獣性露出

 僕の手によって握り砕かれたライザーの剣は、もはや武器としての性能を発揮できない。ただの刃物と化したそれを、彼は乱雑に明後日の方向へ放り捨てる。


 それと同時に空の左手を振り上げ、ライザーが【次元箱ディメンション】を開き、そこから何かの柄が突き出し、彼はそれを流れるように掴み取る。


 ライザーが【次元箱】から取り出してみせたのは、一振りのナイフ。魔物モンスター相手には心許ないが、人間相手ならば特に支障はない得物。


 そのナイフをライザーは握り締め、その顔を歓喜と狂気入り乱れる笑みで彩りながら、眼下の僕に狙いを定め突き出す。


「ヒャアアアッ!」


 その速度、その正確さ。どれを取っても幾重の戦いを経た、手練れの強者のそれで。僕はその場を横に転がって、ライザーのナイフによる突きを躱す。


 ドスッ──先程まで僕が倒れていた場所に、ナイフの切先が突き刺さり、その半ばまで沈み込む。それを流し目で見ながら、僕は回転の勢いを殺さずに床から立ち上がった。


「逃さねえよぉおッ!」


 僕が床から立ち上がるとほぼ同時に、ライザーは床に突き立てたナイフを引き抜くと、すぐさま身を翻し、間髪入れずに僕との間合いを詰め切る。そして、握り締めたそのナイフを以て、先程と同じ手練れの一突きを繰り出した。


 それに対して、僕はただ黙って────


 ザクッ──ナイフの鋭利な切先が、僕の左手の皮膚を裂き。肉に突き刺さる。そこでナイフの進行は止まったが、僕は構わずその状態のまま、さらに左手を押し出した。


 生理的な不快感を引き起こす、生々しい嫌な音をさせながら。僕の左手は刃どころかナイフの柄まで貫通させて、その先にあったライザーの左手を掴む。そうして僕は力任せに、強引に彼を引っ張り、こちらまで引き寄せ。


 ゴッ──ライザーの額に、僕は加減なしの頭突きを見舞った。


「がッ……」


 ライザーはグラリと堪らず後ろによろめき。そんな彼に続け様、僕は無防備に晒されているその腹部へ蹴りを放ち、半ば無理矢理に距離を取る。瞬間、力の緩んだ彼の左手から、貫通させたままナイフを掠め取ることも忘れずに。


 まだ半分、左手から突き出ているナイフの柄を右手で掴み、僕はそれを一気に引き抜いて。先程ライザーがそうしたように、刃から柄の全てまで血に濡れ真っ赤に染まったナイフを無造作に投げ捨てた。


「ハッ……中々に、良いイカれ具合じゃあねえの」


 頭を軽く振りながら、ライザーが何故か嬉しそうに言う。それに大して僕は言葉など返さず、ただ黙って睨んだ。


「良いぞ、良いぞ良いぞ。その調子だ……ヒヒッ」


 無言の僕と、何かに取り憑かれたように喋り続けるライザー。互いが互いに向かい、見合い、数秒────その瞬間は、唐突に訪れる。


 ダンッ──それは全く同時のタイミング。僕とライザーはその場から駆け出し、お互いの間合いに踏み込んでいた。


 僕が足を振り上げ、ライザーの顳顬に爪先を打ち込まんとする。それを彼は身を屈めて躱し、僕の懐に飛び込み。ガラ空きとなっていた僕の腹部に二発、そして鳩尾に一発拳を打ち込み、遠慮容赦なく抉り込ませる。


「!……ッ!!」


 重なり合う鈍痛に、尋常ではない吐き気。喉元まで込み上げた鉄っぽい味と、鼻腔を抜けるその匂い────僕はその全てを無視して、ライザーの背中へ肘を打ち込んだ。


「ごぉ……ッ」


 呻くライザーに、僕は透かさず今度は膝蹴りを放つ。一切躊躇することなく、何度も、何度も。


「が、は……」


 堪らずライザーはよろめいて。けれど僕は遠慮容赦なく、無防備となっていた彼の脇腹を思い切り蹴り上げた。


 為す術もなく、無様にライザーは床を転がるが、すぐさま立ち上がって僕を見る。相変わらず、その顔には歓喜と狂気の笑みが浮かんでいるままだ。


「なあクラハ。さっきお前、こんなことの為に強くなった訳じゃないとか何とかほざいてやがったが、じゃあお前はどんなことの為に、何の為に強くなったんだ?なあッ!?」


 血の混じった唾を汚らしく飛ばしながら、まるで罪人を糾弾する被害者のように、ライザーは僕に訊ねる。それが、異様な程僕の神経を逆撫でし、残る理性を削り取った。


「それをお前に教える義理なんてない」


 思考する間もなく、心根そのままから出た僕の言葉を聞いて。より一層ライザーの笑みが悪化する。


「そりゃ確かになあ!!」


 そこで僕とライザーの会話は終了した。ライザーが駆け出し、僕は迎え撃つ。


 殴り蹴り、殴られ蹴られ。振るわれる暴力に対して、暴力を振るう。ただ、ひたすらに。ただただ、延々とひたすらに。


 床に、壁に。周囲に血を撒きながら、血で染めながら。僕とライザーは殴り合い、蹴り合い────暴力を振るい合った。


 その最中で、ライザーが僕に言葉を投げる。ぶつけてくる。


「この俺が憎いか?この俺が恨めしいか?クラハァ!」


 まるで何かに────否、狂気に取り憑かれ、支配されながら。


「もっと、もっと俺を憎め!恨め!憎悪を掻き立てろ!怨恨を募らせろ!そう、一年前の俺のように!今の俺のようによぉお!」


 狂乱しながら、ライザーは叫び続ける。だが、こんなどうしようもない、救う手立てが何一つ思い浮かびやしない狂人の戯言に一々いちいち付き合ってやれる程、僕はお人好しの善人などではない。ただ一人の先輩のことで精一杯の、そんな小っぽけなただの後輩でしかない。


 確かにライザーがそう言う通り、僕は今彼を憎んでいる。恨んでいる。胸の内に憎悪を掻き立て、怨恨を募らせている。その負の感情に関してだけは……素直に認めようと思う。


 だが、それだけだ。決してそうだと口に出すことはしない。絶対に出さない。そんな、ライザーを調子に乗らせ、勢いを助長させることなどしてはならない。


 こういう輩にとって一番効果的なのは、無視することだ。ただひたすらに無視を決め込み、こちらは意にも介していないということを徹底的に理解させる、わからせるのが一番手っ取り早く、一番効く。だから、僕はライザーの言葉に耳を傾けない。惑わされない。反応など、少しもしてやらない。


 無言を貫き、完膚なきまでに打倒する────そう、思っていた時だった。


「おいおいだんまりとはつれねえな、寂しいなあ。……これから俺とお前はになるってのに、なあッ!?」


 ──……あぁ?


 拳を振り上げると同時に叫ばれた、そのライザーの戯言が。僕の癪をこれ以上にない程に、障った。


「…………誰と、誰が同類になる……と?」


 もう遅い。もう、手遅れである。……しかし、瞬間に噴出したこの激情は。とてもではないが、抑えられるものではなかった。


 案の定、ようやっと反応を、それも考え得る限り好ましい反応を見せた僕に。ライザーは心底嬉しそうに、狂った笑みを浮かべて言う。


「おやおや、これはこれは。流石のクラハさんでも、この発言は無視できなかったようですねえ?さっきまで大人ぶってたのが酷く滑稽で間抜けだな、ええ?」


 止められない。頭に血が上るのが、もう止められない。この怒りを、僕は我慢できない。


 だから────今の今まで押し留めていた全てが、堰を切ったように僕の口から飛び出した。


「御託なんかこっちは求めてない。誰と誰が同類になるんだって訊いたんだ。それだけを答えろ」


「それくらいのことで理解できねえのか、お前さんはよ。少し考えてみればわかることだろうに。じゃあ親切心で言ってやるよ。誰と誰が同類になるのか……んなの、俺とお前の二人に決まってんだろうがよ。頭足らずめが」


「ふざけるな。妄言を吐くのもいい加減にしろ、この狂人が。僕とお前が同類だって?そんな訳ないだろ」


「ハッ、いいや同類だね。これからお前と俺は同類になるのさ。お前は俺のとこまで堕ちて堕ちて堕ちるんだ」


「だから戯言妄言吐くのもいい加減にしろって僕は言ってるんだッ!!一体何の根拠があってッ!お前はそう言ってるんだッ!!あぁッ!?」


「根拠ぉ?根拠ならある!あるさッ!その一々足りねえ頭で必死に振り返ってみろよこれまでのことを!今日のことをよぉおッ!!」


「なんだっ……と……」


 言われて、僕は律儀にも思い返す。自分が先程、一体どんな行動をしていたのかを。それを思い返し、振り返り──────瞬間、ハッと気がついた。


 僕のその反応にったりと、ライザーが口角を吊り上げ、僕に言う。


「ここに来る為に、俺の元に辿り着く為にお前は何をやった?わかる、俺はわかるぞぉ。何せ俺だってそうするだろうからな。自分の目的を果たす為なら、どんなことだってやってやるからなあ!!」


「ち、違う!違う、違う違う違うッ!他に手がなかったんだ!僕には、余裕がなかったんだ!手段なんか、選んでられなかったんだッ!!」


「だからそれが俺と同類だっつってんだろうがよぉおおおッ!!!」


 僕の頭の中で、さっきまでの出来事が想起される。ライザーの叫びによって、鮮明に呼び起こされる。


 先輩を連れ帰る為に、取り返す為に僕は力に頼った。余裕がなかったとはいえ、他に手がなかったとはいえ、僕は暴力に訴えた。




 そう、まるで目の前の男のように。ライザーの、ように。




「違うッ!」


「違わねえッ!」


 認めたくなかった。認める訳にはいかなかった。……でも、心はもう、誤魔化せなかった。


 が、それでも。ライザーと取っ組み合いながらも、僕は否定する。否定し続ける。嫌だ、自分がライザーと、こんな男と同類になるだなんて、絶対に嫌だ……!


「往生際が悪いんだよ、もういいからさっさと認めろよ。いくら否定したって、お前が今日やったことは覆せない事実として、紛れもない真実として、変えようがない歴史として。一生、生涯……お前の中に永遠と残って消えることなんてないからさぁあああッ!!!」


「黙れ!黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!!」


 僕は叫び、ライザーを蹴り飛ばす。彼は後ろに退がり、しかし依然僕の顔を睨めつけながら、言い放った。


「俺は何度でも言ってやる。お前は俺と同じだ。同じ穴の狢さ。……お互いに、己のかけがえのない大切で大事な夢と憧れを否定して汚した、全くもって救い難く救いようもない、最低最悪の同類になるんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中で広がったのは。寝台ベッドの上に乗せられた、半裸同然の先輩の姿と、跨るライザーの姿と。そして、先輩の股座に顔を埋めた僕自身の姿。


 その光景を今一度目の当たりにしたその時──────もう、駄目だった。


「…………黙れぇぇぇええええええッッッ!!!!」


 怒り。激怒。憤怒。それら全てが渾然一体となったようだった。もう何も考えられなかった。気がつけば、僕はその場から駆け出してしまっていた。


 怒りに任せて床を蹴り。激怒に託して拳を振り上げ。憤怒に委ねて襲いかかる。


 傍目から見れば、僕はもう人間などではなく。もはや一匹の獣にしか映らなかったことだろう。


 振り下ろした拳を、ライザーが躱す。躱して、握り締めたその拳を素早く振るい、僕の腹部に深く沈ませ、めり込ませる。


 瞬間、堪らず僕は肺の空気を吐き出して────目を見開かせ、喉を破り裂くつもりで叫んだ。


「ライザァァァアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」


 叫んだ僕に続くようにして、ライザーもまたその目を見開かせて、同じように叫ぶ。


「クラハァァァアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!」


 そうして僕とライザーは互いの名を叫び、互いに拳を握り締め、そして互いに、それを振りかぶって。






 ゴチャッ──肉を打つ、二つの音が重なった。






 数分ぶりにまた訪れた静寂が部屋を包み込む。それは長く、長く。果てしなく、続くかに思われた。けれど、全てに等しく終わりがあるように、それもまた唐突に終わりを迎える。


「………………」


 ズルリ、と。ライザーの頬から僕の拳がずり下がり、だらんと宙を薙いで力なくぶら下がる。


「………………ハッ」


 遅れて、僕の頬からもライザーの拳がずり下がる。そして彼は乾いた笑いを一つ零して、数歩後ろによろめいた。


「ハハ、ヒャハ……これで、お前も……俺と、同じ。俺と同類、だ…………」


 よろめいたライザーは何故か、勝ち誇ったような笑みと共にそう言い残し。前のめりになって、そのまま床に倒れた。


「…………」


 二十年という、それ程短くなければ大して長くもない生涯の中で。初めて経験する虚脱感と喪失感に挟まれながら、僕は見た。見てしまった。


 床に倒れる直前の、ライザーの瞳に。映り込んでいた、その顔を。人を憎み、恨み。憎悪と怨恨で歪みに歪んだ、その顔を。




『これから俺とお前は同類になるってのに、なあッ!?』


『これからお前と俺は同類になるのさ。お前は俺のとこまで堕ちるんだ』


『何せ俺だってそうするだろうからな。自分の目的を果たす為なら、どんなことだってやってやるからなあ!!』


『だからそれが俺と同類だっつってんだろうがよぉおおおッ!!!』


『往生際が悪いんだよ、もういいからさっさと認めろよ。いくら否定したって、お前が今日やったことは覆せない事実として、紛れもない真実として、変えようがない歴史として。一生、生涯……お前の中に永遠と残って消えることなんてないからさぁあああッ!!!』


『俺は何度でも言ってやる。お前は俺と同じだ。同じ穴の狢さ。……お互いに、己のかけがえのない大切で大事な夢と憧れを否定して汚した、全くもって救い難く救いようもない、最低最悪の同類になるんだよ』


『これで、お前も……俺と、同じ。俺と同類、だ…………』




 …………今になって、ライザーの数々の発言が、僕の腑に落ちた。


 ──……そういえば、あの顔。僕は、前にも何処かで……。


 全身から力が抜けていくのを感じながら、ライザーの瞳に映り込んでいた顔に既視感デジャヴを覚えた僕は、頭の中の記憶を漁る。そうすることで、少しでも、僅かな間でもこの現実から逃げ出そうとしたのだろう。


 そうして、僕は。


 ──ああ、そうだ。思い出した。


 まるで他人事のようにそう呟いて、脳裏に一つの、一年前の光景を過らせる──────






『わかったな!?──────クラハァッ!!!』






 ──────そんな、憎み恨み。憎悪を掻き立て怨恨を募らせた声と共に。


 そして、その時だった。




「クラ、ハ……?」


 寝台ベッドから、怯えて震える声がした。

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