆発が起きる前と変わらずそこに立っているように見えた。だが、まとう雰囲気は一変している。


 ドレスを無言ではたいている彼女は、もはや愛らしい幼子には見えなかった。作り物の表情は剥がれ落ち、狂気とも呼べる感情が相貌を染め上げている。


「やってくれるじゃない」


 ぞっとするほど静かな一言。


 風もないのに、朱色の髪がなびいた。


「殺してやる……おまえら全員、今すぐ……!」


 祈りの声が高まる中、彼女のささやきはいやにはっきりと聞こえた。瞳の中に、烈火がはしる。


 そして、彼女のまわりで急激に力が膨張しだした。魔力ではない。何か得体の知れない力だ。


 大気が震える。バリバリと、異様な音が響く。


 全身が粟立つのを感じた。


「まずい、伏せろ!」


 レクシオはとっさに叫んで前に出る。無我夢中で。学友の前だということも忘れかけていて、名を呼ばれていることにすら気づかなかい。


 ふたつの力が渦巻く。熱される。


 限界まで膨れ上がったそれが、弾けかけたとき。


 あたり一面が、銀色の光に覆われた。


 わずかに遅れて、金属をひっかいたような音が鳴り響く。鼓膜を容赦なく刺激してくる高音に、ひととき誰もがひるんだ。レクシオも、思わず耳をふさいでうずくまる。


「なん、だ……これ」


 口をついて出た疑問も、高音にすべてかき消された。


 一瞬、世界から色と音が奪われる。


 そして、すぐにそれらは戻ってきた。


 何事もなかったかのような静寂が、草と木ばかりの大地に満ちる。それを破ったのは、立ち上がった人の足音だった。


 レクシオは、恐る恐る目を開ける。視界の中には桃色や緑色がちらついていて、まともに景色が見えなかった。かすかに耳鳴りもする。


 立っていることもままならぬ状況の中、かろうじて知った声を拾い上げた。


「――終わりました」


 久しく聴いていなかった気のする声。

 エドワーズ神父だ。


「おわ、った……?」

「はい。『銀の選定』が無事に終わったようです」


 レクシオは、やっとの思いで顔を上げる。疲れ切った顔のナタリーがすぐ隣にいた。彼女は重そうな頭を持ち上げて、後ろを向く。少年も、それに倣った。


 静かにほほ笑む神父と目が合う。これまでと何も変わらないはずなのに、急にまったくの別人になってしまったようだった。それはむろん、レクシオの錯覚なのだろう。そう感じさせるのはきっと、あたりに満ちる清浄すぎる空気なのだ。


「『銀の選定』? え、まさか、今の光と音……ですか」


 ナタリーが震える声で問いかける。エドワーズはいつものようにうなずいた。


「そうです。ラフィア様のもたらした銀色の光が、あちらの方に落ちていくのを確かに見ました」


 あちら、と言ってエドワーズが示したのは、三人が越えてきた木立。正確には、そのむこうだった。


「おそらく、あの方角に『銀の翼』となった方がいらっしゃるのでしょう」

「あの方角――って」


 それまで呆然と呟いていたナタリーが、目覚めたように息をのむ。レクシオも、驚愕から立ち直って木立のむこうをにらみつけた。


「団長たちのいる方、だな」


 数秒の間、誰も何も言わなかった。そしてまっさきに動いたのは、レクシオでもエドワーズでもない。朱色の髪を持つ少女だった。


「ギーメルの馬鹿! 何やってるのよ!」


 錯乱したような声で叫んだ少女は、あっという間に木立の先へ消えていく。レクシオとナタリーはあっけに取られて見送ってしまったが、すぐに我に返ると顔を見合わせた。


「もしかして……『調査団』の中の誰かが『翼』?」

「だとしたら洒落しゃれになんねえな」


 どちらにしても、あれを放っておくのはまずい気がする。とりあえず、後を追うことにした。エドワーズ神父がすかさず「私も行きます」と言い出したことには戸惑ったが、議論している場合でもない。三人一緒に来た道を戻ってゆく。


 誰が『翼』となったのか。走りながら、レクシオは何度もその思考を繰り返した。考えてもしかたのないことだとわかっているのに、考えることをやめられない。焦燥がちりちりと胸を焼き、彼を急き立てていた。焦る理由もわからぬまま、レクシオは考え、前に進む。


 否――本当は、すでに答えを得ていたのかもしれない。それを見たくなかったのだ。

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