地の文の「人称」とは違う意味での「視点」(読み手の立場という意味での「視点」) ――他人様の作品について書かれた他人様の感想を見て・その2――

   

 ある時、ある投稿サイト――前回とは違う投稿サイト――で。

 あるネット小説を読んでいたら、感想欄で、このようなコメントを目にしました。



「視点が頻繁に変更されるので読みづらい」



 少し紛らわしいですが、あくまでも「視点」の変化です。「人称」変化の話ではありません。

 よく「主人公一人称で始まったと思ったら、途中から地の文で主人公は三人称で書かれていた」みたいな話がありますが、あれとは違います。

 語り部の立ち位置、という意味での「視点」ではなくて。

 読者が読むにあたってどこに視点を置くようになる文章なのか、という話のようです。


 そのコメントに関する、私の理解が正しいのであれば……。

 具体例を作ってみましたので、次の二つのパターンを読み比べてみてください。



(パターンA)


 男は悪魔に斬りかかった。

 しかし悪魔は、男の渾身の一撃を軽々とかわしてしまう。

 男は思わず叫んだ、「そんな馬鹿な」と。

 続いて、悪魔は男に反撃を与えた。

 その瞬間、男は意識を失った。



(パターンB)


 男は悪魔に斬りかかった。

 しかし男の渾身の一撃は、悪魔に軽々とかわされてしまう。

 男は思わず叫んだ、「そんな馬鹿な」と。

 続いて、男は悪魔からの反撃を受けた。

 その瞬間、男は意識を失った。



 Aでは、文章の主体が一行ごとに入れ替わっています。奇数行では「男」、偶数行では「悪魔」が主語になっています。ですから読者も無意識のうちに、奇数行では「男」の立場になってその場面を想像し、偶数行では「悪魔」側の立場から想像するそうです。

 一方、Bでは、奇数行も偶数行も一貫して主体は「男」。「男」からの目線で、三人称で書かれています。読者は、ずっと「男」から見た場面を想像することになります。


 これを理解した時、私は「なるほど」と思いました。

 当時の私は「誰も見に来ないような自分の個人サイトで小説を書く」という数年間を経て、初めて投稿サイトを利用し始めた頃だったのですが……。

 それまでは、全く意識していないことでした。


 以後、しばらくの間。

 すごく意識して書くようになったのですが。

 いざやってみると、これが結構難しい(例示した場面は、あくまでも具体例なので単純でしたが)。

 そこにこだわると、表現したいものが表現できない場合も多々あります。

 実際に、プロの作家の方々が書いた小説を意識して読んでみると、この意味での「視点変更」は、かなりあります。それでも、読んでいて苦になりません。まあ、プロだからこそ(他でカバーできるからこそ)「それでもOK」なのであって、素人が同じことをやると「だからダメ」になるのかもしれませんが。


 結局。

 最近では、あまり気にせず書いています。

 少なくとも、意識せず書くとしても、こういう話を全く知らなかった頃と違って、無意識のうちにある程度は自然に実行するでしょう。だからそれくらいの方が、無理せず、不自然にならずに、ちょうどいいのかも……。そんな言いわけを、自分に対して投げかけながら。


 正直、今では「これって、そんなにこだわるポイントではないのかも?」とも思ってしまいますが……。

 今回のポイント、皆さんはどう思われますか?

 やはりAよりBの方が読みやすいのでしょうか。

 あるいは読みやすいとしても、読みやすいからこそ面白みがない、なんてこともあるのでしょうか。




(2018年10月16日「小説家になろう」に掲載したエッセイの転載です)

   

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