第10話 ひかる姉さんの話(上)
中学の校舎裏で仲間とたむろしていた坂東の所に、顔を腫らした後輩が飛びこんできたのは、土曜日の午後だった。
「おい、マツ、そのツラどうした?」
「ば、坂東さん、『
翔南というのは、事あるごとに彼らとモメている隣町の中学校だ。
「おい、お前ら行くぞ! マツ、案内しろ!」
坂東は右手に持っていたコーヒー缶をぐちゃりと握りつぶすと、それをズボンのポケットに入れながら、巨体を揺すって走りだした。
五六人いた、彼の仲間が慌ててその後を追う。
裏路地をくねくねと走り、彼らがやって来たのは、廃ビルの敷地だった。
解体作業中なのか、ビルの横には鉄筋が向きだしになったコンクリートの塊や、ぐじゃぐじゃにもつれたケーブルが山となっていた。
昨日降った雨でできた水たまりに顔を半分漬け、横たわっているのは、仲間の一人アキラだ。
泥まみれになったその背中を右足で踏みつけているのは、湘南で番を張っている少年だ。
彼の後ろには、七八人の少年が立っていた。
「おう、坂東。ずい分遅かったじゃねえか」
その少年は、トサカのような金髪を手で撫であげ、くちゃくちゃガムを噛みながら、似合わないサングラスを少し下げ、その上からこちらを睨んでいる。
「高橋! こりゃ、どういうことだ!?」
坂東の、中学生とは思えない太い声が廃ビルにこだまする。
「見りゃあ、分かんだろうが! ちょいとこいつに教育的指導ってやつをしてやったのさ」
「お前、たいがいにしろよ! アキラが何したってんだ?!」
「こいつ、ゴローさんの妹さんに手を出しゃあがった!」
「誰だ、そのゴローってのは?」
「お前、なあんにも知らねえんだな? ゴローさんていやあ、泣く子も黙る、北田興行の若頭さんだぜ! これで、お前らもおしめえだな!」
そう言いながら、高橋は、作業用ブーツでアキラを踏みつけている。
「ふざけるな! アキラは返してもらうぞ!」
坂東が、羽織っていた学生服をばさりと脱ぎ捨てた。
ワイシャツの上からでも分かる、筋肉の束がビクリと動く。
筋肉の塊が、一瞬で高橋まで到達する。
「ぐあっ!」
坂東のショルダータックルを受けた高橋が、ニ度三度地面を跳ねながら転がっていく。
悲鳴を聞いたからか、廃ビルから、わらわら高橋の仲間が飛びだしてくる。
十人はいるだろう。これで翔南側は十五人以上になった。
敵味方入り乱れての乱戦になる。
人数は翔南が圧倒的に多いが、その多くが坂東一人に殴り倒され、やがて残るは高橋一人となった。
高橋は、さっき受けたショルダータックルで痛めたのか、右足を引きずりながら、逃げようとする。
「くっ、くそっ! お、おぼえてやがれ!」
逃げようとする高橋に、あっというまに追いついた坂東が、その襟首を掴み片手で吊るしあげる。
「ぐ、ぐえっ!」
シャツで首元が絞まったのか、高橋がそんな声を出した。
そのとき、坂東の背後でからかうような声がした。
「おいおい、坊ちゃんがた。ウチの縄張りで、何してくれちゃってるの?」
まっ赤なシャツに白いスーツを羽織った、三十才くらいの小柄な男が、マツ少年に匕首を突きつけている。
鼻の下には、伸ばしはじめたばかりなのか、まばらに口ひげが生えている。
「なあ、キー坊、こいつら誰だい?」
「へ、へい、前に話してた隣町のヤツらです、ゴローさん。そいつが例の坂東です」
「坂東君、ウチの高橋を降ろしちゃくれないか? そうしないと、おじさん手元が狂っちゃうかもよ」
ゴローが、匕首の腹でマツの頬をぴたぴた叩いた。
坂東が無念の表情を浮かべ、吊り上げていた高橋を地面に降ろす。
高橋は、坂東のむこうずねを思いきり蹴った。
ガツン
「痛えっ!」
悲鳴を上げたのは、蹴った高橋の方だ。
鍛え上げた坂東の脚で、つま先を痛めたらしい。
「おい、お前ら、起きねえか!」
高橋は、怒りの矛先を地面に倒れている仲間たちに向ける。
半分くらいがのろのろと立ちあがった。
「たっぷり、お礼しねえとな!」
彼らは、無抵抗な坂東の仲間それぞれに対し、複数で殴りかかる。
「坂東君さあ、ちょっとウチの事務所まで来てもらおうか」
にやにや笑いを浮かべたゴローが、坂東へ視線を飛ばしたが、それは蛇の目を思わせる冷たさだった。
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