第34話 嫉妬と憎悪
ブリッジス家の長男マイケルは、自分が運転する高級スポーツカーで屋敷を後にした。
「ふん、佐藤といったか、あの馬鹿がきちんと仕事しておれば今頃は……」
赤信号で停まると、マイケルはハンドルを強く叩いた。
「ヴァンパイアとしての力を使えばいいものを、石ころをぶつけるなど愚かにもほどがある!」
しかし、彼のその意見には無理があった。
佐藤少年は、彼自身がそのような力を持っているなど知らないのだから。
「まあいいだろう。今回のことで、おじい様はケイトを呼びもどすようだしな。あいつがいない間に、クナイをこちらに引きこめば、おじい様もだれが次期当主にふさわしいか、きっとお分かりになるだろう」
幼い頃、周囲から呼ばれていた「天才」という称号は、いつのまにか妹のケイトに奪われていた。
一族の主だった者たちが、クナイという「力」をブリッジス家に取りこむことこそ、次期当主への切符だと考えているこの時、その大役まで彼女に獲られることは、なんとしても阻止しなければならなかった。
「邪魔者はもうすぐ日本から消える。後はじっくりあの少年を料理するだけだ」
マイケルは、「魔女」である黒髪の少女と一緒に、妹の部屋へ入っていった少年の後姿を思いだしていた。
「かならず、私が手に入れてみせる」
美しい彼の唇が、まるで曲刀のように片端だけ上へ吊りあがった。
◇
東京郊外の総合病院で働く看護師である私は、夜間の巡回に病室を回っていた。
患者の中には、様々な人がいる。
いちいち覚えてなどいられない。
だけど、その患者だけは、忘れられそうになかった。
ある夜、血まみれになってこの病院に運びこまれた少年は、なにか異様なものを感じさせた。
失っていた意識が戻ると、痛いはずの症状にもかかわらず、うめき声一つ上げなかった。
宙の一点を見つめ、口をもごもご動かしているのだ。
その口から見えるやけに長い犬歯が、下唇に食いこみそこから血が流れていた。
そして、なんといっても、その目。
半分開いたまぶたからのぞくその目は、ルビーのように赤く染まっていた。
それは炎症などでみられる目の赤さとは、なにかが違っていた。
その憎悪にあふれた目には、なぜか抗いがたい魅力が感じられた。
もし、あの目に見つめられたら……。
私は、寒気がするとともに、体の芯になにか熱いものが湧きあがるのを覚えた。
中学生の少年に対し、そんな感情を抱いたのを悟られぬようにしていたが、他の女性看護師も、彼を特別な目で見ているのに気づいた。
『佐藤』
そうネームプレートに書かれた個室の扉をそっと開ける。
なにかを期待するように、手がぶるぶると震えている。
ぴちゃぴちゃ
ベッドの方からそんな音がした。
カーテンを引くと、灯りがない暗闇のなかで、先ほどの音が続いている。
非常灯に照らされたベッドの上には、誰もいなかった。
かがんで、ベッドの下をライトで照らす。
ぴちゃぴちゃ
少年がなにかを口にしていた。
「さ、佐藤君?」
闇の中で赤い目が光る。
なぜか頭の中にもやがかかったようになった。
窓枠に手を掛けた少年は、サッシの上に両足で立つと、そのまま身を躍らせた。
頭のもやがやっと晴れると、事態の深刻さが浮かびあがってきた。
ここが六階だということを思いだす。
窓際に駆けより、首を突きだし見下ろす。
常夜灯に照らされた駐車場に、彼の体はなかった。
「ど、どういうこと?!」
クチュ
足がなにかを踏んだのに気つき、それにライトを向ける。
そこには、使用済みの献血パックが散乱していた。
先ほど少年が口にしていたものがなにかに気づいた時、私は悲鳴を上げ、気を失った。
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