オブシウスの黙示録

古虫

0。悪魔は詠う

貴方がグッスリと睡眠を取っていたであろう昨夜の話をしよう。


何億もの星がハッキリと見える田舎町のそのまた外れにある人気の無い森には奇妙な一件の家があった。半径約10メートルには木が生えておらず伐採した様子もない、灰色の硬い植物にとって極めて悪質な土壌に割れた瓶やレンガが散乱していたためだ。家の周りだけ不気味なほどに土地が死んでいるのだ。


なら家の方はどうだ?


なんの変哲も無い普通の木でできた白塗りの一軒家だ、少し小さいがペンキは厚くたっぷりと塗られ月の光を反射して一見は清潔である。それがより一層この土地の、家の異様さを引き立てた。

パッと家の窓にオレンジの明かりが付く。

中から薄っすらと声。女だ。酒でやけたような声。嘆いて泣いているのかもしれない。そんな可能性を何処からか流れる木の香ばしい匂いとそれに混ざる異臭がかき消した。オレンジの明かりがゆらりと揺れる。内側から家が燃えているのだ。


声、今度は子供の叫び声。



ティンター家の妻は深い悪魔信仰者である。しかし自らが異質なのを知っていて家族には打ち明けずひっそりと信仰していた。

悪魔信仰とは、古来から存在するといわれた創造上の悪魔の名を冠した上位の悪霊をここでは「悪魔」とし、契約をした上で供物として自分の犠牲を払うことで忌まわしき力を得る。もっとも与えられる力は全て悪魔の気分次第である。


ティンター家は子供2人をもうけた温かな家庭であった。それが今このように家ごと燃え上がってしまうのは滑稽で皮肉である。

この女は何を犠牲にし、何を得たのだろうか?



聞き取れない程の怒号が家の中に響いて家の柱が崩れた。同じ言葉を何度も繰り返す。名前を呼んでいるようだ。

その一方で小さな影が2つ

「アナ!玄関じゃダメだ!ガレージから出よう!」

「う、うぅ……っお兄ちゃんは…!?」

「大丈夫、なるべく通路を塞ぎながら後に続くよ!早く逃げるんだ!!」

10代くらいの幼い兄妹が家からの脱出をはかっていた。

「大丈夫、大丈夫だよアナ、ちゃんとお兄ちゃん守るからね…避難訓練を覚えてる?思い出してその通りにすれば良いんだよ。」

兄は震えるのを堪え、泣く妹を落ち着かせて道を譲る。

怒鳴る声が近くなり床を叩きつける音とともに家のカケラが炎の雨となって降り注ぐ。

妹は身をかがめ小さな体を上手く使ってガレージへのドアへと進む。

兄は家具を倒しながら遅れつつ後を追う。彼は呻きながら目を抑えていた、先程落ちてきた炎が運悪く直撃したのだ。つむった目をゆっくり開けると火柱の奥にゆらりと動く影。

「……母さん…」

「僕は…違うんだよ……違う………母さん…」

再び大きな音が響いた、影の方からでは無い

同時に。女の子の甲高い裂くような叫び声。

「アナ!」

走った。開いたままのガレージへ続くドアへ飛び込み、勢いよく閉め、振り返ると

シャッターに挟まれた妹の下半身があった。

熱で緩んで落ちてきたのだろう。土にじんわりと血が滲んでいく。

「お兄ちゃん。お兄ちゃん……早く、逃げて…ママはお兄ちゃんのこと探してる…………空いた隙間………逃げて…」

シャッターの隙間から夜の青がのぞいている。背後からは叫び声を聞きつけた母親が迫ってきていてドアを殴る音が響いていた。

「ダメだよ…2人で……一緒に逃げるんだ…!」

「でも!!お兄ちゃんが見つかったらどうなるかわかんないんだよ!?早く…!!」

決断した兄は滑り込むようにシャッターとタイヤで凹んだ隙間を潜り抜けて妹の周りの土を掘った。土が指を冷たく傷つける。

「大丈夫、大丈夫だから…お兄ちゃんが助けるから…!」

耐えきれず流した涙で顔がぐちゃぐちゃのまま必死で妹が通り抜けれるよう隙間を作ろうとした。だかこの土は手で掘るには硬すぎる。

母親がドアを破り熱と騒音と共にやってくる。声を荒げすぎて唸り声しか出せず、手には斧を持ったその様子は地獄から来た悪魔のようであった。

「……うっ、う、お兄ちゃん……もう…無理だよ……無理……逃げないと……お兄ちゃんだけでも………」

兄は小さく「嫌だ」と繰り返す。

「お兄ちゃん。大丈夫、大丈夫だよ。」

小さな手が弱々しい力で兄の手を握る。

この出血量では多分、もう……

2人とも薄々分かっていた。

「行って。」

兄は一瞬思いつめた顔をして、妹の頭にキスを落としてから小さく「ごめんね」と呟き、灰色の土地を抜け、森へ進み、町を目指して必死に走った。


昨夜の出来事である。



貴方は心を痛めるだろうか?


私は良いものを得た。大変満たされた気持ちである。此処が劇場ならばスタンディングオベーションで口笛も飛ばしているところであろう。


悪魔信仰とは信仰を得るほど悪魔自身の力は強くなるが、基本的には悪魔が楽しむための娯楽に過ぎない。信者はテレビのチャンネルのようなものだ。

信仰による力にはさして興味はない。与えた力をどのように使うか、どんなドラマを見せてくれるのか。退屈な死の世界ではそれだけが楽しみなのであった。




金の月は悪魔の目

蠱惑に嗤い

消えていく


夜の闇は偽りの死

過去を殺して

朝を待つ


内なる心に棲まう者

ここに祈りを

貴方に眠りを



0。悪魔は詠う 〜fin〜

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