天才ハッカーは書籍化作家の夢を見る

グランロウ

第1話

 小指の先で Enter キーを静かに叩く。


 自家製のスキャンプログラムが動き出し、見つめるモニタの中に二つのウィンドウが立ち上がる。


 左側のウィンドウではスキャンプログラムのログが次々と垂れ流されていく。

 軽く目で追ってみるが、特に問題なく動いているみたいだ。


 右側のウィンドウにはスキャンされた結果がリアルタイムでリストアップされていく。


 このスキャンプログラムはインターネットを通じてターゲットのサイトにアクセスし、そこで動いている各種サーバプログラムを見付け出すものだ。さらにその応答からバージョンなんかも調べ上げてくれる。

 古いバージョンには、いわゆるセキュリティホールなどが存在する場合がある。

 オレは今、それを探りだそうとしている。


 何故そんなことをしているのか?

 決まってる。

 セキュリティホールを突いて、このシステムに侵入するためだ。


 ――見付けた!


 オレの口端が思わず持ち上がってしまう。


 なんて簡単なちょろい仕事だろう。

 この仕事を引き受けた当初は、もしかしたら一晩かかってしまうかも、なんて考えていたんだが、この調子なら徹夜なんてする必要はなさそうだ。

 それどころか、もしかしたらもう一時間……いや、三十分もすれば全て完了コンプリートしちまうかもしれない。


 ちらっと壁にかけられている時計に視線を向ける。

 現在、夜中の零時三分。


 キーボードから離した右手を横に置いてあるマグカップへと伸ばした。その時――


「調子はどうかな、ゆうクン? ターゲットにアクセスできそう?」


 マグカップを掴もうとしていたオレの手がピタッと止まった。


 後ろからオレの両肩に手を載せて来る女性。

 薄暗いオフィスの中で、その顔がモニタの光で淡く浮かび上がる。

 茶髪のショートボブに白い肌、そして真っ赤なルージュが引かれた唇。

 少しあどけなさが残っている気もするが、これでも社会人二十四歳……だったハズ。

 その整った美貌に、オレの視線が思わず吸い寄せられる。


「……優クン? どしたの?」

「いや、なんでもない……です。それより、ターゲット上でいくつかのサーバプログラムが動いてるのは確認できました。右のウィンドウがそのプログラム名とバージョンのリストアップですよ」

「へぇー。どれどれ」


 彼女がオレの背中に寄り添うようにしてモニタを覗き込んでくる。


 ――っ!?


 オレの心音が一度大きく跳ね上がった気がした。


 だって、オレの背中に大きくて柔らかい二つのナニかが……

 しかも、なんかちょっといい匂いも……


「優クン? どうしたのかな?」


 再び同じようなセリフとともに、彼女がオレの顔を覗き込んでくる。

 その口調はどこか楽しげで、そしてその顔はちょっとにやけている。


 ああ、これって……


 さっきとは違うその表情ですぐに察した。


 絶対わざとだ。

 オレをからかうためにわざとやってるな?


 そっちがそういうことしてくるなら――


かえでさん」

「なーに、優クン?」


 にやにやした顔は変わらない。楽しげな口調も変わらない。

 それどころか更に体を密着させた上で、目を細めてくる。

 どうやらオレへのからかい度数をアップさせてきたみたいだ。


 ……反撃してやる。


「彼氏にフラレて欲求不満なんですか?」


 とたん、彼女はオレから体を離し、目を大きくして憤慨し始めた。


「ああ! ひどいっ! 仕事一筋の私に彼氏なんかできたためしが無いって知ってるくせにぃ!」


 ええ。

 もちろん知ってますとも。

 以前そんなこと言ってましたからね。

 だから、わざと言って差し上げたんですよ。


 とはさすがに口にしなかったが、代わりにオレの目が雄弁に語ってしまったかも?


 胸の前で腕を組んだ楓さんが、ジトッとした目でオレを見下ろしながら言葉を続けてきた。


「せっかくいつも手伝ってくれる感謝の印に、十七歳童貞の優クンへ美人お姉さんが少しだけサービスしてあげたっていうのに!」


 うぐっ!

 反撃をくらった!?


 なんで童貞って知ってんだよ!

 悪かったな童貞で。余計なお世話だよっ!


 それに頼んでないから、そんなサービス!

 しかも美人お姉さんって、自分で言うか?


 ……などと思わず口にしてしまいそうになったが、何とか呑み込んだ。


 止まってしまっていた手を動かし、まだ湯気の立つコーヒーを一口飲む。


 落ち着け落ち着け。

 今は仕事中。大事な仕事中。

 相手は大事なお客クライアントさま。

 しかもとびっきり金払いの良いお客クライアントさま。

 オレ様の大いなる目的野望のため、ここは冷静になれ。


 ……よし、大丈夫だ。

 オレ様のポーカーフェイスは完璧! ……のハズ!


「そういうサービスはまた今度でいいですから今は仕事の話をですね……」

「むふふふ。大人ぶってポーカーフェイスでさらっとかわしつつ、でも完全拒否はしないで『また今度お願いします!』と本音が隠しきれてないところが、可愛いよねぇ~」


 楓さんの指がつんつんっとオレの頬を軽くつつく。


 ――追撃も喰らったっ!?

 しかもツンツンのおまけ付きで!


 いやいや、お願いします、なんて一言も言ってねぇからっ!

 ぜったい言ってねぇからっ!


 ……いかんいかん。

 楓さんのペースに巻き込まれちゃいかん。

 取り乱すな、落ち着け、オレ。


 オレ様の大いなる目的野望のため、お金を稼がねばいけないのだから。

 このまま流されちゃいけない。

 こんな廃れた大人の仲間入りなんて、ぜったいしちゃいけない。


「……優クン。今、なんか私に失礼なこと考えてないかな?」


 楓さんのセリフに、思わずオレの目が泳ぐ。


「優、クゥーン?」


 なんか、声のトーンが一段下がったような気がする。

 うん。きっと気のせいだろう。


 だがこのままじゃマズい気がする。いろんな意味で。

 ここはぜひぜひ強力な援軍が欲しい。


「そ、そう言えば、桜さんはどうしたんですか?」

「あー! 誤魔化したなぁー!」


 やだなぁ。

 変なとこにはカンが鋭いんだから。


「いやいや、そうではなく。まだ姿を見てないなぁ、と思いまして」

「今夜は桜、来ないよ?」


 ――え? 来ない? なにそれ聞いてないんですけど……?


 桜さんは楓さんと同じ大学出身で、二人は親友同士だ。

 大学卒業と同時に二人でこのベンチャー企業を立ち上げた。

 歳も同じらしく、二人ともオレより七つほど上になる。


 そして桜さんとオレは家が隣同士という関係でもある。

 桜さんには年の離れた妹がいて、こっちはオレと同い年。

 二人で桜さんによく面倒を見てもらっていた。

 つまりオレにとって、桜さんは小さいころから知っている〝隣の優しいお姉さん〟だ。


 この仕事も、そういう繋がりがあって、最初は桜さんから声をかけられて始めたものだ。


 その桜さんが今夜いない……?

 オレの頭の中でその言葉がリフレインする。


 ちょっと待て。

 ってことは、じゃあ今夜は楓さんと二人っきり……?


「なんかとっても大事な用があるんだって」


 ……そういえば、今夜は桜さんがドハマリしてた〝俺様の腕に抱かれて眠れ〟っていう乙女系深夜アニメの最終回だったっけ。

 桜さんってば、リアルタイムで見たいからってサボったな!


「ゴ、ゴホン。えっと楓さん? 今は真夜中ではありますが仕事の時間なんで、仕事の話をしましょう。このリストの中で、今回はこいつ……このMTAエムティーエーが狙い目かと思うんですよね」

「そんなんで誤魔化されないわよ? 後で覚えてなさい。たっぷりイジメてあげるんだからね? ……で? MTAエムティーエーって? 何だっけ?」


 仕事が終わったら、速攻で帰ろう逃げよう。うん。

 そう決意を固めつつ、オレは再び口を開いた。


Messageメッセージ Transfer転送 AgentエージェントSMTPエスエムティーピーサーバとも言うかな。いわゆるメールサーバってやつですよ」

「あー、そうそう! そうでしたそうでした。思い出した思い出した」


 ……ホントかな?


 という思いをいだきつつ、オレは言葉を続けた。


「そして、このターゲット上で動いているメールサーバのプログラムはちょっと古いバージョンみたいなんですよ」


 オレはマグカップを脇に置き、再びキーボードに手を添えた。


「ふーん。……で?」


 楓さんがモニタから視線を外し、オレを見上げながら続きを促してくる。

 その視線からは、もうオレをからかう様子は感じられない。

 どうやらやっと仕事モードになってくれたらしい。


 楓さんはそれほどコンピュータ関係に詳しくない。

 どちらかというと営業畑の人だ。

 技術関係は桜さんが全て担当している。


 桜さんがいてくれれば、楓さんへの説明は全て丸投げするんだが、今夜は残念ながら御欠席。今頃はアニメのイケメン主人公相手にキャーキャー言ってるに違いない。


 ったく、あんなプライドだけは高そうで口の悪いオラオラ系イケメンキャラの何処がそんなにいいんだろうな。理解に苦しむよ。あんなヤツよりぜぇったいオレのほうが……


 いや、今はそれよりも、だ。

 そうなると、当然楓さんへの説明はオレがしなくちゃいけないわけで。

 詳しく説明するのはちょっと骨が折れるが、今のオレにとって楓さんは大事なお客クライアントさまだ。


 成功報酬とは言え、いつも支払いはすこぶるいいんだ。

 しかも今回はかなり簡単に終わりそうとくれば、多少の面倒は気にならない。

 であれば、相手がなんとなく理解できるくらいの説明をしてあげれば、お互い気分良く仕事を済ませられるってもんだ。


 オレは上唇を一舐めしてから言葉を続けた。


「このバージョンにはバッファオーバーフローと呼ばれる、セキュリティ上致命的な不具合バグがあることが知られてるんですよ。なのにこんな欠陥品を未だに使ってるなんて、サーバ管理者の怠慢ですね」

「むふふふ。でも、そのおかげで侵入できちゃう。……でしょ?」

「まあ、そういうことです」


 そしてオレは、胸ポケットからUSBメモリを取り出した。



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