九十五話
現れたのは化け物だった。少なくとも立ち上がったアカツキにはそう見えた。
長い竜の首を持ち二本の角を生やしている。足と胴体は獣で鳥のような大きな灰色の翼が生えている。尻尾は鱗があり魚のように二股のヒレがあった。
「ウオオオン、グルル、ウオオオン……」
ペケさんが切ない声を出してのっそり後退して行く。そして離れたところで伏せた。
そんなペケさんを見ていたアカツキと仲間達だったが、ラルフとグレイが飛び出し、アカツキを庇う様に剣を斧槍を身構えた。
アカツキは短剣を抜いた。武器らしい武器を全て失い丸腰も同然かに見えたが、彼の自負しているところは、あらゆる武器を万遍なく使いこなせることだった。だから心許ない短剣であろうが、アカツキにかかれば心強い武器そのものだった。
地上の者ではない。だとすれば神か。
アカツキはラルフとグレイの間を抜け敵に歩み寄った。
相手は愛馬ストームよりも巨大な身体をしている。機敏に動いて撹乱し首を狙うか。
狙いを定めていると後方からレイチェルと金時草、ヴィルヘルムが駆けて来た。
「ドラゴン?」
ヴィルヘルムが言うと金時草が頭を振った。
「いや、合成魔獣、キメラだろう」
「違うわ」
レイチェルがきっぱり言い、クロスボウを背に掛け、武器を持たずに怪物の前に歩み寄って行った。
「獣の神キアロド様ですね?」
レイチェルは誰よりも近くに行くと相手を見上げてそう言った。
「レイチェル。久しいな」
怪物が穏やかな声でそう応じた。
「キアロド様、その節は、お慈悲と奇跡を起こして下さりありがとうございます。ですが」
レイチェルが素早く左右に佩いていた山刀を抜いて神を睨んだ。
「その御恩に背くことになろうとも、我々の行く手を阻むなら挑ませていただくまでです」
ラルフとグレイがそれぞれ神の両側に回った。
「アカツキ」
ヴィルヘルムが剣を抜いて隣に並んだ。
獣の神キアロドは長い首を巡らして一同をそれぞれ見詰めた。ふとアカツキは感じた。慈悲深い目をしていると。リムリアを失った悲しさや己の不甲斐なさ、神々への怒りが今は静かに波が尾を引くように鎮まって行く。
「戦神ラデンクスルト、慈愛の女神メイフィーナ、この獣の神キアロド。そして闇の闘神カーセス。我ら四人が主だってこの世界を創った」
キアロドは語り始めた。
「しかし、ラデンクスルトと、メイフィーナはやがてカーセスと対立し競うようになった。それがお前達のいう光と闇の因縁と戦いの始まりだった。ラデンクスルトもメイフィーナも、そしてカーセスも自分の創り出した人を愛しながらも戦い傷つけ合わせた。まずは光側で事は起こった。法や秩序を一つに束ね、闇の勢力に対抗するために同族同士の戦いが行われた。長い戦いと数多な死者を出し、それらは我らの意思通りフレルアン王国として一つの国となった。だが、同じことをしながらもカーセスの方は苦戦していた。それは今日に至るまで凌ぎ合っている闇の勢力達を見れば明らかだ。ラデンクスルト、メイフィーナを失った今、遅くなったが私はお前達人々に全てを委ねようと決めた。私は一人残り傍観者としてこの世界を、お前達の築いてゆく歴史を静かに見守って行こうと思う」
ヴィルヘルムが口を開いた。
「私は闇の者だが、あなたは私を滅したいとは思わないのか?」
するとキアロドは目を細めて応じた。
「思わない。我らは仲違いしたがカーセスが愛した人をラデンクスルトらとは違い、私自身は憎いとは思わない。お前達を対峙させ、まさしく盤上の駒として殺し殺させ、大地を血に染めて来たのは我ら神々らしからぬ愚行だった。だからこそ、お前達が集った。人の和と新たな歴史を築くために。お前達は選ばれし者達だ。その使命が果たされるかは神である私ですら分からないが、上手くゆくことを願っている」
アカツキは奥歯を噛み締め、叫んだ。
「今更、何だと言うのだ!? 貴様はラデンクスルトとメイフィーナの死に恐れを成したのではないか!? 人が神を殺せることを知ったからな!」
「人の子暁よ。我を許さず、無用な争いを好むというのならば、相手になろう。それもまた運命であり、お前達の使命でもあるならば」
キアロドが言った。
「キアロド様、本当にあなたはこの世界から手を引き、傍観者に徹するとおっしゃるのですか?」
レイチェルが尋ねた。
「その通りだ。嘘、偽りはない。ただし、闇の闘神カーセスがお前達の前に降臨した時にも私は手を出さない。お前達が討たれればそれも運命だと受け入れ、光が闇の世に侵略されるのも黙って見ているだけになる」
温和な声で獣の神は竜の口で答えた。
「我ら神々は罪を重ね過ぎた。多くの我が子らを苦しませ、殺してきた。悲痛な祈り訴えにも耳も貸さず、我々は無用な意地で対立を続けてきた。私はお前達の言葉で言う懺悔をしたい。我が子らよ、それを受け入れてはもらえぬだろうか?」
「何を都合の良いことを言っている! お前の口から出た通りだ。お前達神々のくだらんいがみ合いで光も闇も多くの者が死に血を流してきた。その歴史がどれほど積み重なって来たと思っているんだ!?」
アカツキは叫び、神を睨んだ。
「ならば、暁、そなたの手でこの私を殺してくれ。私を裁く権利をお前達に与えよう。だが、その前に。ペケさん、酷い傷だ」
「ニャア?」
後方にいたペケさんを神聖魔術の淡い白の癒しの光りが包んだ。
「ニャア、ニャア」
ペケさんは元気よく鳴いた。
「背中の傷が塞がっている」
金時草がペケさんの方に駆けて行くとそう言った。
「その程度の情けを見せたからと言って、俺達が許すと思うか!?」
アカツキは叫び仲間達を見た。
だが、仲間達は沈んだ顔色をしアカツキに向けて来た。争う必要なんか無い。そう訴えてきている。
「お前達、神を信じるのか!? 私欲で光も闇も問わず散々人々を争わせ扇動し殺してきた奴らを、お前達は許せるのか!? ラルフ、グレイ!?」
アカツキが名を呼ぶとラルフは応じた。
「将軍の御命令ならば、今目の前にいる者を敵とみなし敵と戦います」
ラルフが動揺するように言う。
「私も同じです。将軍、御指示をお願いします」
グレイも同じような複雑な心境を現わす表情で言った。
アカツキは舌打ちした。
「間違っているのは俺なのか!? 皆は、こいつを許すのか!?」
その時、肩に手を置かれた。ヴィルヘルムだった。
「神だって反省するさ。それを今、この場で見せてくれた。その反省を生かし、次に創造する世界には無用な争いごとは持ち込まないだろう。キアロド殿はメイフィーナやラデンクスルトとは違う神だ。出て来るのが遅かったが、前者の二人の我が強い以上、二人が消えなければ出ては来れなかったのは必然だ。ここでキアロド殿を信じ許すのも俺達の使命なんじゃないか? それともアカツキ、お前は多くの人々の無念の憎しみに飲まれ、ただの戦闘狂になってしまったのか? バルバトス殿や、リムリアならお前にどう言うだろうか、考えて見てはどうだ。自省し許しを乞う相手を尚も殺してしまえと言うか?」
太守殿、リムリア……。アカツキはその途端、全身から力が抜けその場にへたり込んでしまった。
悔しい。ここで神を許すことが悔しかった。だが、許せないのはそんな自分だった。俺はただの古から募る憎しみに身を投じ耳を貸し戦闘狂になっていたのだ。
「リムリア、すまん……」
アカツキは己の両手のひらを見ながら言った。涙が止めどなく溢れて来る。
「キアロド様、行って下さい。もうあなたは裁かれました。我々はあなたを信じます。それが私達に与えられた使命だとも信じて。良いわね、アカツキ将軍?」
レイチェルが言い、尋ねて来た。
「いなくなってくれ。リムリアの思い出が俺を止めてくれている間に」
アカツキは地面に描かれる己の涙の染みを見ながら掠れ声でそう言った。
「分かった。ではさらばだ、運命神に選ばれし者達よ」
アカツキが顔を上げとき、そこに神の姿は無かった。そして天の禍々しい紫色の雲が昇華するように消え失せ、太陽と青空が姿を見せたのだった。
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