第49話 ウエーバリー駅の惨劇


 ソファーの寝心地は意外なほど良く、朝までぐっすり眠ることができた。

 シャワーを浴び、パジャマからジャージに着替え、リビングのようなスペースへ向かう。

 ボクより早く起きた堀田さんは、髪をおダンゴからストレートにして、眼鏡も外していた。

 すでに朝食が載せられたテーブルに着いた彼女は、背筋をぴんと伸ばし英字新聞を読んでいる。

 朝の柔らかい光の中、薄い紫色のワンピースを着た彼女は、すごく大人びて見えた。

 こうしてみると、やっぱりすごい美少女なんだよね。 

 

「苦無君、おはようございます」


「おはよう。先に食べてくれたらよかったのに」


「せっかくだから一緒に食べたかったんです」


「そう? じゃあ、食べようか」


 ボクは堀田さんの向かいに座った。

 

「これ……卵、どうやって食べるの?」


 お皿の上には、棒状の焼きパンとカップに立てられた卵が置かれていた。


「ええ、こうやって卵の殻を割って、パンにつけて食べるんです」


 堀田さんは、スプーンの先でコツコツ卵の頭をつつくと、割れた殻を器用に外し、カップに残った殻の中身をすくうと、それをパンに載せた。

 見よう見まねでやってみるが、うまく卵が割れない。

 大きく割りすぎて、半熟卵が少しこぼれてしまった。

 それをパンにつけたものを、とまどいながら口にしてみる。

 日本のそれとはまったく違う、硬く味の濃いパンと、半熟卵の自然な甘みが合わさり、なんだかすごく美味しい。

 姉さんから、イギリスの食事には期待できないなんて聞いてたけど、この朝食は嬉しい想定外だった。


「これ美味しいね!」


 思わずそう言葉にすると、堀田さんがにっこり笑った。

 

「これ、私の好物なんです。ここに来るときの楽しみなんです」


「ふーん、堀田さん、やっぱりこの辺に詳しいんだね」


「あっ、あわわわ、以前、に、ニ三度来たことがあるんです」


 それにしては、いろいろ詳しすぎる気がするけどね。

 

「それはそうと、今日はケイトさんの家に行くんでしょ?」


「……ええ、そのつもりです。彼女の実家『グレイシャー邸』は、ここからそれほど遠くありません」


「ええと、ケイトさんって、ブリッジスっていう家名じゃなかった?」


「ああ、『グレイシャー』っていうのは、昔その地を治めていた貴族の名前らしいです。今はブリッジス家が使っていますけど」


 堀田さんは細い眉を寄せ、そう答えた。


「じゃあ、荷物はここに置いたまま行こうか?」


「はい、それがいいでしょう。この時期、日が暮れるのは遅いですが、早めにここを出ましょう」


「うん、そうしよう!」


 やっとここまで来たんだ。ケイトさんがどうして助けをもとめたのかしらないけれど、なんとかしてあげなくちゃ。

 ボクは、朝食に添えられていたナプキンを強く握った。


 ◇


 エディンバラに住むショーンは、勤務先のウエーバリー駅へ向かう路面電車に揺られながら、昨日知人から聞いた不気味な出来事を思いだしていた。

 昨日昼過ぎに駅に着いた貨物列車には、動物を運ぶための専用貨車があるのだが、その一つで羊の死骸が見つかったというのだ。

 殺された羊には、首に特徴ある傷が残されていた。

 その傷は、なにかに噛まれた痕のように見えたそうだ。

 

 なにかの拍子に貨車に野犬が忍びこんだと考えた者もいたが、出発前はもちろん、移動中にも係りの者が巡回しており、その時は異常がなかったとのことだった。

 つまり、惨劇はウエーバリー駅に着く直前に起きたことになる。


 そして、停車場に残されていた謎の足跡も物議をかもしたそうだ。

 それは小さな、子供か小柄な女性の靴跡で、血まみれのそれが駅と構外を隔てるフェンスまで続いていたということだ。

 まったく物騒な話だ。

 職場に向かうのに、これほど気が重いことは今までなかった。

 ショーンは、大柄な体をぶるりと震わせると、頭を左右に振って今考えていたことを頭から追いだした。


 


 



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