暁伝 -神殺しに挑む者達-

刃流

一話

 血煙が立ち上り、目の前に強大な影が立ち塞がる。

 居合わせた誰もがその名と姿の前に畏怖を覚えているように眺めやり硬直しているだけだった。

 それは父の仇だった。

 今こそ、父の形見である剣でその首を刎ね、墓前に供える時が来た。

 復讐の鬼となり逸早く我を取り戻し挑みかかったものの、一合で刃ごと身体を弾き飛ばされる。

 恐ろしい膂力だが、上等だ。これほどの敵で無ければ父は殺せない。

 立ち上がり再び挑みかかろうとした時だった。

「アカツキ、お前は奴の相手をするにはまだ早い!」

 見知った声がそう言った。普段の穏やかさは無い、厳しくもこちらを気遣う必死な声だった。

 知っている。俺は後悔している。俺が次にこんなことを言わなければ隊長を追い詰めずに、失わずに済んだかもしれなかった。

「では、誰が奴を止めるのです!?」

 俺がそう言った。言ったのだ。

「俺に任せてくれ」

 隊長は言った。

 復讐鬼だった俺の心から身体からもその熱く鋭い靄は払拭されていた。何故か? 隊長の命令には絶対に従うと約束したからであった。それが脳裏を過ぎったからだ。

 馬鹿な、勝てっこない。そう声を漏らしそうな自分を押しとどめた。

 隊長が仲間達の制止を振り切り前に進み出て行く。

「暗黒卿、俺がお前を斃す!」

 隊長はそう言って打ち掛かって行った。

 隊長、退いて下さい! 俺は知ってるんです、この後あなたが……。

 強大な影、敵将暗黒卿の剣がダンカン分隊長の胴を鎧ごと貫いた。



 二



「将軍、アカツキ将軍」

 聴きなれた若い声が自分の名を呼んでいる。

 俺が隊長を追い詰め、殺した。

 アカツキは目を開いた。

 そこにいたのは、ようやく鎧兜姿が様に成りつつある童顔の若者だった。

「うなされておいででしたよ。またいつもの夢を見られたのですか?」

「そうだ、ラルフ……」

 アカツキは若者を直視できなかった。目の前の若者を父親無しにしてしまったのは自分なのだから……。俺があの時、復讐に囚われず、何も言わずに末端の兵らしくジッとしていれば、あるいは……。

「どのような夢なのですか?」

 ラルフが好奇心旺盛に尋ねて来る。

「昔、大きな過ちを犯した。その時のことを悔いいる夢だ」

「またそのお答えですか」

 ラルフは不満気に応じると担いでいた棒切れを差し出した。

 棒には魚が十匹近く釣り下げられていた。

 立派な岩魚だった。

「イージアのツッチー将軍が川で直々に釣り上げられたものだそうです。お言葉も承っております」

「戦の最中だというのに呑気な……。それでツッチー殿は何とおっしゃっていたのだ」

「こいつを食べて精をつけろ。と」

「これだけの数は俺だけでは食えん、部将達にも振る舞ってやれ」

「はっ」

 ラルフは岩魚を一匹卓の上に置くと去って行った。

「さて、焼くか」

 ラルフは気を利かせて細く短い棒切れも置いていってくれた。穏やかで細かいところまで気が回る性格だったが感情を隠すのが下手な一面もある。いわゆる正直者だ。だからこそ可愛げがあった。

 焚火を拵えるのも面倒だったため、陣幕の外に配置された篝火に口から棒を突き刺した岩魚を差し込んだ。

 棒を持ちつつ炎とそれに包まれる魚に見入り、アカツキは夢の続きを思い出していた。

 致命傷を負った隊長を連れて先に撤退するように促したのは、バーシバル中隊長だ。

 だが、隊長は部下を見捨てては引けないと尚も踏み止まろうとする。

 そんな隊長を副長以下、自分よりも長く苦楽を共にしてきた部下達が別れとも取れる声援を送った。

 隊長はそれに説き伏せられ、自分の肩に掴まり撤退を始めた。 

 隊長の死を看取ったのは自分だった。

 敵城の紫色の闇の炎を放つ蝋燭に囲まれた回廊を進んでいるさなかに隊長のもとに死神がやってきた。

 今でも思い出す。隊長の最期の言葉を――。

「このまま戦士になれとは言わん。だが、いい男になれよ。そして――」

 そして、何なのです隊長? あなたは最後の最後に何をおっしゃりたかったのですか。

 程なくして暗黒卿に深手を負わせ撤退してきた仲間が合流してくる。

「ダンカン、逝ったか」

 英雄と言われたバルバトス・ノヴァー、ヴァンピーア城太守がそう言った。そしてダンカン分隊長の亡骸を担ごうとするのを俺が止めた。俺はこの時から既に後悔していたのだ。自分があんなことを言わなければ、口を噤んでいれば隊長は死なずに済んだのだと。手っ取り早く罪悪感に服したかったのだ。今思えばその方が気が楽だったのに違いない。俺はバルバトス太守にダンカン隊長の亡骸を渡さなかった。

「将軍、焼けてますよ」

 見張りの兵に言われアカツキは静かに我に返った。

「お前達にも酒でも振る舞ってやりたいのだがな……」

 アカツキが心から申し訳なさそうに言うと、二人の見張りの兵士は頭を振った。

「これも任務ですから」

 本心でそう言ったのかは分からないが、アカツキは「そうか」といって陣幕へ引っ込んだ。

 岩魚は美味かった。

 闇が支配していた勢力地では、炎は闇の色に染まり、作物もまた外面は闇色をしていた。しかし、川魚は共通なのだなと、アカツキは思ったのだった。

「将軍、入ります」

 渋さを帯びた声の持ち主だが若者だ。ラルフと同い年ぐらいのはずだ。彼の声が聴こえると、一瞬、別の武将が訪れたのかと思ってしまうほどだった。だが、今は慣れた。英雄バルバトス・ノヴァーの孫、グレイ・ノヴァーだ。兜を小脇に抱えているので、灰色の髪が見えている。彼の父グシオン・ノヴァーも武将だが、何故か自分にグレイを託された。

「城を落とせそうか?」

「いえ、それはまだです。ですが、斥候の報告で敵の援軍がこちらに向かっているとのことです。数はおよそ二万」

 少ない。敵の勢力は闇に属する者達の中でも広大だった。それでもたった二万しか援軍をよこさない。だが、いつものことで分かりやすく、アカツキは身体が熱くなるのを感じた。

 暗黒卿が率いているな。

 こうして何十回目だろうか。暗黒卿の援兵が倍以上のこちらを退けたのは。援軍の暗黒卿さえどうにかできれば城を落とし、安心して制圧できるのだ。たかがオークどもの忘れ形見の平城に何十年と苦戦しているのだろうか。誰もが思ったが、止められる者はいなかった。こちらの猛将と呼ばれた将軍達は敗走させられ、武芸自慢の荒武者は一騎討ちで尽く討たれるほどだった。

「援軍を阻止する役目を俺達が担った訳か」

「はっ、祖父……いえ、失礼しました。総大将、バルバトス・ノヴァー様の命令です。五万を率いて敵を足止めしろとのことです」

「分かった。グレイ、ラルフと共に各部将達に伝え、兵を集めよ。この大任、必ずや果たして見せるのだ」

「はっ!」

 グレイは声を上げて駆け去って行った。

 綺麗にはらわたまで食べ尽くし、頭と尻尾だけを残し骨となった岩魚を投げ捨て、腰の両手剣を抜く。刀身は磨き上げられ、三十も半ばに入った自分の顔を曇りなく映し出す。ビョルンと名付けられた父の形見だ。

 父とダンカン隊長の仇を討つ時が来た。

「馬引け!」

 陣幕を出るとアカツキは声を上げた。

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