第43話 苦無の準備

「えっ、苦無君、ホントにイギリスへ行くの!?」


 家族会議でイギリス行きが決まった翌日、堀田さんに電話して花さんの喫茶店まで来てもらった。

 ボクの話を聞くと、彼女はとても驚いた。


「でも、今からだと飛行機が……」


「飛行機がどうしたの?」


「あわわわわ、いえ、なんでもありません! きゃっ!」

  

 なぜだかすごく慌てた堀田さんは、アイスティーのグラスを倒してしまった。

 それを見たマスターの花さんが、まるで魔法のように、こぼれたお茶を拭きとった。

 ただ、落ちた氷は、堀田さんの白いワンピースに染みを作ってしまった。


「あのあのあの、イギリスへはいつ?」


 服が汚れたのに、彼女はそれが全く気にならないようだった。


「八月二十日に出発する予定なんだ?」


「あのあのあの、こ、航空会社はどこでしょうか?」


 堀田さんは、尋ねるたびに「あのあの」言いながら、ボクから旅行の予定を聞きだした。

 

「あっ、そうだ! 堀田さん、ケイトさんと親しいんでしょ? 彼女がどこに住んでいるか知らない?」


「……知っていますけど」


「じゃあ、その場所、教えてくれないかな?」


「わ、分かりました。ヒースローに着いたら、アイツの家がどこか分かるようにしておきます」


「え? ヒースなんとかってなにかな? 場所の名前?」


「ヒースロー。ロンドンの西にある空港の名前です」


「へえ、堀田さんって、イギリスにも詳しいんだね」


「あわわわわ、く、詳しくありません!」


 堀田さんが、またグラスを倒しそうになったので、それを手でつかむ。

 それを見た花さんが、投げキスをしてきた。

 イケメンの彼は、そんな仕草もかっこよかった。


「あ、そうだ! 私、これから用事がありました! お茶こぼしちゃってごめんなさい! では、さようならー!」


 堀田さんはそう言うと、ストールからぴょんと飛びおり、ぴょこんと頭を下げると、あっという間に店から出ていった。

 急なことだから、ボクはさよならも言うことができなかった。


 あ、堀田さん、紅茶のお金払ってないや。

 

 ◇


 京都にある伊能家では、東京からの連絡を受け慌ただしい動きが見られた。


「切田家がイギリスへ出発するのはいつだ?」

「八月二十日です」

「航空会社は確認したのか?」

「はっ、すでにチェック済みです!」

「宿泊先は?」

「たった今、確認が取れました!」


 五人ほどの黒服が働く窓のない部屋は、「U」字型に並んだデスクにディスプレイが並んでおり、奥の壁には巨大なモニターがはめ込まれていた。

 今、モニターには、一人の少年が映っていた。

 小柄で色白な少年は、学生服を着ていても小学生くらいにしか見えなかった。


 この部屋に一人だけいる女性は、まさに紅一点、深紅のジャケットに同色のタイトスカートをはいていた。

 まだ十代後半に見える彼女は黒服より立場が上らしく、歯切れよい口調で彼らに指示を出していた。


「苦無の席はファーストクラスに替えておきなさい」


凛子りんこ様、それが、すでに座席がファーストクラス指定となっています」


「家族四人とも?」


「はい、切田家の四人全員です」


「……一応、最低限の配慮はできてるようね」


「あの子は?」


「はっ、すでに対象者後ろの座席を確保してあります」


「よし、『鞍馬』たちは、同じ飛行機に乗せてちょうだい」


「はっ、すぐに」


 黒服から「凛子」と呼ばれた女性は、ため息交じりの小声でこうつぶやいていた。


「もう、まったく! なんてことしてくれるのよ! 自分たちの息子が歩く爆弾、いえ、歩く戦略兵器だって分かってるのかしら」


 仁王立ちの姿勢で腕組みした女性は、壁のモニターに映る少年を睨みつけていた。

 





 



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