三十八話

 振り下ろされた斧の刃をアカツキは辛うじて滑り込み片手剣で受け止めた。

 居並ぶ将が、斧を持つ刑士が、ダナダンがそれぞれ瞠目した。

「アカツキ将軍!?」

 刑士は慌てて斧から手を離し、平伏した。

「どういうつもりだ?」

 ダナダンが尋ねた。

「お前の様な武芸者を失うのは国にとっても、この世界にとっても損失だと思った」

 アカツキが吐露するとダナダンは応じた。

「それは買い被り過ぎだ。さぁ、改めて私を殺せ」

 ダナダンが言った時、アムル・ソンリッサが椅子から立ち上がった。

「その者の戒めを解いてやれ」

「何だと?」

 ダナダンは再び驚いたように言った。

 刑士がダナダンの腕を縛っている縄を小刀で断ち切った。

「ダナダンとか申したな、何処へでも行くがよい」

 アムル・ソンリッサが言った。

「陛下……」

 アカツキは感動して胸が張り裂けそうな思いになりながら主君に頭を下げた。

「本当に良いのだな? 私は再びお前達の敵に回るかもしれんぞ」

 ダナダンは立ち上がってアムル・ソンリッサを睨んで言った。

「分かっている。アカツキ将軍が助命するほどの武芸者なら我らが再びお前を討つのにどれほどの命を散らさねばならぬかも承知している。だが、その上でアカツキ将軍の意を汲むことにする。アカツキ将軍、十三の首級の一つは帳消しになるが異存はないな?」

「ありません」

 アカツキは声を震わせて応じた。アムル・ソンリッサの寛大な処置に未だに感動が全身を支配していた。

「ならば、行こう。さらばだ」

 ダナダンは身一つで出口の方へと歩いて行った。

「次の者」

 アムル・ソンリッサは何事も無かったかのように旧アンドリュー・グレアーの臣達の裁断を続けた。



 二



 その後、信頼できる将軍を太守に任じ、アムル・ソンリッサは共同で攻めて来たもう一方の隣国モゾー・ハッキネンの領土へ侵攻した。

 既に主君と多大な兵を失ったハッキネンの城は潔く降伏し城を明け渡した。

 そこでもハッキネンの臣下達を裁断したが、ダナダンほどの忠勇の士は現れなかった。

 アムル・ソンリッサはここでも信頼できる将軍を太守に任じ、統治を任せて帰途に着いた。

 その際、徴兵された者達を解放した。

 グレアーもハッキネンも兵の多くは民衆を徴用していたようだった。領土は増えるが兵力は不足する。将軍らは再び頭を抱えなければならなかった。アムル・ソンリッサはまたあくまで志願する兵を募るつもりだろう。

 魔法陣を潜り兵達が次々帰還して行く。

「アカツキ、お前、少し丸くなったな」

 魔法陣に消える将兵を見送りながらヴィルヘルムが言った。

「太ったということか?」

「違う違う。性格がだよ。出会った頃は何でもかんでも反骨心丸出しの連続だった癖に、もうそれもしない。まぁ、その代わりか、たまに溜息は吐くようだが」

 アカツキは思案した。性格が丸くなったとは到底信じられなかった。だが、アムル・ソンリッサに縋りつき彼女をついに陛下と呼んだ己を思い出した。

「あのダナダンとかいう将は今頃どこを彷徨っているのかな。路銀があれば良いが」

 アカツキも思いを馳せていた。ダナダンとはいつかまた会ってみたいものだ。

 主君と兵達が消え、最後にヴィルヘルムと共に魔法陣を潜った。

 見覚えのある街道と平野、そして城壁。帰って来たのだ。

 だが、陽は既に失せ真夜中を過ぎていた。

 魔族の民達が大通りの左右に立ち戦勝を祝福した。

 隣に並ぶヴィルヘルムは声を上げ手を振ってそんな民衆に応じて礼を述べている。

「アカツキ将軍!」

「アカツキ将軍、万歳!」

 アカツキの名を呼ぶ声が聴こえた。

 アカツキは驚きそして照れるのを感じた。

「手ぐらい振ってやれよ」

 ヴィルヘルムがアカツキの片腕を持ち上げて無理やり振った。

 民衆から盛大な拍手と声が届いた。アカツキを祝福する声だ。

 貴族街でヴィルヘルムと別れ、アカツキは厩舎を目指した。

「アカツキ将軍、戦勝おめでとうございまする。ストームはいかがでしたか?」

 厩舎の管理人ウォズ老が尋ねて来た。

「こいつは……。こいつは良い馬だ」

 アカツキはそう応じた。

 ウォズ老は満面の笑みを浮かべて手綱を受け取った。

「あ! アカツキ将軍! お帰りなさい!」

 リムリアが駆けて来た。

 その振り撒かれる純粋な笑顔にアカツキはドキリとしつつ顔を背けて言った。

「ああ」

 と。

「どうしたの、アカツキ将軍?」

「何でも無い。じゃあな」

 アカツキは城へと歩んで行った。

 あの女に俺は惑わされている。アカツキはそう結論付けようとしたが、身体が反対した。少年の頃から自慢の父の背中を目指していたため剣一本で、恋などしている暇はなかった。そして程なくしてダンカン分隊長を訪ね、アジーム教官のもとで他の新兵達と日夜稽古に励んでいた。

 三十も半ばに入った俺があんな華奢で、路傍に咲いたばかりの瑞々しい一輪の花を摘み取るなどあって良いものだろうか。

 リムリアがハグを迫り、彼女の身体の細さを感じたことを思い出す。その直後に軽く唇を重ねられたことも思い出した。

 身体が熱くなった。

 城門を潜り、アカツキは鎧を脱いで剣と斧とを、順番にせせらぎで洗い始めた。

 兜は脱いでいない。まだ暗いため視界が効かないからだ。

 丁寧に血と泥を洗い流してゆく。そしてその後に砥石で刃を磨き始める。ダンカン分隊長の形見の剣、カンダタは以前の煌めきを取り戻した。陽光が剣に反射し、朝が訪れたことに気付いた。

 だが、アカツキは構わず今度は斧の刃を研ぎ始めた。

 血糊で鈍った煌めきを取り戻すのに昼近くまで掛かった。

 そして鎧を水で濡らした布で拭き、最後に兜も同じようにした。

 そうして抱えられないので再び鎧姿に着替え、昼の静まり返った城内の回廊を自室へと歩んで行った。

 ようやく疲労を感じた。

 部屋へ着くと、アカツキは鎧を脱ぎ部屋着を持って風呂へと汗と土と血糊を流しに向かった。

 既に将軍達は入浴を終えたらしく、アカツキ一人で独占することができた。

 身体を丹念に丁寧に労わる様にして洗った。こういうところは父譲りの性格だと自覚している。

 その時、湯殿の扉が開く音がした。

 アカツキが振り返ると、そこにはリムリアがいた。

「お前、ここは男湯、将軍専用の湯殿だぞ!」

 アカツキはリムリアが服を着ていたこと見てホッとしつつ怒鳴った。

「うん、知ってるよ。アカツキ将軍、お背中流させて欲しいな」

 この女はなかなか頑固なところがある。アカツキもリムリアといて性格が掴めて来たので諦めて言った。

「背中を流したらお前はもう寝ろ。約束できるか?」

「うん!」

 元気の良い声が返ってくる。

「頼む」

 すると背中にピタリと温かい布が当てられるのを感じた。

 リムリアは鼻歌を歌いながら布を優しく丁寧に動かし始めた。まるでアカツキが剣にそうしたように。

「はい、おしまい」

 リムリアが最後に掛け湯をして言った。

「じゃあね、アカツキ将軍」

 そう言って彼女は素直に出て行った。

 アカツキは深く溜息を吐いた。自分の心臓が高鳴っているのを聴いた。そして振り返って彼女を抱き締めたいという獣のような欲求を抑え込むことにどうにか成功したことに安堵したのだった。

 ちょろい男だな、俺は。

 そうアカツキは嘆息した。

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